25人を処刑台におくった少女らの虚偽告発
古英語の「wicca」現代英語の「witch」
イングランドのオカルティストのジェラルド・ガードナーは、ある老婦人の導きで、特殊な宗教的儀式に参加するようになった。そして、1954年に『今日の魔術』という本を出した。
彼の主張によると。ウィッカは、欧州先史時代の多神教の生き残りであると。ウィッカは女神を特に崇拝する。
ウィッカのコミュニティーでは、男性もウィッチと呼ばれる。ウィッチ = 魔女というのは正しくないのだ。
だが。やはり、ウィッチは魔女で正しいのだ。
どういうことかというと。
ウィッチ裁判の対象となったのは、社会の最も周縁的な人々だった。そのほとんどは女性だった。「魔女」狩りや「魔女」裁判。これらの言い方は事実に反しないのだ。
以下、ヨーロッパではなくアメリカの話をする。
1700年代までに、英国の植民地としての「アメリカ」は、3つの地域にわかれていた。ニュー・イングランド、中部植民地、南部植民地。それぞれが異なる地理的・文化的特徴をもっていた。
ニュー・イングランド地域は、地形や気候的に、大規模な農業経営には不向きだったが。漁業が発達していた。入植者の多くはピューリタンだった(後で詳しく解説する)。
ちなみに。現代で言うニュー・イングランドは下の図だ。マサチューセッツ州の一部だったメインが、ミズーリ妥協の一環として、1820年に独立州になったなど。違いがある。
1638年~1725年まで、定期的にウィッチ裁判 が行われていたニュー・イングランドでも。
ウィッチだとされた344人の内、78%が女性だった。男性がウィッチの容疑をかけられる時は、告発された女性の関係者であることが多かった。夫や兄弟など。
「ピューリタン」本人たちが自らをこう呼ぶものではなかった。彼ら彼女らは自分たちのことを「敬虔な者」「告白する者」などと自称していた。
Puritanism という言葉の由来は、Purity(清潔・潔白)だ。かつてはと言えばいいか、現代でも考えようによってはと言えばいいか。潔癖者という方向性の蔑称だった。
プロテスタントの中でも、徹底的にローマ・カトリックの影響をとりのぞこうとした人たち。プロテスタントとしての行動や思想が熱心で激しい人たちが、そう呼ばれていた。
ピューリタンの中でも、求める改革の強度によって、さらに諸派にわかれる。国教会内部からの改革を目指した長老派。分離も辞さなかった分離派。分離派の流れをくむ独立派。
このことをよく知らない人でも、もう続きの想像がつくと思うが……
初期アメリカ入植者としてニュー・イングランドを形成したのは、分離派だった。自分たちの考え方や生き方をつらぬきたいから国を出て行きます!と。ガチめな人らだったのだ。
良い意味でも悪い意味でもーーと言わざるを得ない理由のトップが、そう、魔女裁判である。
彼ら彼女らはベースが厳格なのだ。
子を産み育て・家庭を管理し・夫に従順であること。女性がそれらの役割から外れようとすると、標的になりやすかった。
富が多すぎると、罪深い利益を得ている。逆に少なすぎると、悪い性格を示している。子どもが多すぎると、悪魔と取引をしている。逆に少なすぎると、女の責任を果たしていない。
つらみ。
ニュー・イングランドであった魔女裁判の、実例を見てみよう。
一体どれだけの人々(多くが女性)が処刑されたのか、概ねの数さえ諸説ある、中世ヨーロッパと比べ。ずっとまともに記録が残っている。
以前書いたものは、ヨーロッパでもピンポイントに地域をしぼったものだった。この話の中の被害者ら(狼男や魔女だとされた)は、名前も年齢も定かでなかったりした。
例① 結婚していたが、子どもがいなかった女性。隣人のほどこしに頼って生きていたが、感謝が足りなかった。不快な女だと噂になった。(だろうね笑)
隣人たちが彼女を魔女として告発。裁判所は彼女に無罪判決を下した。
例② 裕福な男性の妻であり、9人の子どもがいた女性。原因はわからないのだが、横暴な態度の女だとみなされた。
近隣住民が彼女を魔女として告発。彼女も無罪となった。
全く異なるパターンで、いずれも無罪になっているのがわかるだろうか。
嫌われると魔女だとうったえられる世界、怖すぎる。それはそうなのだが。
(ニュー・イングランドを見る限り)疑われたが最後、というレベルではなかった。具体的な確率で言うと。93件の裁判で16人の「魔女」が処刑された。
後述するが。死刑にならずとも、拷問を受ける。
興味深いことに。
自分は魔術の被害にあったと主張したピューリタンのほとんども、また女性だったのだ。少なくとも最初に言い出した者の意味では、女性ばかりだった。
