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いまさら読書感想②『草枕』——「非人情」という最高の贅沢
現代社会は情報に溢れ、感情を刺激する言葉が飛び交っている。SNSでは「共感」が価値を持ち、企業は「エモさ」を売りにする。感情が次々と流通し、消費されるこの時代において、夏目漱石の『草枕』は、一世紀以上前に書かれたにもかかわらず、驚くほど現代的な示唆を与えてくれる。
本作の核心となるのは「非人情」という考え方だ。これは冷淡さを意味するのではなく、人間関係のしがらみや感情の起伏から一歩距離を置き、世界を美と知性のフィルターを通して眺める態度を指す。現代に置き換えれば、それは「感情の消費からの解放」であり、「情報の洪水の中で静寂を確保する術」に他ならない。
本作の主人公である画工は、熊本の山間の温泉地を訪れ、芸術と哲学の思索にふける。彼は人々の営みを外から眺め、積極的に関与せず、ただ観察する。その姿勢は、現代の「デジタル・デトックス」にも通じるものがある。スマホを置き、ニュースを遮断し、SNSのノイズをシャットアウトすることで得られる静けさ。それは、無意味な感情の応酬に疲れた私たちにとって、「非人情」という名の贅沢なのではないか。
『草枕』のもう一つの魅力は、その詩的な文体だ。漱石の描く自然は、単なる風景描写ではなく、哲学的な思索の触媒となる。例えば、
「山路を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」
この一節は、人間関係のバランスについての洞察を凝縮した言葉だが、同時に現代の「生きづらさ」にも響く。理屈を前面に出せば攻撃的とみなされ、感情に流されれば利用され、自己主張を強くすれば排除される——そんな社会の息苦しさを、漱石は100年以上前に見抜いていたのではないか。
さらに、本作に登場する那美という女性は、ただの美の象徴ではない。彼女は、画工が「非人情」を貫こうとする中で、その理想を揺さぶる存在として描かれる。理屈では測れない人間的な感情の複雑さを体現し、「完全な非人情は可能なのか?」という問いを読者に突きつける。この点において、『草枕』は単なる逃避の物語ではなく、「感情と距離を置きつつ、それでもなお人とどう関わるか?」という、現代にも通じる課題を提示している。
結局のところ、『草枕』は「美しい距離感の哲学」とも言える。感情を消費し尽くすことなく、しかし完全に排除するのでもなく、どこか余白を残して世界と向き合う。その姿勢は、「共感疲れ」や「情報疲れ」に悩む私たちにとって、一つの生きる指針となるかもしれない。
『草枕』を読むことは、単なる文学鑑賞ではない。それは、「非人情」という極上の贅沢を味わいながら、感情に振り回されることなく、美と知性の中に静かに身を置く時間なのだ。
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