「荒地の家族」 佐藤厚志
「元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か、と祐治は思う。十年前か。二十年前か。一人ひとりの「元」はそれぞれの場所も違い、一番平穏だった感情を取り戻したいと願う。」
「荒地の家族」 佐藤厚志
「喪失感」から立ち直ることはできるのか?
この物語は、東日本大震災から12年たった宮城県・亘理町に住む主人公・坂井祐治(40歳)から見た震災による風景や内面が描かれています。
災厄
この物語では、「震災」や「津波」という言葉が使われていません。
すべて「災厄」や「海の膨張」という言葉になっています。
災厄は、いつどこに訪れるのかわかりません。
震災や災害だけではありません。「別離」や「喪失感」は、生きている人がみんな必ず持っていて、いつ起こり、いつ「厭世」につながるのかわかりません。
祐治が「災厄」(東日本大震災)に見舞われたのは、造園業を独立、「ひとり親方」になった途端のことでした。経済的にも崖っぷちに立たされます。
そして
その2年後、妻の晴海をインフルエンザで亡くしました。
祐治の心に、分厚い灰色の雲が覆います。
その後
晴海が亡くなった6年後に、同級生の友人に紹介された知加子と再婚しました。
しかし
知加子と祐治は、二人の間に授かった子の流産をきっかけに別れることになってしまいました。
祐治は、大きな喪失感に襲われます。
祐治は事あるごとに災厄から生き残ったこと、妻や子の死から生と死の境界に立ち逡巡します。
祐治は何度も、亘理の浜にある防潮堤に立ちました。
ここは、生と死を分ける境界でもありました。
日常にも「災厄」がありました。
祐治は過去の辛い思いを回想します。
独立する前に造園の仕事で「下っ端」だった頃、専務から暴力を受け、ゴミくずのように扱われたこと。
再婚して別れた知加子と会おうとしても、百貨店(彼女の職場)のスタッフから完全拒否され、会わせてもらえない。まるでストーカー扱いされていること。
息子の啓太との関係も、どこかギクシャクして微妙であること。
そして
幼馴染の明夫のこと。
しばらくぶりに会った明夫と、祐治はほんの少しだけ言葉を交わします。
明夫は「妻と子を死なせたのは自分だ」と、その罪悪感に苛まれます。その後の仕事は、何をやっても長く続かない。
祐治は気づきます。
祐治もまた、明夫と同じような罪悪感を背負っていたのです。
震災による災厄、そのことに起因する日常の災厄。
失ったものは戻ってこない。
復興
街はしだいに新しく建て替えられ、整備されるが、心はあのときのあの時点からほとんど何も進まず、止まったまま。
何気なく、心が平穏だった頃。
とくに大きなエモーションがあるわけでもなく、日頃は意識もしていない日常が、これほどまで安寧で貴重だったこと。失ってはじめて気づくこと。失うことを経験しないとわからないこと。
この本を読んでいると、そんな「普通」が大きな波のように内面に迫ってきました。
日常に散りばめられている、ささやかな幸せ。
そのことを意識し、丁寧に暮らしていく。
そのことを意識し、心残りがないように行動する。
この物語はそんな思いを、まるでズシリとした錘をつけられてゆっくりゆっくり胸の奥深くに沈められていくようでした。
小説内にはささやかな幸せが、ささやかに散りばめられています。
分厚い灰色の雲のスキマから太陽の光がこぼれ出たとき、ホッとすることがありませんか?
この物語の祐治と明夫の運命は分かれてしまいましたが、ラストには太陽の光がうっすらと差してきたように思えました。
小説のラスト、祐治の母(和子)が彼に掛けた言葉が、最後にホッとさせてくれたのです。
第168回芥川賞受賞
【出典】
「荒地の家族」 佐藤厚志 新潮社