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【小説】会社の近くに住む 1-2

 なんとなく布団が少し冷たいように感じて、このままじっとしていてもすぐには温かくなってこなさそうな気がした。かといって布団を温めるほどでもなさそうで、起き上がって脱ぎっぱなしになっていたパーカーに腕を通してまた横になった。
 服もひんやりしていて、着たからといってすぐに温かくなるわけでもない。じっとしながら、自分の身体の温かさで布団が温まっていくというより、布団や服の冷たさで自分の身体が冷えていっているんじゃないかと思いながら自分の体温を感じていた。
 そんなふうにして、暗い中でじっとして自分の身体だけを感じてぼんやりしていると、部屋の音だけを聞いているような感じになってくる。
 エアコンも入っていないしパソコンも電源を切ってあるから、冷蔵庫の音が弱く鳴っているくらいで、小さく開いている窓からも、街の音が小さく一定に響いているだけで具体的な何かの音は聞こえてこない。ふいに少し静になった気がすると時計の秒針の音が聞こえるような気がして、けれどそれを聞き取ろうとすると空耳だったような気がしてしまう。起き上がって何歩か歩かないと止めなれないように本棚の中に時計を入れているけれど、昔は時計の音がもう少しはっきり聞こえてきた気がするし、冷蔵庫というのはけっこううるさいのだなと思う。
 そうやって静かさを確かめ続けていると、何かをただ待っているときのような空っぽな気分になってくる。インターネット回線が遅くなっていて画面がとぎれとぎれにダウンロードされるのを見詰めているみたいな、ほんの一瞬待てばよかったはずのものを何秒も待たされて、何かが起こるのが保留されているせいで自分の中の時間が止まっているみたいな感覚になる。そして、時間が止まっているはずなのに、それでも身体は呼吸を続けて、耳は音を聞き続けていている。
 冷蔵庫の音が一定に弱く響くようにして、だるさが自分の中にずっと切れ目なくじりじりと響いている。気持ちはどこにも向かっていかなくて、いつまでも自分の身体を感じているだけになっている。温度を感じっぱなしになって、聞こえているものを聞いているままになって、自分の体重とベッドの硬さで挟み込まれている圧を感じ続けたままになっている。けれど、どの感覚にもフォーカスしないまま、頭はただ何かを待っている。
 自動車が走り抜けていく音が低く聞こえてくる。アパートから会社のビルを挟んだ向こう側が少し大きな道になっている。トラックが靖国通りへと坂を下っていっているのだろう。
 車の音がじりじりと小さくなって、音が消えていくのではなくて、街の音のボリュームの中に埋もれて車の音ではなくなっていくのを聞いていた。
 車の音が完全に聞き取れなくなって、その代わりに街の音がしていて、それがずっと続いているのを聞いている状態になってしまう。さっきまでも聞こえていたけれど、風景音として何も感じていなかったものをじっと感じてみると、いろんな小さな音のどのひとつも何の音かわからなくて、それがなんとなく居心地が悪いような気分になる。
 下にしている右肩を少し前にずらすと、布団の動く音が他の音をかき消してしまう。それがうるさくて、腕の位置を落ち着かせて、また息を潜めるみたいにする。
 トラックの音は一台だけで、ゆっくりと聴き取れなくなっていった後には、また何の音も聞き取れなくなった。
 もう少し騒がしくてもおかしくないのになと思ってしまう。ここに引っ越してくる前は、もう少し騒がしい街なのだろうと思っていた。
 このアパートは荒木町の中にあって、小路を一本入ったところではあるけれど、アパートから十メートルもしないでフグ料理屋があったりする。フグ料理屋を越えると車力門通りで、新宿通りにぶつかるまで隙間なく飲食店が連なっているけれど、週末でもなければ夜中を過ぎてしまうと人通りはほとんどなくなってしまう。朝までやっているバーがいくつかある通りは二つ向こう側だった。朝までやっている店が何軒もあるからといって、キャバクラとかカラオケがあるわけでもないし、街全体が夜通しにぎやかな街というわけでもない。店を出れば街は静かだし、若い人が騒ぎに来るような街でもないから、人がいたとしても店の外で大きな声で喋ったりはしないのだろう。フジテレビが曙橋の駅の近くにあったころは、文化放送もまだ新宿通りを挟んですぐにあったりで、この辺りもテレビやラジオの関係者やその接待で賑わっていたらしい。今でも店はそれなりにたくさんあるけれど、フジテレビが台場に移転してから、ずいぶん活気が落ちたと飲み屋のおじさんが言っていた。終電の時間から夜中まで、車力門通りや杉大門通りを、店から出てくる客を狙ったタクシーがのろのろ列を作って埋め尽くしていたなんて、一年半前にここに来た俺には想像もつかないけれど、きっとその頃には夜中ももっと騒がしかったのだろう。
