ピンクは男児の色、ブルーは女児の色だった
「ブルーの服を着た赤ん坊は男の子、ピンクの服を着た赤ん坊は女の子」
この概念はどうやってできたのか。ピンクとブルーは、どういう流れで、赤ん坊の性別を表すようになったのか。
以下、アメリカの話。
「元祖」
1800年代後半、ベビー服は、ファッション性よりも機能性を重視してつくられていた。
赤ん坊は、性別に関係なく白い服を着せられていた。白は汚れが目立つんじゃ? → 漂白剤でガッツリ洗えた方がラク。男児にもワンピース状のものを着せていたらしい。→ オムツ替えが楽。
「第1波」
時代が進むにつれ、ベビー服に、ピンクやブルーなどのパステルカラーが登場。
子ども服にもファッション性が求められるようになった、と言っていいのかどうか。
需要が先だったのか。供給が先だったのか。
販売側は、ジェンダー・ノーマル = 男女の規範を生み出せば特定のベビー用品を買わせることができる、と考えた。
「普通こう」(ピンクとブルー)という概念を与えれば、みんなそれに該当したがるだろうと。「異常」(白)を避けたがるだろうと。
流行遅れだと思われたくない、というような心理をついたとも言える。
1910年代の雑誌の内容。「一般的に受け入れられているルールは、男の子はピンク・女の子はブルーです。ピンクはハッキリした色で男の子向き。ブルーは繊細な色で女の子向き」
「第2波」
1940年代には、現在と同じ概念、ブルーや寒色は男の子・ピンクや暖色は女の子となっていた。
赤ん坊や幼児の服が「大人の服をそのままミニチュアにした」ようになったことに、関連するらしい。
成人男性の衣服で、ピンクが主流ということはなかった。成人女性の衣服では、暖色のものが目立っていた(柄入りで花柄などか)。
子ども服がさらに立派やオシャレになった、ということ。
「第3波」
60年代から70年代にかけて、女性運動やフェミニズムが台頭。この頃は、赤ん坊にもユニセックスな服を着せる流れが起こっていた。
この運動に参加した人々は、女の子に “女の子らしい” 服を着せることは、その子の社会的な成功を狭めることになると考えたりしていた。
実際には。白 → 男児ピンク・女児ブルー → その逆 → またその逆もしくは白……と、コロコロ入れかわっていただけなのだが。
自ら選択したのだと思って疑わない、消費者たちを見よ(自分を鏡で見よ)。
「第4波」
1980年代は、ジェンダー志向の子供服が再び戻った。
この原因に、①洗濯技術の向上 ②出生前検査の登場 ③40年代の子供世代は80年代の親世代 が考えられるという。
③は単純で、自分たちの幼少期と同じ格好をさせた。
①は
色とりどりの衣類をいためることなく、洗浄や漂白できるようになったため。これは、ピンクとブルーだけである必要もない。
②は
先に子どもの性別を知れるようになった親たちは、その性別に「あう」色の商品をこぞって買うだろう。と、こう販売側が予想したため。
具体的に何をしたかと言うと。ひとつ前に仕かけた流行を復活させて、強調しただけ。
今度は、ピンクは繊細な色なので女の子用・ブルーは丈夫なので男の子用、と宣伝した。
〇〇だからの部分には、所詮、何を代入したってよかったのだ。
現に、誰がこれを言い出したのかもわかっていない。形容の部分には大した意味などない。
この “流行” もそろそろ飽きられるかな。刺激を与えるために、いっちょ変化球を打ってみようか。どんな変化球か。ただ、反転させてみるだけ。または、大過去をリバイバルさせてみるだけ。
「流行は繰り返す」の説明がここにある。
しかし。世界中で起こった全ての流行が、このようであるわけではない。少年少女などのエネルギッシュな想いから生まれた・ストリートからリアルに生まれたなどの例は、複数ある。例)日本のルーズソックス。ヒップホップなど。