【小説】会社の近くに住む 1-3
そのバーのマスターは、ウェーブした白髪まじりの髪と髭を伸ばして、あまりに着古しすぎたトレーナーとかネルのシャツとか、いつもそういう楽そうな格好をしている五十歳近くに見えるひとだった。いつもとろんとした目をしていて、汚くもダサくもなくて、背も高めで、目鼻立ちもはっきりしていたし、リラックスした感じもして、いかにもダメ男好きな女の人にもてそうな男の人だった。そういう都会の住宅地にもしっくりこなくはない感じにこなれたヒッピーのようなマスターがいる店に、あまり若そうにも見えない、三十代後半から五十代くらいが中心の客が何人も集まって、夜中をずいぶん過ぎてから「およげ!たいやきくん」を流しているということに、二十歳の俺は唖然としていた。そして、そこから八年半そこに住んでいたけれど、「およげ!たいやきくん」は何度も夜中に流れ始めた。そのバーのマスターなり常連たちにとって「およげ!たいやきくん」というのは、どうしてもたまに聞きたくなる曲なのだなと不思議に思っていた。
バーから道を挟んだ向かいに、民家の一階に小さなのれんを出した、基本的に焼いていないたい焼き屋があった。「谷中名物たいやき」と書かれた紙が貼られていたし、昔からのお店で、昔はもっとたい焼き屋らしい店構えだったのだろう。店はおじいさんとおばあさんでやっていて、家は息子夫婦と孫とで住んでいるようだったから、家を建て替えたときに、両親の老後の生活の張りのために、たい焼き屋を続けられるように家の作りを調整してあげたという感じだったのだと思う。のれんがなければ店をやっているなんて気が付かないくらいの店構えだったし、もう商売としてどうこうしようという気はなかったのだろう。
もはや商店街と言えるような状態ではなくなってしまった、地元の人の通り道でしかないところで店を開けていても、客なんてそうそう来るわけもない。西に歩いても東に歩いても十分で高円寺か中野の駅前なのだ。三分くらい歩けば南北にコンビニがあったし、五分歩けば東西にもあった。誰も買い物に困っていなかった。おばあさんはよく店の前に置かれたベンチに座ってひなたぼっこをしながら客を待っていたけれど、八年半住んでいて二、三度しか客がたい焼きを買っているのを見たことがなかった。俺がそこに住み始めたときには、すでに焼いてあるたい焼きが、もうすでに何時間そのままなのかわからない感じで店先に置かれていたりもしたけれど、何年かするとたい焼きが置かれていることもなくなった。かといって、のれんはかかったままだったし、いつのまにか「谷中名物たいやき」と「ブロックアイス」のポスターが新たに貼りつけられたりしていた。結局俺が引っ越すまで店が畳まれることはなかったけれど、ばあさんも店の前のベンチで見かけなくなっていったし、一日に一個でも売れているんだろうかと思っていた。
それでもたい焼き屋を続けるというのは、どんな気持ちだったのだろうなと思う。そして、そんなたい焼き屋の向いのバーで、夜な夜なその曲が大音量で流れていたのだ。
たいやき屋のおじいさんおばあさんも、窓を開けて眠ることもあっただろうし、眠りの浅い日には、真夜中の部屋にそれなりの音量で「およげ!たいやきくん」が響いているのにうなされることもあったのかもしれない。
あの歌は焼かれるたい焼き側の視点で歌われたものだったけれど、たい焼きを焼く方にしたって、毎日毎日鉄板の上に粉を流し込んでいるのに嫌になってしまうこともあったりしただろう。昔は客もたくさんいて、毎日焼く甲斐もあっただろうけれど、一日に何人来るのかわからない客を待ちながら、それでも毎日毎日鉄板に油を引いて、その日の最初の数匹を、それが一日が終わるまで売れ残ってしまうかもしれないと思いながら焼いているのでは、どうしたって虚しくなってしまうこともあっただろうと思う。バーから流れる「およげ!たいやきくん」は、そういう種類のいやがらせだったのかもしれない。
ばあさんが店先に顔を出している時間にはバーはまだ開店していないけれど、夕方頃にはマスターが高円寺で買い物をして帰ってきたりしていた。ばあさんも店の中からそれを見ていただろう。マスターの方はばあさんに挨拶したり声をかけたりもしていたんだろうと思う。そして、夜な夜なたい焼きの歌を店の外にまで響かせていたのだ。もしかすると、落ちぶれていく商店街の中で、ばあさんがたい焼きを嫌になってしまうか、先にバーが潰れるのかという勝負が十年とか二十年決着がつかないままになっていたということだったのかもしれない。
