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【小説】会社の近くに住む 1-5

 もちろん、眠ろうとするときに、いつもじっと耳を澄ませていたわけではなかったのだろう。ほとんどの夜は、勝手に何か考え始めて、そしてそのうちに眠っていたのだと思う。小さい頃ならお気に入りの空想を繰り返していたのだろうし、小学生くらいなら夜に見ていたテレビとかアニメのこととか、中学くらいからならゲームの続きをどう進めるかを考えたり、立ち読みしたエロ漫画とかの内容をよくわからないなりに膨らませたりするような想像をしていたのだろう。
 その頃自分がどんな事を考えていたのかはあまり覚えていない。けれど、どうでもいいことを気楽に考えるばかりだったのだろうと思う。いつもすぐに眠っていたのだ。布団に入ってからなかなか眠れないまま一時間とか二時間とかを過ごした記憶というのはほとんどない気がする。不安なことがあって、考え始めたらどんどん不安になって考えるほど頭が冴えてもっと眠れなくなるとか、そんなことは実家にいる間には一回もなかったんじゃないかと思う。
 けれど、俺の場合はそれも当然だったのだろう。恋愛する以前に好きな人もいなかったし、部活もしていなかったから悔しいこともむかつくこともなかった。悩み以前に、明日あの人に会ったらどうしようとか、あれについて話したいとか、あれができるように明日もっとあれの練習をしようとか、明日のことについてあれこれ考えておきたいことすらなかったのだ。
 俺のように男子校で部活もせずにゲームをしていれば満足というふうに過ごした人たちは徹底して悩みがなかったケースもそこまで珍しくないのかもしれない。けれど、女の人として生活していたら誰でもそうなのだろうし、男でも共学の学校にいて気になる女の人がいたり、そうでなくても何か頑張っていることがあったりとか、そうすると、結局ほとんど大多数の人になるのだろうけれど、いわゆる思春期的な時期の寝るまでの時間というのは、自分についてのあれこれを考える大事な時間だったりした場合が多いのだろうと思う。
 今はそれなりに自分のことばかり考えるようになっているけれど、実家にいた頃の自分は、自分でも不思議なくらい自分のことを考えていなかった。中学の頃は本当に何も考えていなかった気がする。高校になって多少自分は自分だというような意識は出てきたのだと思うけれど、かといって、高校の頃ですら、自分はどうしたいとか、どうなりたいとか、そういう類のことはまったくまともに考えようとせずに、すべてきっぱり保留していたのだと思う。女の人のことも、かっこよくなりたいとか、自分の将来とか可能性について考えるとか、そういうことはすべて家を出て大学に入ってからやればよくて、今はとりあえず普通に学校に行っていれば楽しいし、適当に勉強して親が家を出させてくれるくらいの大学に入れるようにしておけばそれでいいんだとしか思っていなかったのだと思う。
 今思うとどうしてそんなふうだったんだろうと思うけれど、世間では自分が今過ごしている中学時代とか高校時代というのが人生で最も楽しい時期だと言われているし、自分もそういう青春っぽいものをめいっぱい楽しまなければもったいないとか、そんなふうに思ったことがなかった。テレビで見たり漫画で見たりするみたいに、女の人と恋愛してみたいか、友達と街でいろんな遊びをしたいとか、そういうことを思うことがまったくなくて、別に実家を出てから楽しいことはできるから今はそういうのはなくてもいいと心底から思っていた。
 そして、そんなふうに思っていたときに、俺には悩むようなことがなかったのだ。学校は登校しさえすればみんな面白かったから楽しかったし、部活がなくてさっさと家に帰ってゲームをしたらいつでも延々と楽しかったし、受験勉強も音楽を聞きながら漫然とやっていて親が文句を言わないくらいには成績もだんだん上がっていたから、とりあえず今の自分はこれでいいんだろうと思って、それ以上何も考えようとしなかったのだ。
 そもそも、悩みというのはほとんど場合、みんなと自分との関係についてか、誰かと自分の関係についてのことなのだろう。そして、中学高校の間、ハブられたこともなかったし、不本意なグループに入って過ごしていたこともないし、誰とも長期的に仲が悪かったこともなかった。そして、そういうネガティブな要因がなかっただけではなく、誰かに認められたいとか、見返したいとか、誰かのようになりたいと思って思い悩むというのもなかった。それ以前に、学校のクラスメイトしか関わりのある人がいなかった六年間だったけれど、その六年の間に、どうしてあいつはあんなふうな考え方をしているのだろうとか、どうしてああいう事ができるのだろうとか、そんなふうに興味を持った相手が一人もいなかったのかもしれない。誰かから何かしらの影響を受けた気もしないし、そう思うと、自分は本当にあそこにいたのかなという気もしてくる。
 それくらい何もなかったのだ。もっと遊びたいとか、もっと楽しみたいとか、もっと誰かと仲良くなりたいとか、今の自分の状況を変えたいという気持ちがあらゆる面でなかったのだし、悩みなど持ちようがないような生活をしていたのだし、中学高校で真面目に何かを悩んだことは本当に一回もなかったのだと思う。
 そんなふうだったから、自分は今までどんなふうに眠っていただろうかと思っても、夜の音を聴いていたときの感覚くらいしか思い出せないのだろう。今日はどんな日だったなとか、明日はどんな日になるだろうかということを考えたりすることもなく、どうでもいいことを考えて、どうでもいいからすぐに考え終わって、そして静かだなとぼんやりしていたのだ。そのぼんやりしている意識の中に、外からの音や、家の中に響いてくる誰かの気配が入り込んできて、そして、ただそれをぼんやり感じているだけで、そのうちに何の苦悩も感慨もなく眠れてしまう。ベッドに横になってから眠るまでの時間はそんなふうに過ぎるというのが自分の深いところに刷り込まれているのだろうと思う。だから、バーがどんなふうにうるさかったのかということをずいぶん覚えていたりするのだろうし、今みたいにふと寝るまでにぼんやりしてしまうと、待っていても何の音もしないことが不自然なことに思えてしまうのだろう、
 こんなにも誰の気配もない部屋にひとりでいると、まるで閉じ込められているようだなと思う。そして、それが嫌だからといつでも窓を少し開けているのに、もう夜中を過ぎているとはいえ、何も聞こえてこない。



(続き)


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