ふじわらののぶのりさま
ふじわらののぶのりさま
おのののかと同じ数だけの「の」を持つ平安人(へいあんじん)のあなたに、
今回一筆認めさせて頂きましたのは、依頼人たっての希望にございます。
私(わたくし)は、依頼人より代弁を承りました。ただの命あるのみが特権のおなごにございます。
あなたは紫式部の弟(もしくは兄)であるにも関わらず、
惚れたおなごに自分の言葉で、自分の字で、
自らの行動によって “想いを伝える” という、
いつの時代においても貴賎上下の差別なく、誰もが緊張し、誰もが誰かを応援したくなるような胸を焦がす感情を、
その想いを、
あろうことか 赤の他人に “代筆” してもらうというあり得ない行為におよびましたね。
あり得ない。ほんと、あり得ない。マジ、それないわぁと。・(つД`)・゜・
依頼人がぼやくのも無理もありません。
おまけに代筆を頼んだのが、よりにもよって“清少納言”の父ちゃんとは。
ただでさえ、ばちばちやっている所にややこしい事を。
その上 あなた、代筆は身内に頼まなかったにも関わらず、いい歳を重ねた大人が、自分に来た恋文を身内に見せびらかしていましたね。
女性読者様。いいえ、この不埒な所業に(はぁ!?( ´Д`))と思う当世の皆々様。吊し上げる縄のご準備は宜しいですか。
ややこしい所に頼むくらいなら、せめて、代筆は紫式部に頼みなさいよと、依頼人は仰っておりました。
確かにあなたが代筆を頼んだ清原元輔さまは、素晴らしい句を依頼人に送られました。
(百人一首42首:契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは)
後世にも残っております。
フラれたおなごに送った歌として清原様は素晴らしい代筆を認められましたが、そもそも代筆なんて頼むからフラれるのです。
依頼人は、
「後々起きた、東日本大震災で末の松山まで波が本当に来なかったから、偉大な言葉を残した先人は本当に素晴らしく、尊敬しかないわ。」とも言っておいででした。
さりとて。
さりとて、私に訴えかけてくるくらいですから、代筆ではなく、あなたの言葉がほしかったというのが女心というものでありましょう。
あなたがそのつもりなら、こちらにも考えがございますということで。
今回、依頼人の要望を承り、千年以上も時を越えて、目には目を。代筆には代筆をということで、なぜか命あるのみの身の上の私に白羽の矢が立ちました。
はっきり言ってとんだとばっちりの生け贄もいいところです。
まずは改めてあなたの代筆から。
返歌。
末の松山 手前の天城と時越えて 人も心もただの泡沫
「すごくすごく昔から
“二人の思いは末の松山でも越えられぬ”という決まりきった文句言いがあるようですが、そもそも末の松山( 宮城県多賀城市 付近)に足を運ばれたことはあるのですか。(京の都からみて)末の松山のずっとずっと手前 (静岡県)には、男と女が越えようとする天城峠があるのです。越えるだの越えないだの、千年の恋もさめるというもの。
波は、岩に打ち付けられて泡となり 水飛沫(みずしぶき)となり消えていく。
(鴨長明の方丈記ように)浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びていくもの。人も心も同じなの。
ふんっ( ̄^ ̄)」
という事だそうです。
あ~ぁ、如何するおつもりです。
早く返事をしないと、またややこしい事になりますよ。
次回は代筆はやめておいた方が宜しいかと。
え、なにまた代筆を頼みたいですって?
皆々様お手を拝借、
よーお、キュッ。(縄の絞まる音)
# 恋はスピード 想いは光よりも速く進むもの
# 自分に来た恋文身内にみせるな
貞観地震 紫式部日記 藤原惟規
空蝉の弟のモデル
袖がしぼれるほどの涙量を未だかつて流したことない
やわらかく、くだらなく、おもしろく、さびない。
それではまたのちほど(* ̄∇ ̄)ノ
参考資料
●国語便覧 浜島書店
●こんなに面白かった「百人一首」 吉海直人観衆 PHP研究所