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その苦しみから解放されるために

割引あり

1.人生って何ですか?という質問

今までに聞かれた質問のなかで、もっともシンプルだったのが、「人生って何ですか?」という質問です。何の具体性もなく、ただ何ですか?と聞かれても、ちょっと答えに困ってしまいますが。

たしかそのときには「思い出を作りに来ているだけ」と答えました。来ていると言うと「どこから来てるんですか?」という話になりますが、それはお坊さんにでも聞いてもらうとして、たとえば仏教の輪廻転生が本当の話だとすれば、あの世からこの世に来て、思い出をたくさん作って、また戻るだけということになります。

ひとまずそれが本当の話だと仮定して、「思い出の数=その人の人生」だとも答えました。そうすると、「自分はいつも独りだから、孤独だから、あまり思い出が作れない」と言われました。

でもべつに思い出は、誰かと作らなければならないものではありません。独りでどこかへ出掛けて、何かに遭遇することも思い出ですし、独りで何かを見て、それを脳裏に記憶することも思い出です。

むしろ独りだから自由に、自分の好きなように動けるという、たいへん捨て難い利点もある訳です。人と一緒だから、誰かと一緒だから=良い思い出ではありませんし、人と一緒じゃなければ=寂しいでもありません。むしろ独りだからこそ、誰の目も気にせず思いっきり自分のままで、そのシチュエーションを心ゆくまで味わえるのです。

また良い思い出だけが思い出ではなく、良くなかったことも時間が経てば、それはそれで良い思い出にもなるので、良い悪い全部含めて「思い出の数=その人の人生」だと答えました。

恋人と忘れられないロマンチックな夜を過ごしたとか、外国で珍しい〇〇を体験したとか、奇跡的な出会いに感動したとか、思い出の質にこだわる人もいますが、そんなものはそう滅多にあるものではありません。

人生で右手で数えるくらいしかないのが普通ですよ?なので「思い出を作りに来ているだけ」という解釈では、思い出の質ではなく、思い出の数にこだわるのも、思い出をたくさん増やすひとつの方法です。

思い出数が多い=良い、思い出数が多い=エラいといった感じで、数だけ多ければそれでいいのです。あまりにも質にこだわりすぎると、こんなことでは思い出にならないとか、あんな所では思い出とは言えないなどと、出掛ける前から頭で考えて出無精になってしまうので、とにかく数が多ければそれで良しとします。

べつにわざわざそんな遠くまで行かなくても、誰かと一緒にいなくても、いつも独りでも、近所の公園でも隣の駅でも、それこそ外に出なくても部屋の中だけでも、一生の思い出はたくさん作れます。

2.生きるってどういうことですか?という質問

他にも似たような質問で、「生きるってどういうことですか?」という、人生を聞かれるよりも、さらに答えるのが難しい質問もありました。それに対しては、「寝て起きること」と答えました。寝たままだったら、死んでるのと同じことですからね。

その子が「朝起きるのがとにかく辛いです」と言うので、朝起きたくないったって、病気で1年とか2年とか、毎日1日中寝てなきゃならない。もうこれからはずっと、朝起きなくてもいいよ。なんて言われたって、それもイヤだろう?だったら起きなきゃいけないんだよ。どっちかしかないんだから、と答えました。

朝なんか誰だって起きたくないし、それは大人だって子供と同じように、朝起きるのはツライです。しかしそれで起きたくない、仕事行きたくない、学校行きたくない、はまったくの論外です。

それが理由で学校に行かなくなったら、もうその先どうなるかは、考えなくても分かりますよね?壮絶なイジメを食らってるんだったら、行かないという選択も有意義だけど、それがないのであれば、行かない理由にはならない。そこは間違えないほうがいいです。

学校なんかほとんどの子が行きたくないんだから、ちょっとしたことで学校行きたくない、はいじゃあ行かなくてもいい、ではない。それとこれとは話がまったく違うので、親御さんも誤解のないようにしたほうがいいです。後で困るのは、その子自身ですから。

通えるのであれば、通ったほうがいいに決まってるし、朝起きたくないから学校行きたくないというのと、学校で何か深刻な問題が起きているのは、大違いです。

まあでも私が学校で役に立ったと思うのは、掃除の仕方を学んだことと、家庭科で裁縫を習ったことだけで、勉強といった意味では、まったく役に立っていないのも事実ですが、それでもやっぱり行かないよりは、行ったほうがいいですよ。友達との付き合いからは、色々なことを学べたので、それが一番の宝だったと思っています。

