薬缶
コーヒーの薬缶が目についた。コンロで長い年月をかけて浴びた炒め物の油が、やはり長い年月をかけて焦げこびりついている。
昨日食洗器に入れたので、心なしかさらっとしているのだ。
二年ほど前だったか、それほど親しくない女性をよんどころない理由があったので、一泊お泊めしたことがある。正直、気は乗らなかったが、その人の友人の顔を立てたかった。
当時はわりと身辺が忙しかったので、「手が回らず家の中が散らかっています。それでも良ければ。」ということで受けたのだ。
その晩、彼女は例の薬缶を見つけて、油汚れの落とし方を講義し始めた。
差し障りないよう対応したが、正直、非常に不快だった。キッチンにコメントされることに不快を感じるのは普通のことだと思うが、それ以上に、何やら、彼女を心底嫌いになるような何かがあった。理由はよくわからなった。
今日、例の薬缶を目にして気が付いた。
この油汚れは、夫が一生懸命料理してくれていた証なのだ。料理中に不要な薬缶は移動しようなどの気が回らない夫の特徴の証なのだ。汚れてしまったものが視野に入らないのも彼の特徴なのだ。生活全般にわたるそういった特徴により私は心身の健康を損ねたが、夫が一生懸命であったことは信じたいし、薬缶の油焦げがそれを可視化してくれている。
ひとりコーヒーを淹れる。
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