同性は仲間なのに。興味深くも悲しいことだ。
セイラム魔女裁判とは。
1962年に、ニュー・イングランドのマサチューセッツ州のセイラム村で起きた、魔女裁判だ。
約200人が魔女として告発され、処刑などで25人が死亡した。乳児も含まれていた。最悪だ。
私たちは魔術の被害者だと言い出したのは、10代女子の小集団だった。最悪だ。
(処刑など → 拷問中の死亡も1~2名いたそう。タイトルは少しまとめてしまった。ごめん)
ある牧師の2人の娘が、目に見えない何かにかまれたり・つねられたりしたと主張。近隣の家々の少女たちも、同じような感覚をうったえ出した。
牧師の家の奴隷が少女たちに魔術を教えたせい、とされた。
お察しだと思うが。
不安からパニック状態になっていた子がいた場合をのぞき、彼女らは偽りを述べていたのだろう。
ひくにひけなくなっていたなどと、擁護してあげたい気持ちはあるのだが。子どものしてしまったことと言えど……結果がこれでは……。
ある歴史家は著書の中で、その少女らを「下劣な悪党」と呼んだ。
アーサー・ミラーの劇『The Crucible』(邦題『るつぼ』)。
最初の告発者だった11才の少女が、既婚男性と不倫関係にある16才の少女に変えられて、描かれている。作中の魔女告発は、邪魔な妻を追いはらうためになされる。
私は、なかなかいい改変具合だと思う。現代にあり得る話にした方が、活かせる学びとしてはだが、絶対に効果的なのだから。
ティテュバという名の奴隷の女性がいた。彼女はバルバドス(アフリカ説もある)出身だった。
地元の他部族に誘拐され、農園に売られた。奴隷輸送文書に証拠が残っている。その農園の持ち主が亡くなり。彼女の所有権はマサチューセッツの牧師へ。
死刑になるべきでなかったのは絶対だが。
意図せず、少女たちに悪影響を与えた可能性はゼロではない。彼女の生まれはバルバドスだ。ティテュバが故郷のダンスを見せていたとすれば、地元の言い伝えを聞かせていたとすれば。少女らにとって、それらは全て奇異なものだっただろう。
何にせよ。うちの娘に魔術を使ったか?と問われても、答えは NO にしかなり得ない。「いえ、魔術じゃないですけど……」
ティテュバが最初に尋問された時、牧師が殴って彼女から自白をひき出した。今後何をどのように言うべきかの指導も、牧師が彼女にした。
真実はこうだったと、書き残されたものがあるのだが。たとえ、それが確証のもてるものではなくとも。
奴隷であり有色人種の女性であるという、彼女の立場を考えると。強要された部分があったことは、ほぼ確実だろう。
もっと言うと。自分の娘が虚偽の申告をしたということにならないために、父親(牧師)は、奴隷の女など簡単に見捨てただろう。
神だけは真相を知っている。本当に「魔術」を行ったのは誰なのか。
人間がアウト・グループに対して抱きがちである感情が、魔術だとされる慣習に向けられる感情と、それこそ悪魔合体した。
セイラムの魔女裁判はこのパターンで発生した。近代でも魔女狩りが起こった。
やや余談的になるが。
当時、「魔女の発見者」として、町から町へと旅をする男たちがいた。魔女を見わける特殊な力をもっていると。
彼らのサービスは、魔女を根絶したいと願っているコミュニティーから歓迎された。もちろん有料だったが、みんな支払った。
宗教狂信者というよりは、手っとり早く儲けようと目論む輩だった。
魔女裁判は、今日では根拠がないと思われる告発だけの問題ではなかった。魔女裁判は、立場の弱い少数派が標的になることを許すような、法制度の問題でもあった。
中世で告発されたウィッチは、特定の社会的プロフィールに当てはまることが多かった。年配の女性や未亡人など。有色人種の奴隷がいなくとも。誰かが「そのポジション」になるだけだ。
想像してみようか。オッドアイ・アルビノ・特徴的なアザのある人・赤毛・占い師・珍しい生業の人……いずれ自分の番がまわってくる。
不幸な出来事は、頻繁に、悪魔の存在や神の罰と結びつけられていた。農作物が不作になったり・流行り病にかかったり・災害に見舞われたりすれば。立場の不安定な者たちは、格好のスケープゴートに。
こんな記録もある。
医学が研究を通じて制度化されるにつれ、その世界に参加したがる女性を中傷する内容の手紙が、増えていった。その多くは、既存の学生らによって書かれていた。
医療ギルドに与えられた権利の侵害など、さまざまな主張がかかげられたが。要するに、いや、書かなくともわかるだろう。
魔女狩りは終わったが。2024年でまだ終わっていないこともある。