 ここに引っ越してくる前に住んでいた家は夜中を過ぎてもいつもうるさかったのになと思う。その家は高円寺と中野の間くらいにあって、環状七号線にもJRの線路にも近かったから、朝晩ともにそこまで静かになる地域ではなかったけれど、住宅街だったから街全体としては静かだった。俺の住んでいた家の周辺だけが局地的にうるさかった。
 俺は友達と一緒に一戸建てを借りて住んでいたのだけれど、その一戸建ての細い道を挟んだ向かいがぼろぼろの小さな二階建てで、その一階が朝までやっているバーだった。そのバーがうるさかったのだ。
 俺が住んでいた家はT字路になっている角に建っていて、谷中通りという商店街に面していた。商店街といっても、通りの入り口に「谷中通り」という看板があったり、電柱に商店街らしい飾りが取り付けられていたりはしたけれど、商店といえそうな店は、薬局や豆腐屋やクリーニング店がちらほらと残っているくらいで、昔はそれなりに栄えていたのだろうけれど、俺が住んでいたころには、通りに面している建物のほとんどが普通の住宅になっていた。とはいえ、T字路のバーの斜め向かいには銭湯があってまだ営業を続けていたし、意外と長く続く谷中通りをそのまま丸ノ内線の南高円寺駅の方に抜けていくと、昔商店だった頃の建物と看板のままシャッターを下ろしている家もちらほらしていたりで、ニュータウン育ちで同じような古び方をした住宅とマンションだけが延々と立ち並ぶ景色に慣れた自分にとっては、商店街だった頃の残骸がなかなか朽ち果てないままでいる景色は、自分が現実っぽい現実の中にいるようで、歩いていて心地よかった。
 俺が借りていた一戸建てにしても、昔は一階が床屋として使われていた建物だった。床屋の入り口だったガラスのドアもそのままになっていて、靴を脱いで入る店だったのか、入り口を入ってすぐに一段高くなっていた。家を出てすぐに銭湯があったからか、家にはもともと風呂がなかったようで、床屋だったスペースに風呂だけのユニットバスと洗濯機置き場を付け足して賃貸物件にしたものだった。
 騒がしいバーは、俺がその家に住み始めたころで、すでに二十年以上続いているらしかった。カウンターだけの十人も入れないような小さな店で、店内は地球儀やら人形やらがらくたのようなものであふれかえっていて、赤い照明をつけているのか、いつもガラス戸から赤っぽい光を外に漏らしていた。店は繁盛しているようで、日付が変わるころにはいつでも五人以上の客がいたし、夜中にタクシーでやってくる客も多かった。
 俺はいつも窓を閉めきらないで過ごしていたから、音楽を流していないときや、曲の合間に音が途切れているときには、バーから漏れる音が聞こえてきていた。
 そのバーは、入り口もがらがら鳴るガラスの引き戸だったし、俺の家に面した側の窓ガラスにしても、木の窓枠で風が吹けばびりびり揺れるような感じで、壁も薄そうだったし、防音なんてまったくできていない建物だった。
 夜中を過ぎるまでは、周囲の民家からもテレビの音が漏れていたりするし、車や歩いている人の音にまぎれてそのバーの音が耳につくというほどでもなかった。バーではいつも大きめの音量で音楽が流れていたけれど、基本的には人の話し声と混じって何の曲が流れているのかはわからないくらいの音量だった。
 けれど、むしろ夜中になって音を漏らしているのがそのバーだけになってから、店の中の騒がしさはさらに増してくるのが常だった。話し声もどんどん盛り上がっていくし、店内で弾き語りの演奏が始まって、それがずいぶんしっかりした歌声の、おそらくプロが歌っているものだったり、いきなり大音量で「およげ!たいやきくん」が流れ出したりしていた。



(続き)

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