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プチ家出中に『私の生活改善運動』を読んだら

わたしがこの本を読んだのは年末のプチ家出の2日目だった。
切っても切れない家族問題の果てしなさに疲れ、一泊二日の家出を決行した。


🪴自分に愛情をかける

自分で自分にかけた愛情が、そのまま返ってきている気がする。

p68

脱毛受けてる時、こんな気分になる。
自分への愛情を感じれる行いだと思っている。
好きなものを買うよりも、じっくりとそう感じるのはなんでだろう。
プチ家出の2日目の昼に脱毛に行っていた。

オキシトシンか?
オキシトシンは人に親切にしたときや、親切にされたり…人との触れ合いによって分泌される幸せホルモン。

脱毛中は丁寧な説明を受け、痛みや熱さを心配されながら、全身を他人に触られる。
それによってオキシトシンが分泌されるのかもしれない。

施術者とわたしの間にはなんの情もないので、脱毛は自分への愛情だと捉えることができるし、他にはない感覚を持つのも頷ける。
書いていて、自分でもキモいと思う。

🪴安心できる巣作り

愛のない空間には一秒もいられなくなってしまった。となると、あとはつくっていくしかない。マウスは立ち上がり、素をつくり始めた。マウスは一人暮らしである。だけどその巣に住んでいるのは、この世でただひとりの、大事なマウスなのだ。

p194

この文を読んでハッとした。
そう、わたしは愛のない空間にいられなくなったんだって。

わたしは家が安心出来る場所じゃなかったし、生きるのに必死で、家の綺麗さなんかどうでもよかった。
暴力的な人間が家にいたらしかたのないことなんだけど、わたしは自分の安全を放棄してきたのだな、とこの本を通して思った。

幼い頃は翻弄されるしかなかったけど、今のわたしは家出ができちゃう程の能力を持っている。
それは僅かではあるが財力だし、自己受容力でもあるし、決断力、行動力、判断力……いろんな力の結集だ。

それを自分の安全、ここでいうお部屋作りに当ててもいいんだなって思った。
ついつい外に居場所を求めがちであった。
自分が暮らす場所にあまり愛着がなく、常にうっすら嫌悪感を持っていた。
それは、好きではないものを放置して、その中で生きていたからだ。

見栄えがいいかよくないか、じゃなくて、自分が好きか嫌いかでぜんぶ判断していいんだ。
そろそろ本腰を据えて、整えてやらねば。

改善したいこと
・カーテンを変える
→親が選んだピンクのカーテンが気に入らない

・スーツケースを捨てる
→捨てなきゃ捨てなきゃで後回しにしてきた

・推しのグッズをひとつの箱にまとめる
→とっちらかっていて出し入れがめんどう

・着ない服を処分
→気に入っている必要なものだけにする

・机の上にものが常にある
→スッキリさせるために小さな棚をこしらえたい

・机の上にライトを置く
→寝れない夜を豊かにしたい


🪴休んで、労る

家出を決めた時は、自分を愛すため、愛じゃないことをやめるため、と思っていた。

家出中、結局わたしは逃げたかっただけなんじゃないかとクヨクヨした。
自分が悪いことをしている、という気持ちが拭えなかった。
なにが正解か、もう分からない。

『私の生活改善運動』を読んでいて、わたしにも休んで、労ることが必要だったんだと思った。

プチ家出を体験してみて、ひとりでの外泊にお金を払うのは、よい気分ではなかった。
友達との旅行にはお金を惜しまないけど、ひとり旅行でお金を使おうとする度に怯んだ。

でもそれも、休むため、労るために必要だったんだな〜と。
今までは胃がキリキリと痛んだり、食欲がなくなったり、頭痛がしたりと体に症状が出るまで我慢していた。メンタルも壊した経験があるし。

それを、メンタルが悲鳴をあげる前になんとかせねば、と行動したことが素晴らしいし、お金をかけれたことが偉いじゃん。
ホテルに泊まらず近場のカフェで本を読むのでも十分だったかもな、とか思うんだけど。
それは過去だからいえることで、とにかく家から離れたいという気持ちにちゃんと応えたことは否定しなくてもいいはず。

正直、高い出費だったと思う。
だけどこうやって自分と関わるなかで、どうしたら心地よいかを確認していくほかないのだと思う。
この経験を、良かった、と思うことにする。

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