【小説】会社の近くに住む 1-6
昔からそうだった気がするけれど、俺は窓を閉め切るのが好きではなかった。よほど雨が強かったり、風がある雨の日でもない限り、真冬でもほんの少しは窓を開けていた。アレルギー持ちで、シックハウス症候群っぽい感じもあったからか、締め切った部屋の空気が昔から好きでなかった。実家が震災後に建て替えられて、新しい家に戻ってからしばらくは、空気に薬っぽい匂いがあるような気がして閉め切っているとだんだん鼻が詰まってくるような感じがしてきたから、自分の部屋ではいつも窓を少しは開けるようにしていた。次に住んだ大学の学生寮は建物が古かったから良くも悪くも風通しが良かったし、空調も冷房なしのセントラルヒーティングでアレルギーの症状もほとんど出なくなって、耳鼻科の先生からも、ずっとそこに住んでいてくださいと言われたたりした。そこから引っ越した高円寺の家も風通しがよかったし、今のアパートも入居前の壁紙の張替は断わったから、シックハウス的な症状は出ずにすんでいる。それでも、十年ぶりくらいに気密性が高い建物で生活してみると、冬に窓を閉めて暖房をしたときにはすぐに気持ち悪くなってきたりした。住んでいる家だけではなく、オフィスビルなんかでも同じで、高層ビルとか、立派なビルほどそんな感じがするけれど、窓が開けられない締め切った空間の空気もうっすらと気持ち悪いし、そういう場所でご飯を食べるとおいしさが損なわれるのが嫌だったりするから、なかなかオフィス内で昼飯を食べる気になれなかったりする。他人の家なんかでも、食べ物を出してもらっていて、室内の匂いがして邪魔だなと思ったりすることもあるし、密閉したうえで空調で空気を入れ替えている空間の匂いが嫌なのだろう。そういう匂いや、なんとなくの息苦しさを感じるたびに、どうしたって室内の方が臭いのだから、どこであれもっと窓を開ければいいのにと思っていた。
そして、空気の匂いの問題だけではなかったのだと思う。ドアをちゃんと閉めようとしないのもそうなのだろうけれど、空気の流れだったりとか、音が部屋の中だけで響いているような感じだったり、閉じ込められているような気分になってしまわないために、窓を閉め切らないようにしていたところもあったのだろう。
窓の細い隙間からは、外の音がかすかに聞こえてきていた。実家では数百メートル先の谷になったところから響いてくる電車の音とその手前の道を走るバイクの高い音が聞こえてきた。学生寮は窓ではなく廊下に続くドアから誰かが歩いている足音が頻繁に聞こえてきたし、高円寺の家ではバーから漏れる音がずっと聞こえていた。
この部屋だって、夜の休憩で七時半くらいに仮眠しようとしていたときには、こんなにも静かではなかった。近所のテレビの音もあっただろうし、部屋からほんの十メートル先の通りにも人通りがそこそこあって、人の話し声が混ざり合ったような音が途切れ途切れに続いていた。荒木町のどこかの店に向かっている人たちも歩いていただろうし、俺の会社の人たちも四谷三丁目の駅に向かって歩いていたりしたのだろう。
こんな時間だからというだけなのだ。日付が変わる頃くらいまでなら、ここだって普通の住宅地よりよほど人の気配が濃く漂っている。終電ぎりぎりまで飲んでいる人たちも帰ってしまった後まで仕事をしているから、せっかく騒がしそうな街に引っ越してきたのに、静かすぎるなんて思ってしまうことになるのだ。
けれど、高円寺の家にいた去年の三月までだって、今以上に仕事ばかりしていて毎日帰りは遅かったのだ。それでも、終電に乗って夜中の一時とか一時半に家について、二時とか二時半にベッドに横になっても、向かいのバーが騒がしくしてくれていた。バーが休みだったとしても、家の中に気配がないわけでもなかった。
高円寺の家は外もうるさかったけれど、家の中にも一緒に生活する人の気配があった。誰かが何かをすると、他の部屋にいてもその音が聞こえていた。俺は自分の部屋にいるときは音楽を流していることが多かったけれど、寝るときには流していなかったし、そうすると同居人が階段を上がってくるだけでも、板張りの階段や居間の床がきしむ音が響いてきたし、テレビを見ていたり、キーボードを打っている音も、戸を閉めていても筒抜けなくらいに聞こえてきていた。
音がほとんどしない夜中の寝静まった時間で、バーも週一回の休みだったとしても、同居人は夜中にトイレに行くために目が覚める人だったから、その音が聞こえてきた。そして、これは家がぼろすぎたからなのだろうけれど、同居人が寝返りを打って小さく家が揺れたりもしていた。そういう音が聞こえてきたり、聞こえてくるかもしれないと思っていられることで、家の中に自分しか何かの気配を立てるものがないのとは、じっとしているうえでの気分はずいぶん違っていたのだろう。
部屋の中にいてバーからの音がよく聞こえていたのもそのせいだったのだろうけれど、高円寺の家はどうしようもなくぼろかった。最初に不動産屋に連れられて物件を見に来たとき、二階に上がった瞬間に部屋が傾いているのがわかった。それ以外の外観や内装にしても、中野駅からも高円寺駅からも徒歩十分以内で七十平米以上あって十万五千円という家賃も納得のぼろさだった。いたるところが隙間だらけだったのだろうけれど、タバコを吸っていても部屋の中が白くなることがなかったし、逆に冬は暖房が効かなくて家の中で息が白いこともあった。居間で同居人とテレビを見ていたら天井の塗り壁が剥がれ落ちてきたこともあったし、毎年ではなかったけれど、数年に一度くらいの強烈な台風のときには盛大に雨漏りしてくることもあったし、大きめのトラックが家の前の道を通ると、家全体が小さくきしんでいたりもした。トラックが通ると揺れるというのは地盤の問題が大きかったりするのだろうし、それくらいならありそうなことだけれど、夜中に同居人が寝返りをうったような気配がしたときに家が小さくきしんでいるのに気付いたときには、あまりにもだなと思ってびっくりした。
ずっとそうだったのだ。俺は今まで寝ようとして横たわっているときに、こんなにも静かな時間を過ごしてきたことがなかったのだ。一年半前にこの部屋に越してくるまでの二十八年と少しの間、俺はずっと誰かと一緒に住んできた。十八歳までは実家にいたし、それから大学の学生寮に入ったけれど、八畳くらいの部屋に二人でいて、自分が眠るベッドの一メートル横に相部屋のベッドがあった。それから友達と一緒に高円寺の一軒家を借りて、同居人が替わったり、一人増えたり減ったりを三回くらい繰り返しながら八年半住んでいた。東京に出て以来、同じ部屋なり同じ家に同居人がいないのはこの一年半が初めてだった。そして、この部屋に越してきて一人暮らしになってからも、彼女はかなり頻繁にこの部屋に来ていたし、合鍵も渡していた。間近で彼女の寝息を聞きながら眠ることができていた。それもなくなって、同居人も彼女もいなくて、ひとりで暮らしてひとりで眠るというのは、人生でこの数か月が初めてだったのだ。
(続き)