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【小説】会社の近くに住む 2-11

 多少楽だったとはいえ、それでも八時くらいになるとかなり疲れてきた。ひとつ画面を作り終わって別の案件に手をつけたけれど、新しい仕訳の切り方が当初想定していなかったパターンで、要件を整理して既存の処理を確認してみたけれど、処理をかなり書き換えないと実現できなさそうなのがわかってきた。これはなかなか時間がかかりそうだなと思って、とりあえず休憩しようと思った。
 席を立って、フロアの出口に向かいながら息を吐くと、ずいぶん呼吸が浅くなっているのに気付く。身体もいつものようにだるくなっている。けれど、これはいつものことで、疲れているというより職場鬱のようなものだった。会社のビルを出るだけで呼吸が楽になるし、会社のビルに入るだけで息が浅くなってきて身体の状態が変わってくる。身体がだるくなってきて、体温も下がってくる。集中力にはそれほど影響ないけれど、だるくはあるし、息苦しくもあるし、他人からすると、今日のようにさほど疲れていないときも含め、いつでもぐったりしているように見えているのかもしれない。
 エレベーターの前に原さんがいた。お互いに「お疲れっす」と言って、一緒にエレベーターに乗って「タバコっすか」と聞かれたから「うん。ちょっとなんか食うか適当に休憩します」と答えた。
 原さんはだるそうなまま、にかっと笑顔を作って頷いた。会社のビルを出て、なんとなく俺も喫煙所に入ってタバコに火をつけた。
「どうすか?」
「んー、まぁ、何事もなくって感じすかね」
 そう答えながら、本当に何事もないなと思った。
「あぁ、それが一番っすよ」
 原さんは何度か大きく頷きながら煙を吐いた。
「そっちは、前テストしてたやつは、問題なさそうだったんですか?」
「あぁ、あれは問題なかったですね。多分もうああいうテストはお願いするは必要ないはずだと思います」
「よかったっすね。あれ、テストチェックするのも大変ですよね」
「まじめんどくさかったですね。まぁ変なとこ見つかったんで、やってよかったすけど」
 しばらく前に、原さんが担当している新しい顧客に導入するシステムのテストに部署全員が駆り出されたことがあった。それぞれどういう入力を試してほしいかをまとめた紙が配られて、時間を決めて、一人十パターンくらいの入力を一斉に試すということをした。そのテスト入力自体はたいして面倒なものではなかったけれど、テストの後で、原さんたちのグループは、入力結果と集計した帳票とに齟齬がないか、伝票を印刷して赤ペンでチェックを入れるようなことをしていて、いつもより賑やかで、いつもよりみんなぐったりしていた。
「あれはいつスタートなんですか?」
「十二月っすね」
「もうぼちぼちですね」
「まぁなんとかなりそうですけど、運用してみないとわかんないすからね」
「あれくらいやったって、どうしてもそんな感じっすよね」
 お互いに少し黙って、原さんは大きく煙を吐きながら携帯電話を取り出した。
 今日は喋ったけれど、原さんと喫煙所で一緒になっても、お互い「お疲れっす」といった後は黙っていることも多い。喋るとしても仕事の話くらいだった。
 俺がこの会社に来たときにはもう原さんはいたはずだけれど、原さんがどんなひとなのかも、いまいち知らないままだった。二つくらい年下だとか、前職はコンビニのスーパーバイザーをやっていて、給料はよかったけれど激務過ぎたから辞めてこの会社に来たとか、それくらいしか知らない。お互いの出身地が同じ神戸市内の隣の区だったりするけれど、それくらいでは特に話題にもならないし、今まで立ち話とかでも盛り上がったことがない。
