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読書感想:「82年生まれ、キム・ジヨン」




書誌情報


『82年生まれ、キム・ジヨン』
作:チョ・ナムジュ 訳:斎藤真理子
筑摩書房(2018年12月)

文庫版もあり、映画にもなっているようです。

感 想

どこかで書評を見てフェミニズムに関する内容だと思って手に取ったのですが、読み始めてすぐ「あれ?私が思っていたのと違う本だったかな?!なんかホラーだったの?!」って混乱。
それくらい突拍子もない、でもゾワっとして惹きこまれる物語の始まり。

韓国ドラマなんかを見ていると、目上の人に対する礼儀がとても厳しく、家長制度が日本よりもかなり残っているように感じていましたが、この本を読むと82年生まれでも、小さい時はこんな感じだったのね・・・と驚きました。

炊きあがった温かいごはんが、父、弟、祖母の順に配膳されるのは当たり前で、形がちゃんとしている豆腐や餃子などは弟の口に入り、姉とキム・ジヨン氏はかけらや形の崩れたものを食べるのが当然だった。

本文より

主人公であるジヨンさんの母が3人目の子どもを妊娠して女子だと分かり、言い出せずに、夫に「また女の子だったらどうする?」と聞いた時

「そんなこと言ってるとほんとにそうなるぞ。縁起でもないこと言わないでさっさと寝ろ」

本文より

と答える場面があります。女の子ばかりは縁起でもないこと・・・女ばかり5人姉妹で育った私は当然ムカッときます。
でもこれは今の日本にも残る感覚ではないでしょうか。
実際私も女の子を二人産んで、末っ子が男の子だったのですが「男の子で良かったね!」「男の子が欲しくて3人目がんばったの?」と普通に言われました。そのたびもやもやとする気持ちで「いえ、別に男でも女でも良かったのです。」と答えていましたが。

そんな何気なく、悪気もなく、疑問さえもたず、男子が大切にされてきた文化が韓国にも日本にも残っていると思う。私もそんな発言をしてしまったこともあるかもしれないとも思います。男子が大切にされる文化で育っているので。
葬儀に出席した時なんかにそれをとても感じます。会葬礼状に書いてある名前の順番はたいてい一番下の子でも長男が先に名前がある。いつも違和感を覚える。でもそういうものなんだろうな…って特に異を唱えるわけでもないんですが。

話は本に戻って、主人公のキム・ジヨンさんの成長の様子と共に、年代ごとに学校や社会の様子が描かれています。私は日本しか知らないので、やはり日本の状況とも比べて考える。基本小説で物語なのですが、時々データーがきちんと示されていてそこも興味深い。
日本より大変と思ったり、でも今となっては日本の方が遅れているのではと思ったり。でも日本よりマシだとしても全く自慢にならない日本のレベルだとは思いますが。

キム・ジヨンさんは母の理解もあり大学に進学し、様々な不条理にぶつかりながらも就職。そして結婚、出産を考えるようになります。
子どもを持つことを急かされ、夫と話し合いをした時のジヨンさんの言葉が胸に刺さりました。

「それであなたが失うものは何なの?」

「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友達っていう社会的ネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけどあなたは何を失うの?」

本文より

私も同じように思ったな。男性は子どもが生まれると仕事もより一層励むように言われるけれど、少なくとも私はそんなこと言われたことはない。「赤ちゃんをずっと預けて働いて可哀そう・・」なんて言われたり。
同じ業界の年上の男性にあからさまに批判されたこともあります。3歳児神話が根強い。家庭にいたい人は家庭にいたらいいし、仕事をしたい人は仕事をするという選択肢があって、どちらも批判されることじゃないのに。
それでも私もずっと罪悪感を持ちつつ子育てしながら仕事を続けてきたことも事実です。自分自身がやはりなかなかその呪縛から逃れられないのでしょう。そして子育てして思ったのは

「こんな大変なこと本当にみんなしてきたの?!24時間対応って普通3交代だから!!」って。

でも世の中の母親たちはみんなこうやって育ててきたのだと思うから「ものすごく大変!もう逃げ出したいくらい大変!毎日がつらすぎる!」って言えなかった。みんなやってきたことなのに私ができないと弱音を吐くのは、自分の無能ぶりを露呈することになるって思えたり、愛情が足りないとか言われたくなくて。
そんな場面もこの小説には出てきました。
ジヨンさんの母親が、ワンオペでの3人の子育ては「地獄みたいだった」とふと話したことに

