「ミスユニバース」日本大会の”リアル”を語る〈前編〉
皆さん、こんにちは✨
セイントビューティー株式会社です🌸
近頃は暖かい日も多く、
日によっては「コートもいらないかな?」なんてこともあって
「新生活」「新入学」を纏う春の風にのせられて
心まで軽く、ワクワクしてくる今日この頃ですが、
皆様はいかがお過ごしですか?
今回は、
その昔、ふんわり系の女子をしていた
弊社 講師、瓜生 恵都(うりゅう けいと)が
偶然街中で
”ミスコン界では知らない人はいないカリスマ”
【イネス・リグロン】氏と出会ったことにより、
2009ミスユニバース日本大会に飛び入り参加し、
”新たな体験””新たな挑戦”を通して
考え方や生き方、
そして纏う雰囲気までガラリと変えることとなった
「ミスユニバース日本大会」の”リアル”を
実体験を通して語らせていただきたいと思います。
ミスコンに興味のある方はもちろん、
「コンテスト?興味ないよ💦」という方も
”カリスマ”の基準で進んでいく世界を体感した
「異世界体験録」として
楽しんでいただけますと幸いです☺️💓笑
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【突然の始まり】そして、突然の撃沈
今から遡ること12年!!😳💦
当時、イネス・リグロン氏は
ミスユニバースジャパンのナショナルディレクターとして、
日本大会を統括していたのですが、
イネス氏が育て上げた”ミス・ジャパン”達は....
2006年
【知花くららさん】がミスユニバース世界大会にて
準ミスユニバース受賞🎖✨
この快挙を皮切りに、
2007年
【森理世さん】が
ミスユニバース(世界1位😳🥇)受賞!🏆✨
2008年
【美馬寛子さん】(現ナショナルディレクター)が
ミスユニバースTop15入賞💐✨
と、
日本の美女達が
世界屈指の美女たちを相手に
輝かしい記録をバンバン打ち立てていた
まさに
”ミスユニバース黄金時代”🏆!!
そして
続く2009年!
街を歩いていた私、瓜生に、
イネス氏が突然声をかけてくれたという、
”ひょんなきっかけ”から
ミスユニバースジャパンの
2次審査に飛び入りで参加することになり、、、
突然すぎて、
未だ「ミスユニバースとは何たるか」を
いまいちよく理解できていないままに、
モデル活動の一環の様な気持ちで参加し、
あれよあれよという間に
約20名のファイナリストに選出されることとなりました🌸
そうして、
決まってすぐに行われた
「ファイナリスト発表会📣」
各局の記者達が集められた会場で、
ファイナリストが一人ずつ登場。
全員がカメラの前で
「ウォーキング」「自己PR」を行いました!
すると、突然!
イネスと諸先輩方から
ファイナリストの”ランキング”が言い渡され、
「Top10のみ、囲み取材の写真撮影に参加できる」という、
いきなりの試練が言い渡されました!
事前通知は一切なし!
本番突然の出来事でしたので、
もちろん丸腰で参加した私は
Top10に残れるわけもなく、
あえなく撃沈。笑
この日に、
「ああ…私はすごい所にきてしまったんだなぁ…」
と、やっっっと気づくことになるのです。
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【生活が一変!!】怒涛の日々、始まる
そうして始まった
私のミスユニバースジャパン
ファイナリストとしての日々なのですが
まず初めに行われたのが、
各々の「ブランディング」でした。
イネス氏のアドバイスを基に、
こんな感じの
【日本人受けしそうな、ふんわり系女子】
から....
【世界基準のアジアンビューティー】へ
大胆チェンジ🦸♀️🪄💫
”具体的に変えたこと”は、
・ヘアスタイルを艶々の黒髪へ✨
・メイクで濃いめのスモーキーアイに💄
・ほんのり焼いた、健康的な小麦肌🏝
・華奢な身体をトレーニングで大きく、
ボディラインにメリハリをつけた👙
・「ウォーキング」「ポージング」は”クール”を意識💃
・話し声を”低く、落ち着いたトーン”に💋
などなど、
元々持っていた
内面の「意志の強さ」を見た目へ体現し、
「心優しく、芯の強い女性」として
徹底的にブランディングをしていきました!
日本人女性特有の「カワイイ文化」は、
世界の舞台に立った際に
「幼稚」に見えてしまうことがあります。
「マチュアで自立した日本人女性」になる為に、
ファイナリストに決まった瞬間から
「世界」に目を向け、
”世界中から集まってくる美女達と
対等に戦うための準備”が始まるのです💪
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