【小説】会社の近くに住む 1-7
けれど、どうして今さらという気もする。彼女と別れてから、もう半年近く同じ状況だったはずなのだ。そもそも一年半前からこの部屋にいたのだし、この部屋が静かなことはとっくにわかっていたはずなのだ。それなのに、今になってひとりきりの夜中過ぎというのは、こんなにも静かなものだったんだなと思っている。
それくらい彼女と別れてからずっと気分が沈みすぎていたということなのだろう。やっと少し落ち着いてきて、今さらのようにして、自分が初めてなくらいにひとりきりなったんだということに気が付いたという感じなのかもしれない。
あれからずっと、拒絶されたことだけが自分の気持ちを埋め尽くしていたのだと思う。拒絶されたときの感触がずっしりと残っていて、眠ろうとするときも、すぐにそういう自分の気持ちに引きずり込まれていたのだろう。鬱病の人が毎日歩いている道に花が咲いているのに気付かなかったりするように、自分の苦しい気持ちに意識が行き過ぎていて、静かなことや初めてのひとりなんだということにも気付きようがないような、ひどく鈍感な状態になっていたのだ。
今は気持ちがエアポケットに入り込んだような状態なのだろう。彼女と別れてからずっと気持ちが不安定なまま低いころをぐるぐるし続けていたけれど、そういう別れのショックを長々と引き伸ばした時間を通り過ぎて、やっとショック状態を抜けたのだ。そして、ショックは抜けたけれど、ショックの代わりに何か思うわけでもないような、空っぽな状態になっているということなのだろう。実際、びっくりするくらい何も思い浮かんでこない。今日は何をしたんだっけと思っても、自分ですごいなと思うくらい何も思い浮かんでこないし、明日どうしようかと思っても、どうしたいということが何も思い浮かばない。
今はむしろ、油断するとさっきまでやっていた仕事の、もしかしたらまずいかもしれないところを思い出して、明日チェックしないといけないなとか、どういうパターンのチェックをすれば大丈夫そうかということを考え始めてしまいそうになる。シャワーを浴びているときも、いつの間にかそういうことを考え始めていて、しばらく歯ブラシを同じところばかり行き来させていた。
けれど、今日何があったのだろうと思うにも、何があったというほどのことは何もなかったのかもしれない。今日もただ仕事を進めただけだった。人と喋ったりはした。すれ違う人たちとあいさつして、吉井さんにこれどうすかねと確認を求められて、羽田さんにこれなんすけどこんな感じでやればよさそうすよねと声をかけて紙を渡して、後でその話をして、開発会社の黒岩さんから電話がきて画面を見ながら三十分くらい話をして、全社会議に出す議題の説明資料を作って羽田さんに確認してもらって、開発会社から納品されたアプリケーションを動作確認して、それについて松田さんと十分くらいの電話を二回して、客から依頼されていた画面変更をリリースして、報告のメールを入れて、新しい機能を作るのをやり始めて、日付はまたいだとはいえ、なんとか今日中に終わらせた。
何もしなかったわけではなく、そういうことをしたのだ。けれど、別に何があったわけでもなかったといえばそうなのだ。残業してやっていたことにしても、面倒ではあったけれど、特に難しいということもなくて、粛々と処理しただけで、やっていて何を思ったということもなかった。何を思ったということがなかったのだから、思い返すようなことが何もないのはどうしようもないことなのだろう。
平日は仕事をして一日の大半が終わってしまうのに、仕事にそんなふうに思っているのはよくないのだろうなと思う。けれど、ちゃんと進んでいても仕事に対して何を思うわけでもない感じになってきてから、もうずいぶん経っているのだと思う。二年前はまだ達成感と自分の成長みたいなものにあれこれ感じたりというのはあったのだろうけれど、一年前は微妙だなと思う。彼女と別れた頃なら、もう完全にそんなふうだったのだろう。けれど、彼女がいたときには、仕事がそうだからといって、自分の生活が空っぽなふうに感じたりすることはなかったように思う。
どうしたってそういうものなのだろうけれど、普通のサラリーマンにとって、彼女がいるかいないかの違いは、自分がどういう生活をしているのかという自己イメージを劇的に変えてしまうものなのだ。どうしたって、生活がまったく違ってしまう。仕事が終わったら彼女と会うとか、部屋に戻ったら彼女が待っているとか、また明日なり週末なり会いに来てくれると思いながら生活していたのだ。彼女が来ていれば彼女の呼吸の音を聞きながら眠っていたのだし、来ていなくても、毎日メッセージをやり取りして、次に会うときにどこに行きたいとかリクエストしてくれたし、自分のことをひとりだなとなんて思うこともなく眠っていた。
だから今さらのようにこの部屋の静かさが気に障ったりしているのだろう。ショックが落ち着いてきて、久しぶりに自分はひとりなんだなと思いながら、かといって何も頭に浮かんでこない空っぽな気分で眠ろうとしたときに、こんなふうじゃなかったのになと思ってしまうのだ。俺が空っぽだったのは昔からずっとそうで、けれど、俺は今までずっと、空っぽな意識の中にいろんな気配が通り過ぎていくのを感じているうちに、苦しみもなく眠りにつくことができていたのだ。
この部屋では上下からも隣からも生活音ですら聞こえてきたことがない。各階二戸の三階建てで、階段を挟んで部屋があるから、上下にしか部屋は接していない作りになっているのもあるのだろう。そして、前の高円寺の家は不動産屋からも築年数不明と言われたおんぼろだったけれど、今のアパートは平成十年代に建てられたもので気密性も高かった。高円寺の家は隙間だらけで、冬は暖房をしてもぜんぜん効かなくてコタツで我慢していたけれど、ここに越してきて、冷房でも暖房でも、あっという間に部屋の温度が変わるのに驚いてしまった。こんなに密閉されてしまっていれば、窓を閉めるだけで、声もほとんど外に漏れることがないのだろう。
どうしてこんなにも静かな部屋を作ってしまうのだろうなと思う。確かに、冷暖房の効率を考えれば、できる限り密閉されている方がいいのかもしれないけれど、こんなにも閉じ込められている感じがしてしまうのもどうなのかなと思う。
東京の単身者向けのワンルームのアパートなのだ。俺は神戸のニュータウン育ちの二人兄弟で、自分の部屋もあったし、それほどプライバシーがない環境で育ってきたわけでもないけれど、もっと田舎から上京してきている人たちも多いのだろうし、こんなに閉じ込められた感じがしてしまうと気持ち悪くなってしまう人も多いんじゃないかと思う。
けれど、密閉感みたいなものが嫌だとしても、それは静かすぎるかどうかとはまた別のことなのだろう。静かすぎなかった場合には、他人のたてる音が聞こえてくるのだし、自分のたてた音が他人に聞こえてしまうのだ。実際、部屋が静かすぎるということが問題になっているというのは聞いたことがないし、静かでないことにクレームをつける人はいても、静かなことにクレームをつける人はいないということなのだろう。そして、ほとんどの人は、静かなら静かにこしたことはないと思っているのだろうとも思う。
(続き)