もちろん、そういう意地悪ではなく、いつまでも店を閉めずに頑張っているおじいさんとおばあさんに、同じ商店街の後輩からの敬意を向けたものだったのかもしれない。もしくは、バーでは小腹が空いた人のために、たい焼き屋から毎日たい焼きをいくつか仕入れていて、そのたい焼きを食べる客がリクエストすることで、頻繁に曲が流れていたのかもしれない。いい歳をした人たちの集まりだったし、毎日毎日嫌になっちゃうよと海に逃げ出してみたら、桃色さんごが手を振ってくれながら気ままに泳ぐのがとても気持ちいいというイメージに、日々の鬱憤を晴らそうしていたのかもしれない。けれど、その続きの歌詞は、逃げ出して気楽な暮らしを始めても、たい焼き屋のおじさんに詰め込まれたお腹のあんこが重いし、だんだんお腹が空いてきてエビに食いついたら釣り上げられて食べられてしまうというようなものだったはずだし、バーの客たちも、どのみち自分は他人の食い物にされる身でしかないんだと、曲が終わっていくのをみんなでしんみり聴いていたのかもしれない。そして、しんみりした空気の中で誰かしらが気の利いたことを言ったりするのがお決まりだったりしたのかもしれない。
あの赤っぽい光の中に中年が集まるバーというのは、そういう曲を流すたびに面白がっていられる人たちの集まりではあったのだろう。そこに住み始めた頃は、そういうノリを気味悪く思っていたけれど、今となって思えば、そうやってくだらないことで楽しく盛り上がっていられる場所があって、そういう店が何十年も続いてくれているのは、客にとってはありがたいことなんだろうなと思う。
「およげ!たいやきくん」の他にも、定期的に大きな音量で流れ出す曲がいくつかあった。頻度の高い曲は毎日のように流れていたようにも思う。週末とかは夜中過ぎでも彼女と喋ったり同居人とテレビを見ていることが多かったけれど、またあの曲が流れ出したなというふうに思って、何の曲なんだろうとぼんやり聴きとろうとしていたりした。何十回どころでなく百回以上聞いていたのだろうけれど、何の曲だかわからないままで、イントロの音と歌詞をはっきり聞き取れない歌のメロディーだけがいまだに耳に残っている。多分七十年代とか八十年代の日本のマイナーなバンドか何かの曲で、そのバーの客にとって青春の思い出っぽいムードを共有できるような、バーのテーマ曲のようなものだったのかもしれない。
そして、夜中に音を漏らしまくっているだけでもおいおいという感じだったけれど、店が狭いこともあってか、客が店の外で騒いでいることもよくあった。店の前で喧嘩していたりすることも何度かあったし、いい歳をしたおっさん同士が立ち話で「お前そんなんじゃだめだよ」的な暑苦しそうな話をずっと続けていたり、いかにもかまってもらいたがりなふうに見える女の人のそばで男が「考えすぎなんじゃないかな」みたいなことを言っていたり、俺の家の壁に立ち小便をかけられていたり、何かと頻繁に騒がしかった。喧嘩はたまにしかなかったし、たいていは控えめに声を荒げて言い争っていて、せいぜい小突き合いのような感じになっているのを誰かが間に入って仲裁しているというくらいのものが多かった。一度、うるさいなと思って窓からバーの方を見ると、男がふたりで何か言いながら微妙な距離で向かい合っていて、片方の男がミドルキックを繰り出してそれが直撃してびっくりしたことがあった。ミドルキックは左胸にきっちり入ったわりには効かなかったようで、くらった方が何歩か後ずさって、そこからもみ合いになっていった。みんなで仲良く「およげ!たいやきくん」を聞くようなバーの客同士だからなのかもしれないけれど、たいして喧嘩慣れしてそうにもないひょろひょろの二人で喧嘩するのに、前蹴りのようなものではなくミドルキックを繰り出すような人がいるんだなと呆れてしまったし、素人のミドルキックなんてきれいに決まったふうに見えてもちっとも効かないんだなと失笑しながら、また窓をある程度のところまで閉めてベッドに横になっていた。
(続き)