じつは目覚まし時計は、鳴ってからのほうがキツイんですよ。目覚ましが鳴るから、起きるのがツラくなる。目覚ましが鳴るから、ますます寝ていたくなる。

なので本当は目覚ましが鳴る数分前に、自然に目を覚まして起きるのが一番理想的な起き方ですが、現実はなかなかそうカッコよくもいきません。そこでひとつ、まあまあオススメできる起き方の提案がありますので紹介します。

1)起きる時間の1時間前に携帯をセットします。
2)起きる時間の30分前に目覚まし時計をセットして、手の届かない場所に置きます。
3)1時間前に携帯の目覚ましが鳴ったら、止めてからタイマーを1時間後に鳴るようにセットして、またすぐ寝ます。
4)30分前に目覚まし時計が鳴ったら、起きて布団から出てアラームを止めて、またすぐ寝ます。
5)1時間後にセットしておいた携帯のタイマーが鳴ったら、こればかりは決死の覚悟で必ず起きます。

上記の流れの中で、途中で目が覚めてしまったり、もう起きれそうだと思った場合には、迷わずそこで起きてください。その自然に目が覚めたタイミングで起きるのが、もっとも調子が出やすくなる起き方だからです。

これなら目覚めが良くすぐにやる気が出ますし、1日を通して脳も働きやすく、疲れにくい1日になります。

もちろんこんな方法をわざわざ取らなくても、普通に起きれるのが一番良いですが、どんなに朝が苦手な人でも、さすがにこの3セット法であれば必ず起きられますので、寝坊の心配はもう必要ありません。

先の入院の話にもありましたが、朝起きれるだけまだマシなんですよ?もしそのまま起きなければ、それは死んだということだから。

朝どうしようもなく起きたくなくて、起きてから行くのが嫌でも嫌でも、行ったら何とかなる。案外その日はおもしろかったりもするので、子供たちは頑張って、朝起きてくださいね。

登校できない子、学校に行こうとすると体調に異変が起きる子には、案外おまじないが効きます。ちちんぷいぷいでもアブラカタブラでも、何かひとつおまじないを見つけてあげてください。

3.もしもイジメに耐えられなくなったら

イジメはまだ着物を着ている時代からあったそうです。つまり我々のひいおじいちゃん達が子供のころにもあったらしい。ここ20年くらい前から問題視されているイジメとは多少の違いはあれど、本質的にはあまり変わらないと思います。

もしもあなたのお子さんがイジメに遭っているとして、まだ高校生だとすれば、とりあえず卒業だけはできるように手配しておきましょう。サボって学校に行かなくなったのではなく、イジメに遭って学校に行けなくなったのだから、そのへんの事情を担任にも理解してもらい、上手く配慮してもらえるようお願いしておきます。

卒後は専門学校に入学するなり、頑張って大学に進学するなり、就職するなりで、その相手らと会わなくてもよくなれば、つまり環境さえ変われば、そこですべてがリセットされ、また希望を持って生きられます。

どうしても学校を休みたくない場合は、とにかく「卒業までのガマン」だと思って割り切るか、開き直るのもひとつの方法です。何もその状態が一生続くわけではないし、あくまでも期間限定でのガマンですから、寒い寒い冬が過ぎ去るのをひたすら耐えるのみです。

またむしろこういった苦難や苦境は、早いうちに経験しておいたほうが、後になってからがラクです。人生後半でキツイ目に遭うよりも、前半で苦しい目に遭っておいたほうが、将来的には良かったりします。どうせイジメの主犯格も周りのみんなも、後になってから、もっと大人になってから、別のもっと強烈な困難を食らうのだから同じことです。

ひとつだけ気をつけたいことは、親は絶対に一般論を言わないことです。もっとツライ状況にある人、たとえば事故に遭って半身不随になってでも、頑張って学校に行ってる人もいるだとか、病気で脳に障害を持った子でも、頑張って毎日学校に行っているなど、関係ない人を例に出して、だからあなたも頑張りなさいなどと言ってはいけません。

ましてや、その人達に比べればあなたなんかまだ良いほうだから、なんてことも言ってはいけません。あくまでも人は人です。そんな人もいるかもしれないが、この件には関係ない人のことですし、そもそも人間に基準なんてありません。

人と比較することでの基準、世間一般と照らし合わすことでの基準なんて、何の役にも立ちません。「こうあるべき」「世の中はこう」「普通は」「一般的には」などの正論、正しいとされている方向は、この件に関しては一切無視です。

