脱学校的人間(新編集版)〈20〉
現在、教育とは子どもを対象としてなされるものだとして、それが全く自明のことと一般に考えられている。転じて言えば、教育の対象となる者は何よりもまず「子ども」と見なされることとなるというのもまた、自明なことであると思われているわけである。
しかし、かつて「子どもは子どもとして扱われてはいなかった」(※1)のだという。彼らはいわば「小さな大人」として、その存在としては全く「大人同様」に扱われていたのだ、と。
たとえば、近代以前のヨーロッパ社会に生まれた男児であれば、「労働者の子どもも、農民の子どもも、そして貴族の子どもも、みな自分の父親と同じ服装をし、父親が遊んだように遊び、父親と同様に絞首刑に処せられもした」(※2)というのであり、それがもし女児であったのならば、その母親の傍らで家事などといったやはり母親と同様のことをしながら、「それを何ら不思議に思うこともなく」日々を過ごしていた、ということになる。
あるいは、たとえばもし日本の戦国武将の息子として生まれた者があったとして、彼の父親がもし敵に攻め滅ぼされでもすれば、その父親と同様に彼もまた敵に殺されることになったのであろう。そこでは「彼はまだ子どもだから」という理由で赦されるというようなことは、おそらくほとんどなかったはずであろう。なぜなら敵の武将にとって、親と同様その子どもである彼もまた敵なのであり、親と同等に危険な存在になりえたはずであろうから。
「教育」の視点から見ても、やはりかつては子どもを子どもとして扱ってはいなかったのだと考えられる。それはその当時に施されていた「今日からみれば驚くほどの早期教育」(※3)の様子に、その側面が顕著に現れていたと見ることができる。
たとえばパスカルの父親が息子に与えた「教育」とはまさにそのようであったというし(※4)、あるいは「もっと後の時代のゲーテも、八歳までにドイツ語・フランス語・ギリシャ語・ラテン語などといった種々の言葉を書くことができた」(※5)という。
もちろんこのような「英才教育」が西欧社会に限られた話だったというわけではなく、「日本でも漢学の早期教育は当然とされて」(※6)いたと考えられているし、「かつての話」にとどまるどころか現在でも、たとえば「歌舞伎役者の家では、子どもは早くから役者として育てられている」(※7)というのは、世間一般においてよく知られているところの事実であろう。
さらにこれはまた、けっして「良家子女の英才教育」にとどまる話ではない。たとえば職人の徒弟修行などにおいても、それと同様の形態が明白に見出されるのである。
「…ルネッサンスの短い期間にフィレンツェに輩出したいわゆる天才たちについて、エリック・ホッファーは、彼らが『職人や工芸家のもとで徒弟時代をすごした』ことを指摘している…。」(※8)
やはりここでも無論のこととして、そのような事例は「ルネッサンス期の天才」に限られず、どこの国のどれほど凡庸な職人においてもまた同様であっただろう。まずはそれぞれ手練の親方や師匠といった人たちのもとに弟子入りをして、その親方や師匠がしていることを直に見習うところから彼らの職人人生ははじまるのであった。これは全く不思議なことでも特別なことでもなく、「誰もがいつでも同様にしていたこと」なのである。
上記いずれの場合でも、彼ら=子どもは「大人がしていることを大人がしているそのままに教えられていた」のだと考えられる。芸事なら歌舞伎の所作や落語の語り口などについてもまた然り、職工であれば刷毛やノミの振るい方その他もろもろ、それぞれがついていた親方や師匠がしているそのままを、彼らは教えられ、それにそのまま倣っていたのである。
そしてそこには、「子どものための教育」あるいは「子ども用の教育」などといったものが、あらかじめ用意されていたというわけではもちろんなかったわけである。大人たちが現に日頃やっているそのままのことがただそこにあるだけであり、それがただそのまま彼らに教えられていただけのことであった。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 柄谷行人「日本近代文学の起源」
※2 イリッチ「脱学校の社会」
※3 柄谷行人「日本近代文学の起源」
※4 柄谷行人「日本近代文学の起源」
※5 柄谷行人「日本近代文学の起源」
※6 柄谷行人「日本近代文学の起源」
※7 柄谷行人「日本近代文学の起源」
※8 柄谷行人「日本近代文学の起源」
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