晴れやかな午前中。窓辺でバーレッスンをしていると、おや、向いのマンションのベランダに鳩が二羽、くちばしを咬み合わせて左右左右と頭を振っている。あきらかに喧嘩ではない。まるでダンスのよう。 眺めていたら、体格の良い方が小さい方の背中に、2秒ほど乗る。 あら、そういうことだったのね。 その後どうなるのか気になり、バーレッスンそっちのけでじろじろ見続ける。 雄はあっけらかんとし、雌から50センチほど離れたところに着地。 雌の意識のベクトルは私の目にもわかるほど雄に向かっているの
そうか。しばらく書いていなかったんだ。夫の手術の件も。でも今書きたいのは生理のこと。 とはいえ、ほんの少し、茶色いのがトイレで垂れるだけ。それを見た私は、身体が女でありつづけようとして頑張っているのだな、とか、昨日久しぶりにFさんにメッセージしたからかな、とか、逆にホルモンの都合で身体にあやつられFさんにメッセージしたのかなとか考えた。 いや、違う。次の瞬間に思った。ナラティブなんて要らない。生理があるから女とか、身体が私の行動をコントロールしているなど、ナラティブなんて
母の痴呆が進んでいます。 現在では認知症という言葉が使われるようになっていますが、意味が分かりません。認知病とか認知障害ならともかく。 「知る」ことが病になっている、だとか「呆ける」というのを差別用語だとするのだとしたら、差別だと感じること自体が差別ではないでしょうか。「知る」ことが病(痴)になっているというのは、洗脳などから鋼のアーマーで強固に守られた状態。「呆ける」のは一種の悟りの境地だともいえるのではないでしょうか。 一人暮らしをしているのですが、安否確認の電話をして
夫のアップデートです。諸方面にご心配おかけしております。 腫瘍の大きさは5センチ×7センチぐらいらしい。大きい!卵のようだ。 最終的には手術後の病理検査を待たないとそれが何なのかはわからないらしい。ただのチョコエッグという可能性も…。 でも、ガンであるにしても、ガンガン転移するタイプでも、無制限に急激に大きくなるものでもないらしいです。 まず内視鏡で見て、それでチョッキンできるものならそれで済むし、それで済まない場合は開腹切除になるそうです。 手術の日は私と息子が病院に待機
不思議な人に出会ってしまったのです。 それからというもの、奇想天外な事実が発覚したり、素敵な偶然がいくつもあったり、それよりなにより、しゅぱっつの人生が現実化してきました。実体化というのかもしれない。ごつごつした手触りがある。ふわふわした空想はもうおしまい。自分が変えようと努力したわけでもないのに、あれよあれよといううちに勝手に物事が動いていきます。 あまりに不思議なので調べるともなく調べていたら、ツインレイとかツインフレームとかいう言葉に出会ってしまいました…。 しゅぱっ
どんなものが失われても、すべてが失われても、この世に自分以外誰もいなくなっても、最後の最後まで自分と一緒にいてくれるのは自分の身体です。(海辺の洞くつで岩に絵を彫り付けた、最後のネアンデルタール人に思いを馳せます。) 身体だけあれば、すべて大丈夫。 自分の過ごしてきた道はモノに宿るのではなく、自分が今この瞬間としてすべて一緒に運んでいます。過去のこととしてではなく、今に生きるかたちに変容して、いつでも自分とともにあります。 そこには、良い・悪いの価値判断はなく、すべ
14日、過去を思い出してしまうことがありました。 15日、一つ前のアカウントに書いているのですが、過去を思い出して異常に悲しくなってしまったら、午後から首がこわばりはじめ、翌日16日には、異常に良い姿勢を保っていないとならない程首が痛くなってしまいました。上を向いてガラガラうがいすらできません。身体が反らないのです。 その日に会った友人にマッサージの心得があり、手当をしてくれました。首に熱を持っているから冷やした方がいいかもね、といわれました。 頭の一部分も時々痛みはじめまし
