獄中で“生まれた”数学の天才
殺人罪で25年の懲役刑に服している、クリストファー・ヘイヴンズ氏。
彼の独房の壁や床は、数字や記号が書かれたメモで埋めつくされている。
2010年のこと。
仕事のシフトを減らされ、金に困った1人の男が、麻薬の売買に関わりはじめてしまった。30代のシングル・ファザーで、複数人の子供を育てていた。
麻薬を売った相手とイザコザになったあげく、男はその人物を殺害してしまった。
後に、彼はこう語った。
「今にして思えば、何が起こっていたのか。私自身もドラッグをやっていた。パラノイアの霧の中で、現実と幻覚の区別もつかなくなっていた。だが、現実だった。私はとり返しのつかないことをした」
男の名は、クリストファー・ヘイブンズ。
ある日、刑務所の職員が、受刑者たちに何かを渡してまわっていた。「ミスターG」と呼ばれる職員だった。
数学の問題が書かれた1枚の紙だった。
何日か気まぐれにチャレンジしてみたヘイブンズだったが、あることに気がついた。たとえ長い時間がかかっても、自分は、必ず答えを導きだすことができる!
夢中になった。
毎日、添削されたものが返ってきて、新しい問題がもらえた。寝ずに考えた日もあったし、寝ても数学の夢をみたそうだ。
もっともっと難しい問題を、と望むようになった頃。ミスターGは、彼に1冊のノートを手渡した。そこには、Gからのメッセージが書かれていた。
「君はもう私の能力を超えている。幸運を祈る」
こんな自分でも、いつか、社会の役に立てる日がくるかもしれない。そう、ヘイブンズは思ったという。
25年の歳月を数学に使うことを、決意した瞬間だった。
彼の希望は実現する。実現するのだが……
「社会の役に立つ」この目標を、とんでもないレベルで叶えることになるのだ。
ヘイブンズの学歴は、高校中退。
母親は覚えていた。息子が小学生の頃、どれだけ算数が得意だったかを。
さらに、母は語った。
「息子は決して人気者ではなかったし、少し不器用な子でさえあった。私たちは、家庭の事情で度重なる引っ越しをした。
息子は、新しい環境にとけこむためなら、何でもしていたように見えた。いつしか、仲間にうちとけたいあまり、アルコールやマリファナやLSDをやるようになった。
麻薬売買にかかわってしまったのも。少年期にドラッグに親しんでしまったことと、無関係ではないと思う。
最初の息子は、ただ、友達をつくろうと必死なだけだった」
ヘイブンズは、三角法・微積分・超幾何関数などを独学で学びはじめた。数ヶ月もすると、さらに高度な問題に挑戦しだした。
他の受刑者たちも彼の変化に気づくようになり、「お前は俺たちの仲間じゃない」と言ったりした。
ヘイブンズは「その通りだ」と返した。
もう、以前の彼とは違っていた。道を誤ってでも無理につきあって、友達をつくろうとしていた彼は、もう存在しなかった。
コンピューターへのアクセスは制限されていたため、ほとんど手作業で計算していた。パターンを見つけようと定理を書き出した紙は、時に、膨大な量になった。
2年が過ぎる頃には。世界のプロの数学者たちと、コンタクトをとるようになっていた。イタリアの大学などへ、自分の研究を郵送したりしていた。
彼は、添削を求めたつもりだった。
自分の追い求める数学の問いに、いまだ答えがないことなど、知る由もなかった。(ヘイブンズはググることもできない)
最終的に。ヘイブンズは、紙とペンだけで、ユークリッドから今まで 人類が悩み続けた問題を解いてしまった。
受刑者が、刑務所内で、古代からの難問を解いてしまった。
2020年1月。彼の最高傑作は『Research in Number Theory』誌に掲載された。
刑務所では友達ができなかったが。世界中の数学者たちに “友達” ができた。
解にたどりつくその創意工夫に、大勢が、感銘を受けたという。
ある学者は気づいていた。「彼は、明らかに、数学の基礎教育を受けていない。見ればわかる。だからこそ、たどりつけたのかもしれない」
ある学者は思い出し笑いをした。「なにせ全て手書きだったものだから、郵送されてきた時、とても目立っていたよ」
ヘイブンズの発案で。非営利団体「PMP」が設立された。刑務所内で数学が学べるプロジェクトが、展開された。全米に拡大中だ。
服役中のトラビス・カニンガムさんは、数理物理学の研究論文を提出する予定。
添付のYouTube動画(音声)は、クリストファー・ヘイブンズ氏が刑務所内から、ポッドキャストの番組に出演したもの。
サムネには、彼の囚人番号も載っている。彼の犯した罪は、なかったことにはならない。
しかし、彼はこう考えたのだ。繰り返す。「こんな自分でも、いつか、社会の役に立てる日が くるかもしれない」
服役という罰よりもずっと、数学は、彼に罪をつぐなって生きる道を与えたと思う。
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