可能なるコモンウェルス〈48〉
イオニアにおいては、そこに移り住んだその時点からすでに人々は、「最初から従来の伝統的な共同体から自立した個人だった」と言うことができる。そして、当地に興った都市政治体の形態であるポリス、およびその特長的な政治システムとなるイソノミアは、そのような個人による「盟約(=社会契約)」連合として成立したものだという見立ても、ここまで繰り返し述べてきた通りである。
その「盟約(=社会契約)」連合に参加した人々は、それぞれ「自立した個人」として自ら選んだポリスに対し、少なくとも「その地に留まっている間に限って」は、あくまでも自発的な意志にもとづいた「忠誠」を示していたものなのであった(※1)。
たしかに人は、自らの求めるものがそこに見出せる限りにおいて、そのポリス=共同体に忠実であろうと努めることだろう。しかし逆に、もはやそこから自分自身として何も得るものがなければ、人は何の躊躇も未練もなく、その地を離れることとなるだろう。イオニアにおける住民とポリスの関係はそのような、よく言えば「ウィン−ウィン」、あからさまに言うなら「ギヴ・アンド・テイク」のドライなものであった。
とはいえポリスと、それに見切りをつけて離反していく人とが、そのことで直ちに「敵対する関係」に転じるというわけでもなかった。ポリスの方でも、「出ていく人々」に対する拘り、言い換えると「執着」といったものはほとんどなかった。なぜなら、彼らがいなくなってもまた「新しい人々」が入ってくるわけなのだから。
人とポリス、互いが互いからいかなる「利得」を引き出せるか、この関係性においてはそれが明白だったのであろう。だから互いに「手を組むうまみ」もあったわけで、その「うまみ」を確保しておく目的のためなら、人はその「うまみの素」であるポリスに対し、少々身を切って忠誠を尽くすこともけっして惜しくはなかったわけだ。
あらためて言うと、「イオニアの諸都市では、その成員は移動してきた者であり、またいつでもさらに移動することができた」(※2)というところに、その「人と共同体との関係性」の特徴があった。
たしかに個人は共同体と、少なくとも「対等に敵対することはできない」ものだろう。しかし、「個人が個人である限り」においては、少なくとも「一人でそこを離れる」ことはできる、何であれそこから「移動できる他の場所がある限り」においては。
その意味で、「イオニアには移動可能なフロンティアが十分にあった」(※3)ということは、人々にとってこの上ない好条件となった。そもそも、そのような「フロンティア」として、イオニアの地は自由を求めてやまない人々に見出されていたわけである。だからこそ彼らはそこに、その「自由な新世界」に降り立ったのだ。
そしてまた、別の土地に移動してしまえばもはやそこが「新世界」だ。前の土地はそれきり後腐れなく、それぞれ互いにまた「ただの赤の他人」に戻るだけ、実にサッパリしたものである。
一方で、いつでも他の土地に移動することができるということは、人々はそのイオニアという地に、何ら「拘束」されずにいることもできたということでもある。
「…イオニアでは、土地をもたない者は他人の土地で働くかわりに、別の都市に移住した…。」(※4)
イオニアの人々は、「その場所にいるために働く」のではなく、「働くためにその場所に来た」のにすぎない。しかも「自分のために働くことができる」からこそ、彼らはその場所に来たのだ。それができなければ、その場所にいる理由などもはや何一つとしてない。したがって、「その場所にいるため」のさまざまな社会的諸関係を「維持しなければならない理由」も、また何一つとしてないわけなのだ。
「…そのような条件が、自由であるがゆえに平等であるようなイソノミア(無支配)を可能にしたのである。…」(※5)
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 柄谷行人「哲学の起源」
※2 柄谷行人「哲学の起源」
※3 柄谷行人「哲学の起源」
※4 柄谷行人「哲学の起源」
※5 柄谷行人「哲学の起源」