自分より賢いからという理由で女性から嫌厭される男性は、ほぼいないだろうが。その逆となると、途端に珍しくない話になる。
人間社会のことだけ気にしていたってダメだ。
10世紀からの約3世紀間、温暖な気候が続き。ヨーロッパは人口過密状態になっていた。13世紀末、気温が大幅に低下した。農作物の不作で大飢饉へ。
その30年後には、ペストで何百~何千万の人々が死んだ。
産業革命後の環境問題の深刻さは、この頃の比ではない。
異端審問所は、教会の公式教義と対立する諸宗派の台頭と戦うために、設立された。
カトリック教会を大衆の保護者のようにイメージさせるのに、ウィッチという概念はとても使い勝手がよかった。
たとえば。この時期の教会の魔女狩りへの熱狂は、現代の政治的対立者らが互いの危険性を煽ることで、支持層の忠誠心をつくり出そうとするのに似ている。
武器化された「我々 vs. 奴等」。
ル・ボンは言った。
“The role of the scholar is to destroy chimeras, that of the statesman is to make use of them.” Gustave Le Bon
彼はこうも言った。
“Are the worst enemies of society those who attack it or those who do not even give themselves the trouble of defending it?” Gustave Le Bon
みんなで手分けして、世界と地球のためにやることがありすぎる。こんなことにつきあってやる暇は全くなく、力をあわせねばならない。
権力者が正しくない時。本来、団結してそれに立ち向かうべきなのに。私たちは、まんまと分裂させられている。この一石二鳥っぷりに気づかないなんて、チョロすぎる。
みんなでなかよくすること。幼い頃もっていた智慧をとりもどそう。
『魔女に与える鉄槌』という本がある。1486年頃に、2人のドミニコ会修道士によって書かれたものだ。
主観だが。最も恐ろしい部分は、魔女の力を恐れないこと自体が異端行為である、と書かれているところだ(第1部)。
次に恐ろしいのは、この本がポケット・サイズだったことだ。これは折りたたみ傘じゃない。これはほとんど殺人ガイド・ブックだ(結果的にそうなる)。
第2部に、「魔女がインキュバスと呼ばれる悪魔と交わる方法」が書かれている。
インキュバス:睡眠中の女性と性交し、悪魔の子を妊娠させると信じられていた、男性の悪魔。
インキュバス(男夢魔)とサキュバス(女夢魔)。
incubo(ラテン語の男性型名詞)は、上にのしかかる者という意味。succuba(ラテン語の女性型名詞)は、不倫相手の愛人という意味。これは succubare(下に寝る者)に由来する。
当時、牛乳が魔よけに使われていた。枕元の牛乳を精液と思いこみ満足したサキュバスは、去っていくと。笑
どうせ、不義密通の言い訳に誕生したのだろう。もはや、悪魔もいい迷惑だ。
人間が、嘘と言い訳の時に発揮する多彩さには、目をみはるものがある。
『魔女に与える鉄槌』の裏表紙に貼られた蔵書票に、「当時の首長の斧とほぼ同じ興味をそそる」という、誰が書いたか不明の文言があったという。
深いね。
異端審問官などが、各地の最高位の役人の前に現れ。魔女を処罰することを告げる。正教会から破門されるなどの脅威にさらされた領主たちは、ほぼ必ず、異端審問官に協力すると答えた。
この紋所が目に入らぬか的なことを、まず行っていたのだ。
被告人が受ける「検査」とは拷問のことであった。
人に苦痛を与える方法の発見も、残念ながら、人類のとても得意とするところである。
以下は、魔女の尋問で使われたものではないが。
カトリック教会には、魔術に関する違反を断食と懺悔で罰すると、かたく決めていた頃があった。
つまり、それ以外の方法で罰してはならなかったのだ。人間を魔女として火あぶりにした者は死刑に処する、と規定されていたぐらいだ。
1326年にヨハネス22世が発行した、教皇勅書。その中にあったのが、魔術関連の物事を異端審問の管轄下にする宣言だった。
これは、彼が毒物を使った暗殺未遂の犠牲者になった直後のことだ、という説がある。
なるほどね。魔術と毒物か。リンクした。直感的にだが、この説は正しい気がしている。
今回は、何か〆の言葉的なものはない。
強いて言うなら。この世界がいくら間違っていようが、その構成員は常に自分含む私たちであり。人生とは選択の連続のことであるし、歴史とは大勢の選択の結果だ。