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その時代を生きた人だから出てくる言葉と感情を抱きしめる【歴史雑感】

昭和24年初版の『太平洋海戦史』(高木惣吉著)の「まえがき」に、すごい文章がある。

われわれは進んで、わが民族の運命にこれほど重大な影響を及ぼした未曾有の大事件の内部に踏み入り、その過程を正確に跡づけ、今日となっては思い浮かべるだけでも苦痛を催す諸々の事実を直観し、客観的な事実に基づいた精密な批判を打ち立てねばならない。

『太平洋海戦史』(高木惣吉著)の「まえがき」より

「思い浮かべるだけで苦痛を催す」という箇所を読んで、ガツンときた。ああ、とため息がもれた。あの戦争を直接見て、体験した人でないと出てこない言葉、わからない感情。だだもれて仕方ないといった直情的な表現。

すごいと感じる。とてつもないと感じる。

「未曾有の大事件」とは言うまでもなく大東亜戦争(太平洋戦争)のことである。「まえがき」を書いたのはこの本の編集者で、事実に基づく客観的な戦争批判の本を出すために、当時海軍省に勤務して内部事情に詳しかった高木惣吉海軍少将に執筆を依頼したという。

本書の「序」にある、高木惣吉の文章も、すごい。

……生々しい記憶の疼く(うずく)敗戦の経緯に筆を進むることの憂鬱と苦痛とは、環境と立場を自由に取捨することのできぬわれわれにとって、これは放ち難い苦杯であることを沁々(しみじみ)と悟ったのである。

同上「序」より()内は筆者注 

たまらずかきむしった爪痕が見えるような文章だ。苦悶、憂悶、呵責、悔恨、懊悩…。抑えたくても抑えられず、書かずにはいられない心境が筆を走らせた。恐縮だが、そんな勝手な想像をしたくなる。

今を生きる私たちだって、戦争を語ることはできる。あの戦争について、目を通した資料や文献から得た知識をもとに、定型的な評価や印象を語ることはできる。しかし、それはどこまでも表層的で人工的なものだ。戦争を肌身で体感した人たちの口から語られる生の言葉と感情に接すると、文字上の理解だけで聞いたような口を叩いていた自分が恥ずかしくなる。

先の戦争についてさまざまに調べて、知識と情報を得ることは大切だ。けれど、当事者や実際を知る人の感情が刻印された言葉に接し、何かを感じることも同じくらい大事にしたい。歴史は想像力なしに語れない領域なのだから。


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