日曜日の本棚#16『嵐が丘』エミリー・ブロンテ(新潮文庫)【フラクタル構造の中で織りなす人間の愛と憎しみの物語】※ネタバレあります
毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
2023年、最初の「日曜日の本棚」は2月末になってしまいました(;´・ω・)
前回はこちら。
今回は、世界三大悲劇のひとつであり、世界十大小説のひとつであるエミリー・ブロンテの『嵐が丘』です。
12月頃に読み始めて、忙しさもあり、読了は越年。さらにレポートとして考えがまとまらず、結局入試対応が終わったこの時期になってしまいました。
ただ、私のような文学シロウトには、当然だとも思います。難読であり、難解な小説。一方で、多くの文学者を虜にした小説であることは納得の一冊です。
『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテの妹であるエミリー・ブロンテの生涯唯一の作品。30歳で早世した作家の不世出の名作です。
映画版の『嵐が丘』も有名ですが、小説の前半部分を映像化しています。映画も観ましたが、白黒なのに映像が美しいですね。
今回、鴻巣友季子さん訳の新潮社版で読みました。鴻巣さんは、タイトルの嵐が丘(ワザリングハイツ)に比して、スラッシュクロスに鶫(つぐみ)の辻という対訳をあてています。個人的にはとてもいい訳で、しっくりきます。なので、スラッシュクロスは、鶫の辻と表記しています。また、↓にはネタバレもありますのでご注意ください。
◆徹底した対称構造
本作は、徹底した対称構造になっている。タイトルの嵐が丘からそうで、嵐が丘(ワザリングハイツ)と鶫(つぐみ)の辻(スラッシュクロス)の「屋敷」、嵐が丘のリントン家、鶫の辻のアーンショウ家の「家」、そして母キャサリンと娘キャサリン、父ヒースクリフと息子リントン・ヒースクリフという「親子」、そして何より荒々しい荒野を舞台で人間が織り成す世界が、「自然」と「人工(人為)」として設定されている。
このように作中のあらゆる事柄が対称構造になっている。それは、数学のフラクタル構造ともいうべき構造であり、それが可視化できる外面だけでなく、人間の内面にも見てとれる。ヒースクリフの内面の宿る「愛」と「憎悪」もまた対称構造であるし、キャサリン(母)の内面も「純愛」と「打算」が対称となっている。
本作は、二世代に渡る長い時系列の物語であるが、ヒースクリフの視点で見れば、キャサリンの生前と死後の対称構造になっている。本作は前編、後編に分けられている(※新潮社版は合本)が、キャサリン(母)の生前、死後が本作対称構造の最も大きな柱なのであろう。
それは、ヒースクリフにとってキャサリン(母)は、実存と概念の対称構造にもなっている。
作者、エミリー・ブロンテはどこまでそのような企みを持って本作を造形したのかは、今となってはわかないのかもしれないが、多くの文学者がこの作品を夢中になって理解しようとしたことはとてもよくわかる。それほどの魅力にあふれる構造である。本作は構造に力が宿る作品なのである。
◆引き裂かれる感情
人間の感情は、対称構造となる概念として、簡単に分離できないものでもある。この不可分性もこの作品の重要なテーマである。ヒースクリフのキャサリン(母)への愛憎しかり、キャサリン(母)のヒースクリフへの愛情しかりでもある。対称構造に主要人物を放り込み、人間の感情を可能な限り、最大限の幅で描いている。その意味で、キャサリン(母)、ヒースクリフは一人の人間の感情の可能な限りの表現の体現者となっている。双方が心を病んで死に至るのはある意味必然と言える。激しい感情を持つ登場人物は、一人称では描き切れず、家政婦ネリーの視点で描かれたのは必然と言えた。
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