【小説】会社の近くに住む 1-1
1 十月六日水曜日
髪の毛を乾かし終わって、部屋の明かりを消して、ベッドに膝をついて窓に手をかけた。
頭をベッドにつけるくらいにさげて、下から窓の外を見上げるようにすると、会社のビルが見える。まだ二階には明かりがついていた。二階には印刷系の機械メーカーが入っている。ビルの喫煙所にいると、そこの営業らしい人が、トラブルがあって朝まで調整してそのまま客先に直行したとか、技術系らしい人が、徹夜で対応が終わったからこれから帰るだとか、そんな話をしていることがある。四階のフロアは俺が消灯してきたまま暗くなっていた。三十分前までは俺がいて、二階と同じようにぼんやりと灯りが漏れていたのだろう。
一時五十分くらいに仕事を切り上げて、誰もいない薄暗いフロアを反対側の端まで横切って空調の電源が集まっているところに行って、サーバールーム以外のすべての空調が切ってあるかを確認した。またフロアを端まで横切って席に戻って帰り支度をして、帳簿に退出時間と最終退出者名を書いて照明を落としてフロアを出た。エレベーターを降りてビルから出てタバコに火をつけて、吸い終わるまでもなくアパートについてタバコをくわえたまま部屋に入った。タバコを灰皿に置いて服を脱いでシャワーを浴びながらタバコを吸って、フィルター近くまで吸ってしまったのをシャワーにあてて消してそのまま排水溝に落とした。歯を磨いて髪と身体を洗って、身体を拭いて紙パックの烏龍茶を飲んで髪を乾かした。目覚ましは八時十分に合わせた。
六時間後にはまたあのビルの中にいるのだなと当たり前のことを思った。
窓を二センチくらい開いたところまで閉めて横になった。セミダブルのベッドの端に転がって、布団を持ち上げてその下に身体を入れた。
枕のちょうどいい位置に右耳を落ち着かせて、目を閉じて息を大きく吐いた。脚と腕をそれぞれ骨があたって痛くならないように重ねて、身体をゆるめていく。それまでも楽な姿勢でいたつもりだったのに、こうして横になると身体全体からどんどん力が抜けていく。
目の奥が疲れている感じはするけれど、頭の中は覚めたままだった。なんとなく頭の奥がだるくなっているのを感じるけれど、眠たいという感覚はまったくなかった。
昔からずっと夜型で、夜中になると眠くなってきたりだるくなってきたりというのがなかった。残業していて多少疲れてきても、眠気みたいなものは出てこないし、だるくなってきたから切り上げようというほどにはなってこなくて、それでずるずる残業が長くなってしまうというというのはあるのだと思う。
社内システムで退勤の打刻をするときに残業時間を入力したけれど、今日は十七時四十分から二十五時四十分までの八時間だった。会社の定時は八時四十分から十七時十分までの七時間半だから、それよりも残業時間の方が長かったことになる。
今日は打ち合わせもなくてずっと席についたままだったし、問い合わせも少なかった。気を散らす先もなく作業を進めていたから、定時が終わった時点でもそれなりに疲れていた。八時頃に夜の休憩で会社を出て、部屋に戻って仮眠したけれど、それがなければ夜中まで集中力がもたなかったのだろうと思う。疲れはあるはずで、この目が覚めた感じは、かなり集中して仕事していたところからまだ一時間も経っていなくて、頭が回転したままになっていているからなのだろう。
十一時くらいに一区切りついていたのに、思った以上に仕事が進んで調子づいてしまって、なんとなく別の案件にも手を付けてしまった。軽く要件を整理するところまでやって、十二時くらいには帰ろうと思っていたのに、少しやり始めるとすぐに出来上がりそうな気がしてきて中身にも手を付けてしまった。そして、思ったよりも面倒なところがあって、すぐには終わらなかったけれど、その面倒なところの作り込みも順調に進んでいったから、途中で切り上げるタイミングもなくて、ずるずると作業を進めて一時半を過ぎてしまった。その案件は再来週中に終わらせて、それから客に動作確認を開始してもらえばいいというスケジュールだったけれど、明日もう一度確認して問題なければ、もう客に渡せる状態になってしまう。
今日このベッドに横になるのは三回目だった。昼休みに飯を食った後に部屋に戻って十五分、夜の休憩のときに三十分、そして、これから五時間半くらい眠れる。
睡眠時間が六時間でも疲れは抜けるより持ち越す感じになる。明日も昼飯の後に部屋に戻って少し横にならないとかなりだるくなるのだろう。
ここ数日で疲れ過ぎな感じになっているかもしれないし、気を付けないといけない。あまりに疲れが溜まりすぎると目覚まし時計で起きられなくなってしまうことがある。目覚まし時計は、八年くらい前に中野のドン・キホーテで一番音が大きいのを買ったのを今でも使っていた。あまりにもベルの音がうるさくて、早く止めないと近所迷惑で怒られそうなくらいだったし、付き合っていた女の人たちからも、びっくりして怖くなるからやめてほしいと不評な目覚ましだった。けれど、疲れすぎて寝過ごしてしまったときには、その目覚ましを止めた形跡がなかったりする。三十分か一時間くらいは鳴り続けているはずだけれど、あの音が鳴っている中で眠り続けているのだと思うと、起きられないときの自分の眠りの深さに呆れてしまう。
あまりにも疲れているときにしかそんなふうにはなったことはないし、そうやって寝過ごした後にはかなりすっきりとした感じに目が覚めて身体の調子もよくなる。身体が深い睡眠を必要としているから、そんなふうに寝過ごしてしまうのだろうし、勝手にそうやって身体が自動で調子を整えてくれているということではあるのだろう。実際、社会人になってから、寝過ごしはあっても、体調を崩したり病欠はしたことはなかった。
けれど、社会人なのだから当たり前だけれど、そんなふうに寝過ごすのはまずいのだ。前の会社はフレックス制だったし、みんなが残業漬けで慢性的に体調を崩していて頻繁に出社が遅れる人が何人もいたから、俺がそんなふうに二、三時間寝過ごしてもそれほど迷惑がかかることもなかったりした。けれど、今の会社は自己都合遅刻という制度がなくて、電車遅延のような自分の責任ではない理由がない場合は休暇を取らなくてはいけなくなる。そして、半休という制度もないから、定時に一分でも遅れると社内に入ることもできなくて、一日休みを取るしかなくなってしまう。一日いないとなると他の人に迷惑もかかるし、俺としてもそんなことで有給休暇を使いたくなかった。目覚ましの二時間後くらいに目が覚めて、携帯に入っている上司からの連絡に返事を返して、そして、すっきりした頭と身体で、仕事のない平日を午前中から持て余すことになってしまう。ここ何ヵ月かは寝過ごしてないけれど、去年はそんなふうに不本意な休日を過ごしたことが何度かあった。
この部屋に引っ越してきてからは、あまりに疲れているときは昼や夜に部屋に戻ってベッドに横になって仮眠しているから、今にしたってそこまで疲れているわけでもないのだと思う。けれど、ここ三年くらいほとんど運動しないようになって、自分でもわかるくらいに体力が落ちてきている。起きられなくなってしまわないように、明日にでも少し長めに寝るようにした方がいいのだろう。
(続き)