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海の思い出(震災から9年)

ふるさと楢葉町の木戸地区を通る浜街道が、やっと開通しました。

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震災以前、ここ山田浜、前原地区には数十軒の家々が並んでいました。
震災による津波でそれらの家は流され、この地区は大きなダメージを受けました。

子供の頃に手伝った田んぼや畑。
犬と対等の立場で一緒に散歩した道。
幼なじみの家。
ひい爺ちゃんに連れられて行った親戚の家。

みんな津波で変わってしまいました。

我が家はこの地域にあります。
戦後までは海沿いに家があったのですが、ある日ひい爺ちゃんが、

「ここは津波きたら流されっから、引っ越すべ」

と(多分)言ったそうで、海岸から500メートルほど離れた現在の場所に引っ越したそうです。(伝聞ばかりですみません)

そんなわけで、我が家は津波の被害はギリギリのところで大丈夫でした。
(Google Earthで確認して、本当にギリギリだったんだな、と思いました)

津波の被害に遭わなかったことを、
「良かったですね」
といろんな方に言っていただけます。

地形的に良い場所にあったのだと思います。
でも、海から近い距離にあってあれだけの津波を避けることができたのだから、ラッキーだったとしか言いようがありません。

被害はほとんどなかったのですが、ある時、父はこんなことを呟きました。

「なんでうちだけ残ったんだろう」

少し悲しそうな顔でそう呟きました。

その時、私は震災当日に家族が避難所にいた時の話を思い出しました。
(私は避難所になった勤務校でボランティアをしていたので、家族とは一緒にいませんでした)

3月11日の夜、家族が近くの避難所で休んでると、
家が流されてしまった近所の人たち(親戚など、親しい人たち)が、

「いや〜、こんなんだったら一番いい服着て逃げてきたらよかったな〜」

と笑いながら話し合ってたそうです。

皆さん津波で家を失ったのに、それを笑って話してたのです。

しかし父は、自分の家だけ流されずに済んだので、その方々の話には参加することができませんでした。

「なんでうちだけ残ったんだろう」

と言った父の言葉には、その時の思いが残ってたのでしょうか。

浜街道が開通し、これから海沿いを通る車はどんどん増えるでしょう。
でも、この地区に残った家は我が家だけ。

震災後、東京避難を経て現在はいわき市に居を構えています。

この地区の守り人として、また実家に住まなければいけないな、
とは思いつつも、家族にはうまく話せません。

新しくなったでっかい堤防の上を歩きながら、いろいろと考えてみました。

<朝の海>

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<夕方の海 波しぶきが煙ってました>

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