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続・歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

「歴史は人が動かす。人は利害で動く。ゆえに歴史は人の利害で動いた結果である」といった内容の記事を前回書いた。

人を動かす大きな力として、利害のほかにも「感情」というものがある。

もしかすると、人類の歴史は、利害より感情で動いてきたことのほうが多かったかもしれない。

第一次世界大戦に関する本などを読むと、当時のヨーロッパの指導者たちの判断や思考を左右したのは理知ではなく感情だったと感じることがある。当たり前の想像力すら失わせる憎悪や恐怖、猜疑心が軽率な意思決定と招き、国家を危うい方向へ走らせた。そしてあのような悲惨で大規模な戦禍になった、と。

利害は単純だが、感情は複雑だ。
利害の計算は万人に共通するところがあるが(お金とか地位とか利権とかは普通誰だって欲しがるし守りたがる)、感情は固有性が高くみんなに当てはまる法則というものがない。
それどころか常識や合理性を軽く飛び越えて予測も理解も不可能なことだってママある。
時には利害を度外視して人を動かす。
それが感情という化け物だ。

後世の歴史家が、この人物は一体なぜあんな不可解な行動に走ったのかその動機と目的の研究に取り組んでも、その正体が常識と合理からかけ離れた感情だったら、真相なんて永遠にわかりっこない。「明智光秀が怒りにまかせて主君を討つなんてそんなバカな。何か深遠な動機があるはずだ」と今でも歴史家が史料とにらめっこしてがんばっているが、そんなバカながあるのが人間である。
明智光秀が織田信長を討った理由なんて本人に聞かなきゃわからないのに。

人は利害でも動けば感情でも動く。歴史は人の動きの結果だから、人の利害と感情が歴史を動かしてきたといっても過言ではない。

あと、歴史を動かしてきたものの正体として、「カルト宗教」というのがある。世界、とくに欧米の歴史研究では背景に宗教的な思想があることを見落とすわけにはいかない。宗教はなおさら複雑で、利害も感情もごちゃごちゃに入り交じる理解しがたい領域だから、また機会があるときにきちんと記事にして説明したい。

何が言いたいのかといえば、人を動かすものの正体をきちんと見極めることは歴史研究にもつながる、ということ。専門知識の前に、普通の人の素朴な感覚が求められる世界。だから、本当は、もっとも身近で手の届きやすい学問だとも思うのである。


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