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ドキドキレターパック部!(DDLC)
僕宛てに届く荷物は、その大半がネットで購入したものだ。インターホンが鳴れば、たいていは「あの商品が届いたな」と目星がつく。
先日、身に覚えのないレターパックが届いた。ハガキでも封筒でもなく、レターパック。そのサイズ感の荷物が届いたのだから、何かピンと来なければおかしい…しかし思い当たるものがない。ひとまず送り主の欄に目をやると、そこに記されていたのは僕の働いている会社名だった。
会社から心
みんなどこかへ行っちゃった
「お友だちの悪いところじゃなくて、良いところを沢山見つけましょうね!」そんな保育士さんの教えに背くように、何でもかんでも汚点ばかりに目が行ってしまう。
季節の変わり目だけでなく、何事においても切り替わりのタイミングというのは正念場である。僕はいま30歳ですが、そういう「節目」は何度も迎えている。回数は減れど、これからの人生にもあるでしょう。
この節目というのは、年齢を基準に迎えることも多い
若きワナビたちに思うこと
自分はすっかり「若いオタク」ではなくなったなと痛感することが多い。Twitterなんかで10代、20代前半の子達のツイートを見ていると特に思う。彼らの綴る文字列から放たれる感性があまりに眩しい。擦れたおっさんが、「フッ、自分の若い頃を思い出すぜ…」などと挑発しているように見えたら申し訳ない。それどころか、僕はむしろ君たちが恐ろしいのだ。その無鉄砲さ、興味を持った人やモノに果敢に挑む姿、すべてがと
もっとみる「趣味」を重く考えすぎている
うつ伏せになってマッサージを受けていると、僕の背中の領空で声が響いた。
「趣味とかありますか?」
マッサージ師から飛んできた質問を認識すると、全身にわずかながら緊張が走り、顔面もやや強張る。うつ伏せなので表情は読み取られない。セーフ。
世間話のレパートリーの一つとして、相手に趣味を尋ねるのはごく平凡。恐らく、「今日はいい天気ですね」とか「近頃冷えますね」とかと同じくらいのレアリティなのだと
秘密の1つや2つ作っておくといい
自分の生活を切り売りしているような僕が言うのも変ですが、秘密の1つや2つ作っておくと心にゆとりが生まれるものです。
僕に限らず、今は誰もが自分の私生活をネタに自己顕示欲を満たしている。しかしこれは諸刃の剣で、無防備な自分を見せれば見せるほど他人との差が浮き彫りになり、その溝を埋めようと更に自分を曝け出す羽目になる。己の腹を掻っ捌いて内臓をありありと見せつけるのは気持ちがいい。けれど辺りに降り注ぐ
希死念慮には癖がつく
昨日、いくつか不愉快なことが続いて軽く錯乱状態になっていた。こういう時、全くもって人間一人なんて無力なものだと痛感します。自分ではどうにもできず、知人に慰めてもらうことで心を落ち着け眠りました。しかし、夢の中にしたって必ずしも快いという訳ではなく、僕の精神状態が見事に反映され、自宅で親に刺殺されるという悲劇的なものだった。
いつからだったろう。気づけば僕は、少しでも嫌なことがあるとすぐに「死にた
バズだらけのTwitterに一石投じる
精神科を色々と探し回っていた時、とある病院のカウンセリングで「最近はツイッターを見ているのも苦痛でして」と伝えたら「ツイッターを見ることすら苦痛ですか…それは鬱ですね!」なんて言われたことがある。さすがに安直すぎやしないか。ツイッターが苦しいのは、ユーザーにとってシステム面が改悪されたことや治安の崩壊が原因なのであって、だからまあ、精神科医に「ツイッターを見るのが苦痛」と伝えること自体お門違いなの
もっとみる逆張りじゃないよ サブカルを好きなのは
サブカルが好き。それは「サブカルだから」好きなのか?だとすれば単に逆張りをしているだけである。が、それもまた良いだろう。頑固で偏屈で天邪鬼なんだから、「大衆娯楽とは一味違うものを好む」ということに価値を感じられる。それに、自分自身で何かを生み出す努力をしなくても、ただ「それを好きでいる」というだけで自分にも個性が生まれる気がするからね。
あるいは、「自分だけがこの世界を知っている」という優越感に
人生のバトンを託す相手は決まったか
これまで、ふんわりと「可愛いものが好きだ」という意識を持ってきましたが、あまり真剣に向き合ったことはなかった。「興味を持ったもの=好き」だった幼少期とは違い、なかなか自分の好きなものが見つからない大人。だから、大人の自分が好きなものは、もっと大事にした方がいい。
心が病んでしまった時、何もかもが苦しい時、やっぱり僕を救ってくれたのは「可愛い」だった。フィギュアなり、ぬいぐるみなり、イラストなり。