カブキモノ

変態観測。

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最近の記事

朽ちるなら誰も知らない花畑 来る人無くとも献花は枯れず ↑めっちゃいいなと自分でつくって思ったがこれ「願わくば桜の下で春死なむ」のパクリというか一つの解釈みたいだなって気づいた。花の下に死体があれば献花は必ず咲き続けるよねっていう。まさにあなたの花は枯れない一生枯れないやつって感じの詩だね。 黒髪を明るい色に染めたとて僕の根暗は治らなかった 駆け出したい程に待ってたコーラの季節 来たと思えば弾けて消えた 寂しさに名前をつけたい昼下がり 君の名前をこぼしてしまった 学者より先

    • 誕生日死ね!

      人生を謳歌していない人間にとって自分の誕生日ほど苦痛な時間はないと思う。身の周りの人間からの「生まれてくること自体が幸せ」みたいな独善的ポジティブリリジョン的価値観をひたすら押し付けられ、それに追従しなくてはならないからだ。特に欲しくもないものを押し付けてくる人々に空箱みたいな「ありがとう」を積み重ねるだけの日。誕生日というシステムを発明した人間を呪いたい。大体日付に特別な感情を結びつけて当日にそれを味わうという感覚もあまり理解できない。違う暦だったら違う日付にそれを祝ったり

      • a

        家の猫が死んだ。このところ実家に帰ってすらいないので触ることすらなかったが、ひまな時やストレスレベルが高くなってきたとき頭の中でその湿気った温かさを思い出していた。最近はすっかり衰弱していたらしく、ある日死体が家の前に置かれていたらしい。親父からその知らせを聞いてとても悲しかった。おれはなんて自分勝手で都合のいい生き物だろうとも思った。遠い誰かの訃報を聞いても涙すらでないというのに、数え切れないほどの哺乳類の屍肉を食べてきてるというのに、身近だった哺乳類の死を悼んで感傷ポルノ

        • 殺してくれ、殺すぞ

          もう一度あの殺人力のある曲を書いてほしい。殺してくれ、殺すぞ。 目があった人間全てに呪詛を唱えるほど殺気に満ち溢れていた、目が焦点になるくらい俺が焦がれていたお前をもう一度見たいよ。劣等感に押し潰されて鬱病みたいな音楽を作り続ける弱ったお前を見たくはないよ。 でもこれって俺の偏見から導き出された感情の押しつけでしかないから口に出すことはできない。彼が過去の栄光にすがるほどダサい人間でないことはわかっているから彼はただ超然として作りたい音楽を作り続けているだけなのかもしれない

          太陽が哭くみたいに君を見つめているよ

          猥歌を書く必要がある。ラブリーラバーのように美し過ぎて涙がちょちょ切れるるやつを。スピッツのエロソングにも決まって海が登場している。つまり「君の海の中迷子になるよ」っていうのはモロにそういうことです。というか「リンゴの木の下で二人は動物みたいに」も露骨だしセックスソングなんですよ絶対。 実際に女体は海の味がすると感じた事があるので女体を海に例えるのは割と割と男性間ではポピュラーな比喩なのかもしれない。 エロをかけないミュージシャンは逃げです。女の子が喜びそうなことだけ言ってる

          太陽が哭くみたいに君を見つめているよ

          ヘチマが海を眺めてるみたいな歌

          僕の親方はイタリア人だ。ビールを昼休憩に飲みだすし、仕事中はオペラを流しているし、毛むくじゃらでイタリア語みたいに笑い、流暢な独り言を喋る。名前は極めてありふれた日本名なんだけど。田中太郎ぐらい。  中塩博斗とか、セリザワヒナタとか、いつも僕がサウンドクラウドで聞く音楽を現場で流していると「もっとアガる曲を流してくれ。ヘチマが海を眺めてるみたいな歌じゃなくてさ。」と言われた。正直爆笑してしまった。職人特有の古典的な江戸っ子文法みたいなものが含まれていてそれがまた一層おかしさを

          ヘチマが海を眺めてるみたいな歌

          名前をつけてやる

          友人に第一子が産まれたとLINEで報告があった。めでたい。本当にただただめでたいよ。反出生主義だとかそういう小難しいことは一切抜きの感情がブワッと押し寄せたね。数年前にニヒルにっどぷり使っていたときは出産報告のたびにふざけるなと血反吐を吐き捨てるみたいに呟いていたが最近は本当に人間なんかポンポン生んだ方がいいという考えになってきている。素面で子供など産む気にはならないのだから恋愛感情という倒錯状態に陥ってる間にしでかしてしまった方がいいに決まっている。結局人間は動物の一種でし

          名前をつけてやる

          エコバッグのアバディーンアンガス

          環境に配慮する為のエコバッグで環境破壊を推進するアバディーンアンガス牛肉を買いに行くってそれ意味ないよね(笑)っていうキレキレの皮肉。おれがandymoriを好きなのは音楽はもちろんそうなのだけどこの誰彼構わず吠えまくる(スピッツ犬)パンクエティチュードなんだ。ポストandymoriと勝手にみんなが呼んでるバンドにはこういう姿勢が無いからどうしても物足りなく感じてしまう。お前の青春とか知ったことじゃねえよという気分。もちろん彼らのメロディは大好きです。彼らには罪はなくて、勝手

