374日目(2022/03/29)自分の人生で311と志村けんさんの命日を忘れることはない
おはようございます。いつもご覧いただきありがとうございます。シューゾーです。
志村けんさんが亡くなってから、もう2年が経とうとしておりますが、まだ2年という。ことも言えます。
生前はドリフターズの一員として活躍していましたが、今日はその話ということではなく、人がやっぱ生きているときに感謝して行きたいことというのをやって行きたいと思います。
生きている間も逝去してからも
感謝することで何が出てくるかということを書いていきます。私自身も感謝することっていうのはとても嫌いな人間でした。
というのは感謝することに、対しては恥ずかしかったり、また感謝っていう言葉をうまく使いこなせなかったりしてるっていうのは結構あったと思います。書道家でもある武田双雲さんは大の感謝オタクとも言われていますが、最初は彼のやり方に対して少し疑問があったような感じがします。
というのは、前のこれまでの私のノート記事でも結構同じようなことを言っておりました。しかし、2年前と今と比べて、どのように自分が想いを変えていったのかっていうことを書いていきます。
例の中国virusが来た2年前から思ったこと
2年前に志村けんさんが亡くなった時というのは、私は。絶対に信じられない。なんでこういうことになってしまうんだということを考えてしまいます。ちょうどその二ヶ月後に私の母方の祖母が亡くなったということもあり、人が亡くなるっていうことを目の当たりにするようになってきて、考えるようになったことがあります。それは人の死というものはいつか必ず訪れる者であるということ。
怒りとか感情を露わにするのではなく、感謝の気持ちや喜びを出していくことが良いのではないか。。。
と思うと言うのはよく自己啓発本やネットを探してもいくらでも書いてあることなのだが、改めて人間の死というものについて考えてみると結構奥深いものなのかもしれない。例のウイルスが流行った年については、とにかく当時は中国を許さないといった嫌中家までしか成り得ないと思った。
自分があれに罹ってから・・・
実は今年の1月に例のvirusにかかってからは本当にわたしも中国嫌うようになったのである。が、しかし嫌ったところで何になるんだろうか?むしろ自分の体を休めると、いい機会になったのではないだろうか。いいと思える機会に少しでも目を向けていかないと自分自身が成長しいけないそのように感じるようになった。自分が自宅で療養していたときは、ゆっくり体を休める機会があった。そのため、自分が何をしたいのかということを徹底して考えるようになったの。大きかったかも知れない。
いかりや長介さんが亡くなった時
ドリフターズの一員である志村健さんが亡くなる16年くらい前に(2004年)メンバーの一人であるいかりや長介さんが亡くなったのを覚えているだろうか?
私自身はなんとなくおぼろげに覚えている印象ではあるが、有名な人がなくなったっていうのが結構あるのかもしれない。ただ、志村けんさんについては図らずとも記憶に新しく残ってしまっている。それは例のウィルスで中国が殺したというふうに言われなくもないからである。やはり何度も言うが、嘆くのではなく、志村けんさんの活躍を改めてもう一回振り返ってみなければならない。そして、志村けんさんの存在を忘れてはならないと言う事である。人が亡くなった後の存在を忘れてしまうかもしれないが、それは絶対に忘れてはならないのである。
まとめ
武田双雲さんのように毎日の行いに対して感謝をして、もしくは丁寧に行動を行うことで大切に思えてくる。
日々の行動を大切にしていける。
そんな感じがしました。。。
加藤綾菜、志村けんさん三回忌のドリフ集合を公開「カトちゃん達が元気で嬉しい」の声(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース