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新しく生まれ変わっていく
何かを習得したりする場合には、ルーティンからの習慣化は大切だったりする。
ただ、これがマンネリした単なる繰り返しとなることは、危険な側面も持っていたりする。
コンフォートゾーンと呼ばれるエリアで固定化されると、今度はそこから出られなくなってしまったり、自ら硬く分厚い壁のようなものを作ってしまったりするからだ。
私のイメージでは、コンフォートゾーンは定期的にその外側へ出て、意図的に広げる行動を取らないと、どんどん狭くなっていく気がする。
自分では同じラインを維持しているつもりでも、知らないうちにそれは狭くなるのではないだろうか。
その狭い世界では、エコーチェンバー現象も起こりやすいため、少々危険な状態にあったとしても、そのことにすら自分で気付けなくなってしまうから恐ろしい。
年をとると、頑固になって、さらに閉じ籠るようになるのは、恐らくこのせいだ。
日々、新しい何かに挑戦し、別の何かに取り組み、次世代の道を広げておいてあげるためにも、ミドルエイジの今のうちから、色んなことをやっておいておきたい。
だからこそ、私は常に、新しく生まれ変わっていきたいのだ。
そんな風に意識していても、周囲の変化にはなかなか追い付けないものだが、それでも何もしないよりはマシだったりする。
が、意外にもこれらの挑戦は容易ではなかったりもすることも事実。
コンフォートゾーンを出ることを難しくしているのは、出ようと思ってみても、行動の選択肢というものが、自分の持っている記憶などからしか引き出せないからだろう。
長年同じ会社に勤めて、辞めた途端に何をしていいかわからず、そのタイミングで妻にすがりついてしまい、熟年離婚へ向かってしまうのは間違いなくそれが原因だ。
私はまだミドルエイジで、数年前に離婚して妻がいなくなったが、それでも子供がいてくれたから、子供に引き回されたおかげで、沢山の知らないことを学んだ。
だが、思ったよりも早くピンチは訪れた。
子供が自分で行動を選ぶようになり、徐々に私のサポートを必要としなくなった頃から、私は何をしていいのかわからなくなった。
そのうち、「何かをさせてくれ」と自分から求めるようにもなっていたが、これこそ先程の例にあげた、すがりつく行為でしかなかった。
まさしく、ミッドライフクライシスというやつだ。
「もういいんだよ」
と言ってくれているのに、何をしていいのかが本当にわからない日々が続いた。
当時は、「面倒なこと」と感じていたことも、それが自分を成長させ、行動範囲を広げてくれていたことに後から気がついたのだ。
出ていった妻や、わがままを言って甘えてくれた子供に感謝の気持ちが沸き上がったと同時に、「このままではいけないな」とも感じ始めた。
その頃から、色んなことに挑戦していくようになった。
もちろん、始めのうちは「失敗すること」を過剰に怖れてしまっている自分もいた。
けど、繰り返すうちに、それは慣れた。
不思議なもので、何度も挑戦して失敗していくと慣れるものだし、それは当たり前のこととして捉えられるようになる。
上手くいくかどうかの成功率を上げたいなら、試行回数を増やすしかないと理解し、何でもやってみている。
分母の数が大きいほど、それに比例して、分子となる、成功する、うまく行く、楽しく過ごせる数は増えていくはずだと思っているからだ。
そして、今日という日。
とにかく、コンフォートゾーンを出るための行動指針は、「いつもはやらないこと」にあるため、何とかひねり出してみた。
思い出したのは、市内の書店が今月末で閉店するということ。
目的は、本を買うことよりも、「とりあえず行ってみること」にある。
ということで、草刈りが一段落したタイミングで行ってみた。
他の場所でも感じることだが、本当に人口が減ったなと、肌で感じた。
もう何年も立ち寄っていなかった書店。
そりゃこんな状態で、こんな店構えだとやっていけないわな。
そんな印象だった。
真っ直ぐに、吸い込まれるように向かったのは、ビジネス書と自己啓発系の並ぶコーナーだ。
昔は雑誌か漫画コーナーへと一直線だったが、私も随分変わったなと感じた。
作家さんの小説やラノベコーナーも見て回ったが、特に気になるものはなかった。
目に止まったのは、京極夏彦さんの「百物語」くらい。
買うには至るはずがなく、ビジネス書の表紙やタイトルを眺めながら、手にとってパラパラめくったりする。
一番気になるものは、柳井さんの「ユニクロ」とイーロンマスクの自伝。
けど、さすがにお高いので手が出ない。
しばらく色んな本を物色して、他にも気になるものは数冊あったが、書籍はそれなりにお値段がするので、引き返して出ることにした。
けども。
「本当にいいのか?」
誰かがそう言っている気がした。
再びコーナーへ戻り、直感に任せて何冊か手に取ってみた。
手元には、三冊があった。
それらを開き、値段を見る、を何度か繰り返していた。
少しだけ中身に入り込んでみようと試みると、思った通り、世界が変わった。
そう感じた瞬間に、その三冊を持ってそのまま会計を済ませて店を出た。
成田悠輔さんが言っていた、「あえて受動的に何かをやってみる」の足掛けとなるものがここにあった。
そう感じたのだ。
コンフォートゾーンを出るキッカケを、タイミングを、いつも身近にいる誰か、人に求めてしまっていた。
本は情報の宝庫で、私の知らない沢山のものに触れられる最高の材料だ。
そのことも、私は忘れてしまっていた。
三冊も買えば5000円近くは払うことになるが、借りにもし、これが人生のベクトルを変える起点、何かのターニングポイントとなってくれるなら安いものだ。
YouTubeの動画も役に立つが、書籍はそれとは違ったものがある。
読書から離脱した時、「こんなもの読んでるよりも、今すぐ行動だ!」と私は飛び出していった。
けど、やはり行動だけでは限界もあるし、いつもソロで動くのだから、行動範囲も知識もそれ以上は広がるはずがない。
それでも、いつも生まれ変わりたい私は、再び読書習慣を生活の一部に組み込むことにした。
アウトプットに専念してきた期間も終わり、今は次のアウトプットのための、インプットのタイミングなのかもしれない。
どんな本を手に取り、読んでみて、それらをどのように活かしていくのかは、今後の展開を楽しみにお待ち下さい。
長々と続く前置きと、ただ「本を買った」というだけのエピソードを、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
では、善き人生を。