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【小説】会社の近くに住む 2-20

 みんなそんなことは考えないのだろうなと思う。自分の仕事の速さをたいして気にしていないのだろうし、自分の仕事の処理速度というものに対して、それが自分のここでの存在価値なのだと思っていたりしないのだろう。
 そして、そんなふうに思わない方がいいのだ。みんなそれなりに真面目にやって、そこそこ楽しそうに、まぁまぁ充実した感じに仕事をしているように見える。できるだけ集中して、できるだけ早く終わらせるとか、そんなつもりでやっている自分の方がずれているのだろうなと思う。
 今日のように、うまくいかないことをわからないままでたらめに試行錯誤して一時間とか長い時間を使ってしまったりすると、ちゃんとわかっている人がこれをやったなら五分とか十分とかで終わるところを自分がわからないままやったせいで時間をムダにしたのだし、そうやって時間をムダにした分の残業代をもらうのだから、自分は給料泥棒だなと思ったりするけれど、そういう感じ方は他の人からしたら息苦しいものなのなのだろうなと思う。
 周りからすれば俺は根を詰めすぎなのだろう。実際、仕事が終わるとくたくたになっている。そこまで疲れるくらいに仕事をするのは明らかにいいことではない。みんな家に帰って家族との時間があったりするのだし、会社だって仕事でそこまで消耗することは求めてはいないのだ。
 そして、根を詰めてやっていると、どうしても仕事をこなすスピードにも差が出てきてしまう。俺がやけくそに仕事をしていることで、それなりにしっかり働いている人が同じ期間でこなした仕事の量として、どうしたって俺よりもだいぶ少なくなってしまう。みんなで仕事をしているのだし、みんなで気分よく働けるように、ほどほどで切り上げるのが当たり前という空気を乱さないのが真っ当な会社員としての心がけなのだろう。
 吉井さんからしたって嫌なものだろうと思う。ガツガツとひたすら仕事をして最後まで残っている人が隣にいて、しかもその人が一緒に案件を受け持っている年下の先輩なのだ。実際はそれほどでもないにしても、自分の客のための仕事もそこに含まれていると思っているのだ。俺がこんなふうに延々とやっているから、家が遠いのにいつも遅くまで残ってやっているのかもしれない。そうなのだとしたらもうしわけないなと思う。
 俺が副担当でついた当初と比べると、吉井さんは見違えるほどにしっかりやれるようになった。わからなくても頑張って理解しようとしているし、うまくいかなくて粘り強くあれこれ試してやっているし、何事も面倒がらずにやっている。もう他の同僚の誰と比べても、見劣りしないくらいになっているし、たいしたものだなと思う。せっせとやって、どんどんやって、やれることを増やしていけばいいという俺のスタンスみたいなものに対して、しんどくもあるのだろうけれど、肯定的に思ってくれているのかなと思う。
 かといって、俺はやり過ぎなのだろう。少なくてもこの会社ではそうなのだ。定時の間しっかりやれば、それで充分要求されている水準を満たせるくらいに仕事は進むのだし、周りに合わせて切り上げればいいはずなのだ。そもそも自分のためにもなっていない。出世だとか昇進のことを考えたりしているわけでもないし、他の人より仕事ができていたいと思っているわけでもないのだ。それなのにどうしてこんなに仕事ばかりしているのだろうと思ってしまう。
 顔をあげると、遠くの二人組がさっきとは違う格好で話をしていた。二人の格好以外、暗い中に机が並んでいるという光景は、さっき見たものとまったく変わっていなくて、ただ頭の中で流れている音楽だけが違う曲になっていた。さっきからどれくらい経って、何曲進んだのだろう。
 息を大きく吐きながら、肩を伸ばしたり身体をよじったりして、またすぐ仕事に戻っていく。
 長時間働いていると、頭の中が仕事の内容に埋め尽くされているようになって、すぐに仕事に集中できるようになる。今は他の人もいないから、ひとの動きが視界に入ってきたり声が聞こえてきたりして意識が逸れることもない。ひとの声が聞こえているとその内容を聞いてしまう。営業時間中は電話にもよく出ているけれど、この時間になると電話はほぼかかってくることがない。電話に出ることで声を出して息が抜けるというのはあるし、そういうたまの休憩がなくなってしまうけれど、そのぶん気が散らないままで仕事を進められる。
 この暗い中で体力をすり減らしながら何をしているのだろうなと思う。楽しいからやっているという感じではないのだ。集中できてくると気分は乗ってくるし、ちょっと難しそうかなと思っていたところが思い通りに進み始めて、そのまま一気に最後までいって、出来上がったところで大きく息をつくのは、その作業を走り抜けた疲労感が心地よかったりもする。けれど、それは運動して気持ちがいいような感じでしかなかったりもするのだろう。これが出来上がったらうれしいという気持ちがあるわけではないのだ。手を動かして何かが出来上がっていくということだけで気持ちがよかったりしているのかもしれない。自分の手が動くほどに、こうすればいいだろうという頭の中のイメージが目の前で次々と実現されていく。集中が深まるほどに、自分の手が動いた結果が積み上がっていく、その積み上がり方を自分がコントロールしている気分になってくる。それは心地よいことで、そして、その心地よさに浸って最後までいけば、ちゃんと仕事をやったことになってしまうのだ。
 できあがっていくこと自体に充実感があるという意味では、たまたま始めたこの仕事がものづくり系の仕事でよかったなと思う。営業職のように自分が伝えたことに相手がイエスかノーを言うことでやっと完結する仕事とは違って、仕事をしている最中に自分の仕事のでき具合にいいとかよくないと思っていられる。
 実際、集中してうまく進められている感じになっているときが、仕事をしていて一番心地よい時間なのだろう。できあがったものを他の人が喜んでくれたり褒めてくれたりというのは、多少の満足感はあっても、そこまでうれしく思えるわけでもない。羽田さんが俺の作った画面を動かしながら、よしよしという顔をしてくれていればそれで充分なのだ。褒められたくてやっているわけではなく、できるかできないかわからないことを何とかできるようにするということに充実感があって、そのためにやっている感じなのだろう。



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