
「頑張れ」よりも「頑張ったね」
はじめまして。
soushiと申します。
今日から大学生なりに感じたことを綴ります。
家族や友人、先生、周りの人たちから「頑張れ」と言われた経験は多くの人があると思う。
一方で「頑張ったね」と言われたこともあると思う。
どちらの方が言われた後の嬉しさが大きいだろうか。
僕は断然「頑張ったね」の方である。
どんな場面であっても、それは受験期でも部活動中でもなんでも良いが、「頑張ったね」「よくやったね」「すごいよ」と言われたら自分を認めてもらえたという感覚を得られると思う。
例えば、「受験勉強頑張ってね」とか「来週の大会(試合)頑張って」とかよりも「受験勉強頑張ってるね」「受験勉強最後までよく頑張ったね」「先週の試合よくやったよ」「昨日の大会よく頑張ったね」の方が嬉しさや喜ばしさが増すような感じがする。
もちろん応援としてエールとしての「頑張れ」や「頑張って」という言葉はとても大きなエネルギーとなり、奮起するというか……とても大きな力になるものである。励ましの意味合いでの言葉になっているから何かを観戦したり応援したりするときに広く使われている。「頑張れ」と同じ意味で「ファイト」もよく使われている。
曲の歌詞を見てもわかることがある。
応援歌であっても「頑張れ」というフレーズが一度も出てこない歌詞が世の中には多数存在するのだ。そういった曲の歌詞には、今までの過程や過ぎ去った日々を認めてくれるとともに「ともに(一緒に/お互い)歩んで行こう」というメッセージが込められているようにも感じる。
もう一つ!
注目したいのが、🗣「期待してるよ」という言葉。
受験期に繰り返し言われたこの言葉は僕にとって嬉しいようで少しだけプレッシャーになっていた。先生も親も自分を期待してくれているのは十分に伝わる。だけどやっぱり追い込まれたり、失敗しちゃだめだと言い聞かせたりと……自分の中でもの凄く厚みを増していってこの言葉に必ず絶対に応えることが一番なんだと、重要なんだとそうも感じていた気がする。
昨日の箱根駅伝を観戦していて気づかされたことがある。
監督の「声かけ」だ。
「いい調子」「お前すごいよ」「区間賞とれるよ」「輝いてるよ」「笑顔で」「もう少しだ」という監督車両からの声かけ。ゴールした瞬間の「頑張ったね」「本当によくやった」という声かけ。
リアルタイムで視聴・観戦していたが、その言葉は励ましの言葉であるとともに、監督から選手たちへの熱い想いが詰まっていた。
監督からの褒め言葉、メッセージをたよりに選手たちは必死にゴールへと襷を繋いでいく。このドラマみたいな展開に僕は毎年感動させられる。
とはいっても実際に「頑張ったね」と言ってくれる人が必ずそばにいるとは言いきれないけれど……。
言われると嬉しい言葉はまだまだたくさんある。
一日を振り返る時に「俺は今日頑張った」「今日の俺すごいよ」と少し心の中でつぶやいてみるのも良いかもしれない。自己肯定感や自己効力感が高まるかもしれない。
それは自画自賛ではなく、日々の自分自身を認めることにも繋がると思うし、毎日を楽しく生きていける気がするから。
自分自身にも周りの人たちにも
すべての人たちに使える&使いたい言葉
それは
「頑張れ」よりも「頑張ったね」
具体的にどんな声掛けができるかを記載したので下のコメント欄もご覧ください。