また、子供が「死にたい」と頻繁に口にしていたとしても、「ハイハイ、分かったから」「またいつものね」と軽くあしらうのもよくありません。子供がまだ小学生や中学生だった場合、何?死ねない?だったら本当に死んでやろうじゃねーの!となって、じつは本人もさほど本気ではなかったのに、本当に死んでしまう場合もあるので、念のため注意しておくべきです。

4.親のエゴに苦しめられる子供たち

勉強をしっかりと頑張った子や、何かに打ち込んで一生懸命頑張った子には、その頑張りに見合った対価が与えられることは望ましいですし、当然そうあるべきです。

しかし3才から週7日も塾に行って、小学校から有名私立で、それができない子には将来がなくて、それができる子だけが良い境遇に就けるという社会は、全然いい世の中ではありませんよね。

それでも数年前にコロナがあったり、さらなるAIの導入化が世の中を席巻したりで、これまでの価値観が崩れたのは、じつは悪いことが起きたのではなくて、むしろ良い方向に向かっているのかもしれません。

昭和中頃からこれまで長年続いてきた、いい学校を出て、いい会社に就職しないと、全員失格!みたいなステレオタイプ的価値観が変わるには、それくらいの大変動や大転換がないと、そのレールから外れるのを恐れる親御さんたちの数を、なかなか減らすことはできません。

小学校から有名私立じゃなくてもいい世の中にしていく。そうじゃなくても大丈夫な世の中にしていく。そうじゃなくても活躍できる世の中じゃないと、親のエゴに苦しめられる子供たちの数は、いつまでも減らすことができません。

3才から週7日も塾に行って、小学校から有名私立でというのは、親が嬉しいだけであって、親が安心なだけであって、親が周囲に自慢したいだけであって、子供たちが楽しい人生ではないですから。

嫌がる子供に制裁のムチを打って、これはあなたの将来のためだからと諭しますが、内情は全然そうではなくて、本当は自分が周りから立派な母親だと思われたいだけなのです。

子供を周囲よりも優秀にすることによって、自分の何かを満たそうとしていたり、自身の劣等感の穴埋めをしていたり、自分ができなかったことの奪回をするために子を利用しているだけ。

しかし子供は間違いなく親に似ますから、母親に似て勉強が大嫌いな我が子に、それだけの量のプレッシャーを押し付けても、結局は子供が精神的に参ってしまって、チックを発症したり、始終爪噛みをしたり、アトピーになったり、不登校になったり、幼児うつになったり、小学校高学年なのに頻繁におねしょをしたり、最終的には引きこもりになったりといったように、予定とはまったく逆の結末に陥るケースが後を絶ちません。

むしろそういう境遇にいない子のほうが健康で、思春期も反抗期もちゃんとあって精神面も安定し、将来的にも精神疾患や自殺や軽犯罪を起こすなどの、難しい状況にはなりにくい傾向があります。

仮にですが、ご自身が京大やお茶の水を出たようなお母さんだったら、恐らくそういうことはしませんよね。子供に任せると思います。自分のDNAが信用できますから、我が子も信じられる訳です。

しかし週7日の塾に躍起になる母親は、ご自分の頭があまりよろしくないことをご自身が一番よくご存知だから、我が子の頭脳が信用できないというか、とにかく心配で心配でならない。

母親の言いなりにさせられている子供たちは、最初から最後まで苦しむことも多いので、そうじゃなくてもいい世の中になれば、母親たちもそれに執着しなくなります。

もっと色んな仕事の人が、普通に食える世の中になったほうがいいですよね。たとえば子供が家具職人になりたいとか、犬のトリマーになりたいと断固として譲らないとき、親が怖がるのは分かります。じっさい大変ですから、自営業は。

しかし絶対的な安定を求めてしまうと、そこから選択肢は一気に狭くなるため、親御さんたちは皆ガチガチになってしまいます。親が周りと比較した価値観、周りに影響された価値観で子供を追い込むことで、自分で物事を考えない無抵抗な生き物にしてしまう。

どうせ抵抗しても、どうせ主張しても無駄だという諦めによって、親に従って親の言うことを聞くしか選択がないという、ロボットのような人間になります。

しかしじつは、親自身は元々そういった方向性ではないことも多いのです。周囲に感化されすぎてしまって、周りを気にするあまりに、自分が本来培ってきた価値観を見失っているケースも多々あります。

