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Photo by
yukko_ill
記憶と感情をゆさぶる仕事相手
近頃「療育は苦しい」と考えるようになった
彼らの感情に振り回され、ある種正確な刃は心に眠るわたしの記憶をえぐるのだ
お母さんに甘えたかった自分
もっと友だちと遊びたいのに、うまく関われない自分
わからないことをわからないといえなかった自分
たくさんの今となってはもうどうしようもない記憶を、迷いのない刃で切られ、さらに悪いことに子どもたちの感情や行動をどうにか歪みのない方向へ案内しないといけない
寄り添うだけじゃ真に困っている子どもたちの生活は変わらない
だからお互いに苦しい中でどうにか「生きやすい」道を、いろんなことを妥協したり工夫したりしながら模索していく
医療者だったとき、Drから「どんなときも冷静であれ」といわれていた
過剰に感情移入しないこと、冷静を保つこと 結果適切な状況判断をすることができて、選択を誤らなくなる
今のわたしにはそれができていないのだと思う
感情や行動は「わたし」へのメッセージではなく、子どもたち自身の戦いなのだから、自分を主人公にしちゃいけない
セラピストや新人Nsや研修医が病棟の端っこで泣いていて、話聞くよといってコーヒーを片手に心リハ室に招いたことが何度もある
きっとあれと同じなのだと思う
今のわたしは苦しい
できないことが苦しいのではなく、冷静じゃないから苦しいのだ
あのとき新人さんたちにかけた言葉を、今度は自分自身にかけなければと思う