古い緑のスポーツブラを捨てられずにいます。なんてこともない無味乾燥なもの。今朝も引き出しからこれを選びました。古いので着脱の時にゴムがメキメキ音を立てます。 これは、ずっとむかし、クリスマスに自分のために用意したもの。 リビングに飾った背丈よりずっと高いクリスマスツリー。針葉樹の気高い香りがリビングルームを冬にしています。ツリーの根元には色とりどりのラッピングペーパーで包んだプレゼントが積んでありました。すべて家族のためのもの。すべて私が一人で選んで包んだもの。 私へのプ
コーヒーの薬缶が目についた。コンロで長い年月をかけて浴びた炒め物の油が、やはり長い年月をかけて焦げこびりついている。 昨日食洗器に入れたので、心なしかさらっとしているのだ。 二年ほど前だったか、それほど親しくない女性をよんどころない理由があったので、一泊お泊めしたことがある。正直、気は乗らなかったが、その人の友人の顔を立てたかった。 当時はわりと身辺が忙しかったので、「手が回らず家の中が散らかっています。それでも良ければ。」ということで受けたのだ。 その晩、彼女は例の薬缶
昨日今日、一日の内容が(しゅぱっつ的には)濃すぎです。頭が一日分の経験量として処理できていない感じです。 どのくらい濃すぎるのかというと、数時間前にわかれてきた人に用事があってメールを書いたところ 「一昨日お会いした時に話に出た件ですが」 と書いてしまっていた。一体全体どういうことだ。 読み直したときに気づいてよかった。 男性からお借りした衣装。 丈は長すぎるのにウエストはほぼちょうどいい。一体全体どういうことだ。 試着したときに気づいたが手の打ちようがない。
今朝、息子から「なぜ(卒業のお祝いとして特別な)レストランに行くのだ」と聞かれて、自分の中での料理というものについて考えていました。 遅めのお昼、シラントロー、豆腐、ひき肉のスープを作ろうして、そうだ、アスパラガスの薄い小口切りも入れようと切っているところで、思い至った。 特別な、記憶に残る料理は、ずっと時間がたったのちに、その記憶に残る料理の時間に立ち戻るためです。 ウィスラーの帰りにリッチモンドに立ち寄って中華を食べるのが楽しみだった。私はひき肉とシラントローのスー
近いうちに子供の部屋を片付けようと思った。そうしたら、今の部屋の様子を残しておきたくなって、写真を撮った。よく晴れた午後2時過ぎ、ちょうどいいかな、と思って。 久しぶりに子供の部屋にゆっくり入ったら、3-4年生の頃の姿が見えてきた。つらくなって部屋を出た。 もう、探しても、どこにもない。 つらいから、つらいだけ、今に集中しよう。一瞬後にはもうどこにもない「今」に。 つらかった時間はなぜかぼっこり抜け落ちていて、再び手にしたい時間だけがあふれてくる。 助けて。 おそれ
日常に慣れてしまうことなく、新鮮な驚きに満ちた毎日を送りたい―― などというタテマエを素で生きるしゅぱっつは、一週間ほどある都市に滞在し、毎日同じ場所に通っております。 私は空前絶後の方向音痴なのですが、1日目は驚くべきことに問題なく目的地に到着。 2日目、24時間以内に往復で二度訪れた(はずの)駅なのに、まったく見覚えがない。なんと、新鮮なのでしょう。しーらない街ァァちを歩いてみーたぁぁい、どぉこか遠くへ行きぃたぁい。いや、今日は知らない街でなくていい。目的地に行きぃたぁ
徒然なるままに日ぐらし、11年落ちのパソコンに向かいて、心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば、 怪しうこそ物狂おしけれ (訳)もやっーと日を送り、11年落ちのぼろパソコンに向かって、なんとなく浮かんでは消える妄想を、やはりなんとなく書きつけていると、アドレナリン出てくるわー よし、これだ。