これはある意味洗脳と一緒で、それに囚われているから、それしかないと思っているから、子供が元々持っている、子供が本来持ち合わせている可能性を潰してしまってることに、いつまでも気が付けません。

子供が30才や40才になってから、ようやくそうだったことに気がついても、その子が苦しんだ25年間は、残念ながらもう取り戻せないのです。

5.子供の自信は親次第

子供が中学受験に落ちた、高校受験に落ちた、大学受験に落ちた、かなり落ち込んでる様子、毎日劣等感に苛まれて、自分はダメ人間だみたいな発言が増えている。

さて、ここで親はどうすればいいか?どのような態度を取ればいいか?子供とどう接すればいいか?分からなくなることも多いですよね。まずここで親が一番最初に取るべき行動は、まったく落ち込んだ素振りを見せないことです。

そこで親が一緒になって落ち込んでたら、やっぱり悲しませてしまった、親に悪いことをした、ガッカリさせてしまったなど、ますます子供が自分責めをするようになります。

そして自分は何をやってもダメだ、自分なんか生きる価値がないといったように、劣等感の思考がクセになって、さらに自分に自信が持てない子になる。

なので受験に落ちて落ち込んでいる子供に対しては、むしろ喜んで見せてもいいくらいです。これがたとえば小学受験であったなら、子供の意志で受験する訳はないですし、親を喜ばせようとしてやったことなんだから、なおさら喜んで見せたほうがいい。

落ちたときにも豪勢なお祝い、高級レストランに連れて行くなり寿司でも取るなり?なんで落ちたのにお祝いするの?と聞かれたら、どんなに一生懸命に頑張っても手に入らないものもある、どんなに努力しても負けることもあるということを、ここで学べた。それはかけがいのない経験。

社会に出てから役に立つことを、すでにここで学べた。なのでむしろこれはラッキーでもあり、ある意味運が良かったと考えてもいいので、祝うべきことに該当する。落ちて良かったと考えてもいいことだから祝う。

受験に落ちたことについては、残念だったねとは言わず、いい勉強になったね、いい学びをしたね、と言ってあげるといいです。

親が喜んでると、親が楽しそうにしてると、子供も傷つかないし、自分責めばかりするような思考にはなりません。勘違いでも自分に自信を持って、何にでも挑戦できる子供になっていくので、本当は落ちてしまったことは心底ショックだし、親としても残念で残念で仕方ありませんが、ここはひとつ大芝居でも打って、努めて明るく、気丈に振る舞うことです。

小学校低学年から毎日塾通いで、学生生活のほとんどが受験受験の連続で、大学入学まで勉強ばっかりの日々もいいですが、勉強も仕事も言われてやってるうちは、決しておもしろくはなりません。

ただ怒られないように、こなすだけになってしまうからです。なのでもう高校生にもなったら、自ら進んでやりたくなるようなことを、ひたすら勉強すればいいと思いますよ。学校の勉強じゃなくても。

そしてゆくゆくはそれを仕事にすればいい。別にもうこのご時世では、二流三流の大学を出てるだけでは、あまり意味はないかもしれませんし、逆に三流の大学を出てしまってるほうが、よっぽど足かせになるかもしれないので。

それだったら高卒でもいいから、確固たる専門知識を身に付けていれば、よっぽど就職先も多いと思いますよ?それこそ特定の専門分野に特化したベンチャー企業で、それが自分が得意とする分野で、それについては誰にも負けないくらいの知見があれば、高卒でも喜んで採用しますよね。ちゃんとした大学を出て、普通の会社に新卒で入った人よりも、よっぽど高給取りにもなりますし。

多くの親は手堅いルートを望みますけど、親が喜ぶルートと時代の変化は、同期しません。親が求めるからといって、10年前に銀行に就職した人は、やられた!と思ってるんじゃないですか?

昔は「子供が銀行に就職した!」といったらもう、親の自慢話のネタだったのが、いまじゃ大量リストラの恐怖で毎日転職のことばかり考えてる、もっとも損なクジを引いた人?みたいな時代になりましたから。

まさか!と思ってるでしょうね。まさか銀行に就職したのに、公務員並の保証が得られると思ったのに、10年目で再就職だなんて!裏切られた!社会に!時代に!

コロナもあったし、それ以前からAIによる時代の変革もあったので、学校選択でも仕事でもそうですが、親が喜ぶルートじゃなくて、自分が夢中になれる道を見つけて、その知識やスキルを活かして、特別な存在になったほうがいい。自分が風邪で休んでも、隣の席の人が代わりにできるような仕事ではなくて。

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