 毛色が違いすぎる感じはあるのだろうなと思う。原さんからすれば、俺はだらんとし過ぎているというか、何を考えているのかよくわからない感じだったりするのだろう。原さんは何事に関してもてきぱきと割り切って、その場その場をポジティブなふうに振る舞うひとなのだと思う。俺のように、いつでも自分の気分を垂れ流している奴を前にすると、俺のトーンに合わせようとするとダウナーな感じになりそうで、かといって、軽いトーンでいじるようにして話しかけるネタが俺にはなかったりするから、何とも話しにくいなと思って黙ってしまうのだろう。
 比較的服装がまともということでは、自分たちの部署内では俺と原さんがそういうことになるという感じの二人ではあるのかもしれない。部署内は他にマネージャーで小ぎれいにしている人がいるけれど、その人はいかにもな感じの、清潔だしそこそこおしゃれだけどかっこいいという感じではないおじさんだった。けれど、それ以外だと、みんな普通か普通のおっちゃんぽいかで、おしゃれと言えなくもないくらいの人もいないのだろう。全体的にダサい人の集まりという感じすらあるのだと思う。
 自分たちの部署だけではなく、会社全体が平均年収が高めなわりにはそれほど服に金を使っている感じの人は少なかったし、ぱっとみておしゃれな人も少なかった。社長はかなり地味なスーツを着ていたし、他の役員も地味にしている人が多かった。取締役の一人がこてこてのレオン系で、レオン系のブランドで、レオンの誌面に載っているほどあざとくない感じの、上品だけれどぱっと見て高級なことがわかる感じの服を着ていた。あとは二、三人おしゃれだなと思う感じの人がいるくらいだろうか。百二十人くらい男がいるわりには、普通かおしゃれかというならおしゃれだと言えるくらいの人ですらほとんどいなかった。
 原さんにしても、本人もそれを目指しているのだろうけれど、おしゃれというよりは普通のちゃんとしている格好という感じだった。原さんはけっこうがっしりした身体をしているし、そんなにピッタリと細いスーツは着ていなかった。派手なものや色が明るいものも着なくて、チャコールグレーばかりな気がするけれど、ツープライス店のスーツよりはちょっとしっかりしたものを着ているように見えるし、多分セレクトショップのオリジナルとかなのだろうと思う。シャツは常に白無地系か白の織柄で、ネクタイはストライプ系が多くて、発色が悪いようなものはつけてなかった気がするけれど、いつも無難な感じではあった気がする。俺はセレクトショップ系は身体に合わないし、ヤフオクが息抜きみたいな感じなのもあって、中古とかアウトレットで元値がセレクトショップのオリジナルよりは高い感じのものを着ていることが多かった。多少派手でもいいかと思って色の多いものをよく着ていたし、原さんは俺をおしゃれ好きな人だと思っているかもしれない。
 前に同僚の結婚パーティーがあったときに、俺がくっきりした白黒の派手な裏地のスーツを着ていて、原さんが裏地に気が付いて「すごいっすね、それ」みたいな感じで、中を見たそうにしたから、見せてあげたことがあった。アウトレットでそれほど高くはなかったのだけれど、ゼニアの生地だったから、タグをみて原さんは「おお、さすが」みたいなことを言っていた。やっぱり原さんからすると俺はそういうイメージがあるのかもしれない。
 けれど、かといって別に服の話もしないし、お互いの案件のことをほどほどの馴れ馴れしさで話すくらいなのだ。一緒に客を担当したこともないし、席が近かったこともないから、そんなものだろうなと思う。飲み会と喫煙所くらいでしか一緒にならないし、社内では誰も俺のことをネタ的にいじる人がいないから、俺に対してのとっかかりになるようなパターンがいつまでもわからないような感じなのかもしれない。
 けれど、たまに仕事のことで質問しに来てくれたり、飲み会なんかで俺が喋っているのを見ているときの目付きとか態度からすると、俺のことが嫌いだったり苦手だったりするわけではないのだろうなと思う。むしろ好意的なものを感じるくらいだったりする。単純に、お互いに印象は悪くないけれど、なんとなく話すことがないから無理に話さないだけなのだろうと思う。



(続き)

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