なのに母はどうして、辛いと言わなかったのだろう。キム・ジヨン氏の母親だけではなく、すでに子どもを産んで育てた親戚たち、先輩たち、友だちの誰も、正確な情報をくれなかった。テレビや映画には器量が良くて愛らしい子どもしか出てこないし、母は美しい、母は偉大だとくり返すばかり。
~中略~
だが、感心だとか偉大だとか言われるのは本当に嫌だった。そんなことを言われると、大変だってことさえ言っちゃいけないような気がするから。

本文より

こんな風にやはり「言えない」と多くの女性が感じているのだと思う。
社会全体が子育て中の親や子どもにも寛容じゃない。とても厳しい。
言うまでもなく子どもは社会の宝。子どもがいないと社会は滅びるのはみなさんがご存じの通り。語弊はあるが、子犬や子猫を可愛いと思うように、小さい子を可愛いと思うのは自然な感情だと思う。それでも、その自然な感情がわいてこないほど、それどころじゃない困難を抱えている方もたくさんいるのだとは思う。

「子持ち様」なんて言葉も聞こえてくる。これは会社側の責任が大きいのだですが。
私は「子持ち様」でもあり、会社側でもあるので常に複雑な気持ちでこのような記事を読んでいます。
この本の中でも公園で150円のコーヒーを飲んでいるだけで「ママ虫」(育児をろくにせず遊びまわる、害虫のような母親というネットスラング)と侮蔑されたジヨンさんが語る言葉に胸が痛む。

死ぬほど痛い思いをして赤ちゃん産んで、私の生活も、仕事も、夢も捨てて、自分の人生や私自身のことはほったらかしにして子どもを育ててるのに、虫だって。害虫なんだって。私、どうすればいい?」

本文より

「それは自分で選んだ道でしょ?」「誰もが通る道でしょ?」って言われそうでなかなか口に出せないんです。確かに自分で選んだ道ではあるんですけどね。こんな風に思ってしまうほど孤独な子育てって追い詰められるんです。

このお話のなかでジヨンさんはうつ症状に悩まされるようになります。産前産後はホルモンの影響、環境の大きな変化などからうつ症状に陥る人がとても多いです。私も出産した後は3人産んでも毎回不安定。3人産んでも、出産は怖いし、育児は大変なのです。いつも夫が早く帰って来てくれないかな…って首を長くして待っていました。(3回とも実家に帰らず夫婦だけでなんとかしました)

小説の中では、はっきりとした結末、めでたし、めでたし!とすっきりとした結末はありません。なんとかこんとか日常をやりすごしていく様子が描かれているのがリアルです。
私が子育て中に感じた不条理や困難も別に解決されなかった。ただ子どもが成長したから解決していっただけ。とにかく「今が一生続くわけではない」と自分に言い聞かせてなんとかやりすごしたのです。

そんな自分の半生も振り返り、いろいろ話したくなる小説でした。
「これは私」と思う女性たちが多数で、一大ムーブメントになったことも納得です。

最後に

 以前FBで書いたことがあるのですが、私は基本的に自分はマイノリティーとは言いきれないと思っている。まず、右利き、そして健常者、シスジェンダー、社会的な立場を持っていることなどから。

ジェンダーの観点から、嫌な思いもしたりいまだに「なんなの…」ってことももちろんありますが、特権を持っている立場であることも認識しているつもり。なので、自分が弱者、被害者みたいに振る舞うのもちょっと違うとも感じている。

どっちかと言うと加害者になる心配をいつもしている。ジェンダー関連の本を読むとなんだか自分が責められている気にすらなる。職場には女性がたくさんいるし、若い女性を守りたい気持ちも満々なのですが。
マイノリティ寄りマジョリティ?!でも誰しもどちらの要素もあるのだろう。

そんな中でジェンダーや差別などについて発言したりするのはとても勇気がいるし、気を使う(おじさん的立ち位置)
そういうおじさんはいらんこと言うな!(せめて人を傷つけないために)と以前読んだアルテイシアさんの本に書いてあった気がする。黙りたくないなら勉強しなさいと。
黙ってた方が無難な気もするけど、黙りたくないし、仕事にも必要なので時々ジェンダー関係の本などを読んでいるのです。
しかし、何かが起こった時、それは本当にジェンダー問題なのか?というところからわからない時がたくさんある。

ジェンダーバイアスに関心があり、いつも世の中に怒っているハタチの長女。
私のアンコンシャスバイアスにもとても敏感で時々発言を訂正されます。
負の財産を残さないよう、私も勉強していきます。

※この本の最後にある解説、作者や訳者のあとがきもとても良いです。ある強烈なミラーリングがこの本の中にあることが明かされています。










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