指導論(判断の材料は与えなくてはいけない)
こんばんは。sugi.kです。
今日は、先日書かせていただいた「判断を奪ってはいけない」という私の考えとは違った私の考えを書かせていただきたいと思います。
判断を与えることも必要
どういうことか説明すると、指導において、ただ選手に判断しなさいというスタンスで終わらせてはいけないということです。
何もわからない選手に判断しなさいと言っても、選手は何をどう判断すれば良いのか分からずに困ってしまいます。
もっと簡単に言えば、「あいうえお」が分からない子に本を読みなさいと言っても読めないということです。
つまり、判断するための材料(スポーツ特有の原理原則などの基礎になるもの)は選手に対して仕込んであげてから、選手の判断を促すことが大切なのです。
どんなに判断に優れた選手も最初は何も分からない状態からスタートします。
そこに至るには、たくさんの仕込みが入り、尚且つ選手自らが判断しながらいろいろな経験をしています。
先日私は、判断を奪うような言葉がけはいけないと書きましたが、仕込みを入れなくてはいけない段階の選手に対しては、指導者側の判断に沿ってプレーさせることが必要であるとも考えています。
指導するって難しいですよね。それだけにやりがいがある仕事だとも感じています。
以上です。ありがとうございました。