ギンギラギンに我的工場飯
工場の社食が好きだ。
地方都市の工業高校出身なのだが、人生の分岐点を何度か経て、現在は中国の上海でグラフィックデザイナーとして生活している。分岐点での選択は正しかったのか、そんなことは意に介さず上海の自宅でぬくぬくと涼しい生活を送っている。
かといって工場に縁遠いわけでもなく、印刷の立ち会いやヒアリング・撮影などで、さまざまな業種の工場を見学することもある。その際に「よろしければ昼食でも」と、お声がけいただける。遠慮はしない、千載一遇の工場飯チャンスだ。
味の濃い中華料理と盛りメシ、労働後の空腹状態にこれはもうたまらない。楽しく仕事をするには飯のことだけ考えていればいい。
工場飯は複数のポケットで構成された銀のプレートを手にし、好きなおかずを指差せば食堂のおばさんがプレートのポケットに乗せてくれる。献立はほぼ中華料理で統一されており、いわゆる「中華ビュッフェ形式」が工場では人気のスタイルだ。プラスチック製のプレートも有るが、工場といえば金属が似合う。
中国でも母心は「たんとおあがり」が基本で、おばさん達はポケットからあふれるほどのおかずを乗せてくれる。隣のポケットと混ざりそうなものだが、中華料理の味付けはだいたい同じなので、おかずがブレンドしようが問題ない。
工場飯を手に着席した数分後に「あ、これではなく、お弁当到着しましたのでぜひ」と、サバ塩焼き弁当を別途手配していただいた。
お気遣い……ぐぬぬ……ありがとう……ぐぬぬ……ございます……
買ってしまえ、ギンギラプレート
無ければ自分でやればいい、そもそもご飯とあのプレートが有れば工場飯は完成する。こうして私の「ギンギラプレート探しの旅が」始まったのだが
すぐ見つかった。学食・社食用として販売されており、6ポケットタイプのプレートとお椀・箸・スプーンのセットで28元(約570円)。
あとはデリバリーでご飯を注文して盛り付けるだけ。
左上から順に
什锦血汤(鴨の血の煮凝りスープ)
番茄炒蛋(トマトと卵の炒め物)
小炒肉(豚バラのシシトウ炒め物)
干锅花菜(カリフラワーの炒め物)
米饭(ご飯)
米饭(ご飯)
さっそくプレートに盛り付けてみた。
蒸しご飯をブロック状に盛り付けるのが工場飯の美学、デリバリー容器そのままの形状で盛り付けたら再現度が飛躍的にアップした。ふんわりご飯など糞食らえだ。
こうなりゃ何でも盛り付けてしまえ
よく考えたら、好きなものをデリバリー注文して、ギンギラプレートに盛り付けてしまえば、何でも工場飯になるのではないか。あの時の雪辱「サバ塩焼き弁当」をプレートに盛り付けてみた。
ポケットの配置は
ご飯
サバ塩焼き
唐揚げ
キムチ
味噌汁
工場メシに味噌汁はきっと史上初。ファクトリーミールのパイオニアだ。
工場飯のポテンシャルに挑戦
ギンギラギンに輝く飯プレート、ポケットの構造から定食タイプの献立に適していることは分かっているが、ここは工場ではなく我が家、デリバリーでいろいろ注文してポテンシャルを探ってみようではないか。
北京ダック
ポケットの内容はこう。
北京ダック
カオヤービン
レンコンの揚げ物
きゅうり、ネギ
タレ
とんでもない工場のとんでもない工場長の昼ご飯はきっとこうだろう。出世街道の終着点とはこういうものだ。
カツカレー
ご飯
とんかつ
カレー
カレー
カレー
逆に食べづらい。やはりカレーライスにはカレー皿がベスト、工場飯に初の黒星をつけられた。
ボロネーゼスパゲティ
ボロネーゼスパゲティ
生ハムとサラミの盛り合わせ
黒トリュフのフレンチフライ
手羽先のチリソースソテー
きのこのポタージュ
主食、副菜、スープなどバランスも良く、ワイン片手に多幸感に満ちた工場飯だが、食後のシアエスタで工場のラインは夕方まで停止することだろう。
ビッグマックセット
ビッグマック
マックフライポテト
チキンマックナゲット
コーン
コカコーラゼロ
なんとも陽気な工場飯が誕生した。マクドナルドの紙の容器から、シルバーに輝くプレートに移すだけで重厚感が増し、もう「簡単な食事」なんて言わせない。お椀から炭酸が弾けているのも新鮮。
寿司
寿司
寿司
寿司
寿司
醤油
主食とかおかずの概念を撤廃、こうなるとポケットの意味すら分からなくなる。もう哲学。スープ用のお椀の位置が醤油皿にぴったりだったことを除けば、寿司には全く向いていない。強いて言えばきっと寿司工場の社食。生産ラインでは無骨な寿司職人が数百人体制で握っていてほしい、随分とわがままな願望である。
ギンギラプレートは日本に向かない
食堂などで使用するギンギラプレートは、中国や東南アジアを中心に多く愛用されている。きちんと盛り付ければバランスの良い献立にもなり、洗い物も少なく済み、割れや欠けもないので、日本向けにも良いのではないかと思ったが、今回実際に使用してみて日本には合わないだろうと実感した。
お碗を持つ習慣に合わない
日本ではご飯や汁物など「お椀」にあたるものは、一般的に手で持って食べるのが習慣とされている。プレートごと持ち上げていては危なっかしくて食事どころではない。コンビニ弁当のような軽めの容器ならクリアできそうだが、工場飯の重量に耐えきれない可能性がある。
おかずの味が混ざる
冒頭にも書いたように、献立がほぼ100%中華料理であることと、味付けがほどんど同じなので、ポケットを越えて隣のおかずとブレンドされても、中国の工場飯ではそれほど気にならない。対して日本は比較的淡白な味付けが多く、和食や洋食などおかずのジャンルもさまざま。そのため味が混ざることを嫌う傾向がある。
金属の擦れる感覚が苦手
プレートも金属なら箸もスプーンも金属。実際に使用して思ったのが、和食など淡白な料理は金属の擦れる感覚がダイレクトに伝わるため、食事中に寒気が起きてしまう。ところが中華料理は油やタレが潤滑油の役目となっているのか、金属同士の擦れがあまり気にならなかった。どうしても気になる場合は割り箸を使えば解決だ。
それでも盛り付けてしまえば中国工場の労働感を楽しめるギンギラプレート、欲しくなったのではないだろうか。プレートそのものは高くはないので、デリバリーに限らず手作りの献立やスイーツ盛りなど、さまざまな料理で試してみても楽しいかもしれない。
工場従業員からすれば自宅で工場飯などクレイジーに思われるかもしれないが、こっちからすればギンギラギンの工場飯が羨ましくて仕方ない。恥ずかしいから口では言わないが、心の奥に秘めた「ない物ねだり」とはこういうものなのだ。そう、さりげなく。