          エコバッグのアバディーンアンガス

          いつかおまいが眠る時もつかれさまって言うンゴからねえ...w

          リンダリンダが聞こえるという曲を書いた。 初めてライブのお誘いを受けて僕はめちゃくちゃに焦っていた。オリジナル曲が圧倒的に少ない。せっかく大勢の前で歌うのだからカバーだけではつまらない。自分の何かをぶちかましてやりたいと言う思いを沸々と募らせていた時に書き上げたのがこの曲だった。 基本的に曲を作る時は難産で時間がかかるのだがこの曲に関しては例外だった。まるで遠い昔に歌っていた曲を思い出すみたいに書き上げることができた。三時間くらいだったと思う。 歌詞を書くときは自分が恥ず

          いつかおまいが眠る時もつかれさまって言うンゴからねえ...w

          戦争しようよ

          世界各地では戦争が起きてるのになんで皆無関心なまま平気で生活を送れるんだ? そう思っていたことが5年前に2分間くらいあった気がする。 現代社会を生きていれば道を歩くのだって命懸けだ。車が走れば交通戦争が発生する。小、中学校に入れば受験戦争が始まる。学業の芳しくない人は精神的に殺される、もしくは自殺をする。会社に入れば過剰な労働に忙殺される。年間二万人位の人が日本社会という戦争に敗れて自分から命を絶つ。これはもう立派な他殺だろう。自殺なんて呼ぶのはおかしい。何かしら外的要因があ

          戦争しようよ

          徒党を組む

          バンドができるかもしれない。友人の紹介で地下室で夜な夜なギターを弾いているというギター弾きを紹介してもらった。彼は相対性理論真部脩一を敬愛しているミックス、録音、作曲を一人でこなす所謂宅録野郎であった。翻って俺は作曲歌唱以外はてんで能の無い人間なのでまさに喉から手が出るほど求めていた人間だった。咽頭から突き出る唾液まみれの手で握手せざるを得なかったほどである。 彼の家に行くと彼はおらず連絡すると勝手に入って良いとのことだったので、引きこもりの得意技である『音殺し歩き(癖になっ

          チ○ポ出すなら浄土ヶ浜

          チ○ポを露出するなら断然、浄土ヶ浜が良いに決まっている。公然わいせつだなんだと騒ぎ立てる者が表れても「チンポを出せねえ浄土がある訳ねえだろバカヤロー!」と、断固反論できるからだ。 北へ向かう高速道路をかっ飛ばしてまだ寝ぼけてるみたいに重い夏の夜の空気を置き去りにしよう。 「北へ向かう」と言うと何故か心が惹かれる。雪国自体に死のイメージが鬱蒼としていてそこに死への憧れを向けてしまうのかもしれない。言うまでもなく北国がその日照時間の短さから自殺率が高いことは有名だ。それ故、自死

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          陰口は本人の前で言うべし

          お今晩は。画像は街中に居った抽象化された猫です。 Twitterに名指しで「ツイートがオスでキツイ、コンプレックスが痛い」みたいな事を書かれていて心がグチャグチャにかき乱されている。久々の感覚だ。VIPに世間知らずの意見を書き込んではボコボコに叩かれていた不登校時代を思い出す。心臓が不健康で変ななり方をするのだ。こんな小さいことでいちいち傷ついてるのも、それをこんなところに書き散らしているのもみみっちいのだが、どうせこんな退屈な文章は誰も読まないし、書かないことには眠れそうに

          陰口は本人の前で言うべし

          人間は生来的に狂っている

          人間は生まれた時はみんな狂っている。が、学校教育や社会教育の過程で普通という修正パッチを適用されてしまうのだろう。孤独な人間ほど異常さが際立つ傾向にあるのもそのせいだと思う。何かしらの社会に属して他人と比較して自己を修正する機会がないのだから仕方がない。かくいう僕もよく変わっているとかおかしいとか言われることが多い。そしてもちろん中学校は行かなかったし、友人と呼べる人など指を詰めても数えられるくらいである。でも、僕は逆に普通のことに対して狂っていると思うことが多い。というか基

          人間は生来的に狂っている

          音楽をやる理由が出来た

          音楽をやる理由が出来たなどとだいそれた事をほざくと俺に限っては大抵撤回されるのでそんなことは絶対に言いません。前回はニヒリズム全開の記事を書いておきながらコレだ。本当に躁鬱だと思う。いつも最低、最高裁亭。 Khakiというバンドのボーカリスト中塩クンに会ってきた。話しかけるとお互い終始所在なく、しかしそのぎこちなさ、不器用さから人間味(あじ)が溢れてきそうな人間といった印象を受けた。きっと太宰治ってこんなんだったんだろう。会話の内容はあんま覚えてないが、私の第二声が「あんまり

          音楽をやる理由が出来た

          お久しぶりです、ニヒリズム。

          久々に虚無感に包まれている。大きい地震があった。多くの人が死んだかもしれない。今はどうでも良くなってしまった。だってみんないずれ死んでしまうのだし。そんなことより俺にとって悲しいのは歌えなくなってしまったことだ。面白くない。歌いたい曲もないし、歌いたくなるような曲も作れない。能動的にアプローチしてみたつもりだったがだめだった。オーストラリア、タイ旅行も楽しくなかった。またこの感覚。人生の地図に"ああ、つまらなかった"という意味の黒色を塗りつぶしている感覚だ。オーストラリアで半

          お久しぶりです、ニヒリズム。