
【小説】会社の近くに住む 2-12
原さんがタバコを吸殻入れに入れて、俺もタバコを消した。
「んじゃ」と言って原さんはビルに戻っていった。俺もビルの裏手から出て部屋に向かった。
ビルの敷地を出ると前から熊野さんが歩いてきていた。携帯電話の画面をかなり一生懸命な感じにじっと見ながらゆっくりと歩いていた。
アパートの方に降りる階段の手前ですれ違うときに手を振って気付かせた。
ちらっとこちらを見て、ばっと頭をあげて「はははっ。おつっすー」と大きく笑顔になる。
何の笑いなんだろうかと思いつつ「お疲れっす」と返して、ゆるく口だけ笑わせて何度か頷いたけれど、熊野さんの方も別に何もないらしく、それだけですれ違っていった。
熊野さんも飯を食ってきて戻ってきた感じなのだろうけれど、なかなかだるいようだった。別に振り返って確認はしないけれど、もうすでに携帯を見るのに一生懸命な状態に復帰しているのだろうなと思う。
どれだけだるかろうが、ひとがいたらやけくそでもしっかり笑えるのはえらいなと思う。けれど、別のことを考えたまま顔だけ思い切り笑わせている感じの笑顔に、自分の中での熊野さんの第一印象を思い出してしまった。
階段を降りて、アパートの二階に上がって、熊野さんとすれ違って三十秒もしないくらいで部屋に入った。スーツを脱いでシャツを脱いでベッドに横になった。三十分後に携帯電話のアラームを設定して目を閉じた。一気に力が抜けて、すぐにぼうっとしてきそうだった。
さっきの熊野さんのだるそうで無理やりな笑顔の感触が残っていて、なんだかなぁと思う。
熊野さんとは、今では喫煙所とか飲み会でもよく喋るし、仕事で絡みのない人の中では一番仲のいい人なのだろうけれど、第一印象はひどいものだった。
もう二年近くとか、もっと前なのかもしれない。俺がまだ高円寺に住んでいた頃だったと思う。グループごとに分かれての忘年会の日だったのかもしれないけれど、羽田さんのグループでの飲み会をしていて、だいぶん飲んだ頃に、他のマネージャーのグループも飲み会をしていたところから何人かが合流してきて、その中に熊野さんもいた。熊野さんが入社して間もないころだったし、向こうの飲み会は熊野さんの歓迎会だったのかもしれない。別のグループだったから熊野さんとは喋ったことはなくて、この前入社したひとだなと思いながら、ずいぶん酔っ払っている感じの熊野さんが他の人と喋っているのを眺めていた。もしかしたら飲みの最中も少しは喋ったのかもしれない。向こうのマネージャーが関西の人で、熊野さんも神戸の北の方だか三田だかの辺りの人らしくて、正田君も神戸だよと紹介されたような気がする。
四谷三丁目辺りで飲んでいたけれど、まだ高円寺に住んでいる頃で、店を出て三次会に行く人たちと別れて四ツ谷駅まで行くのに、熊野さんとふたりになって歩いていた。熊野さんはふらふらした感じで、俺はずいぶんな酔っ払い方だなと思いながら、隣を歩いていた。
少しして、熊野さんが、振り返りつつ俺の顔はちゃんと見ていない感じで「正田さん、正田さん」と言った。俺は「はいはい」と答えた。
「オメコしてますかー?」
何の脈絡もなくアントニオ猪木みたいな口調でそう言って、がははと笑っていて、俺はたいして酔ってはいなかったから「え?」という感じで答えたけれど、熊野さんは「男はオメコしてなんぼですよ」と続けてきた。
「あぁ、まぁしてるけど。そうかねぇ」と答えた。
「やっぱ男はオメコせんとですよ」
熊野さんはまっすぐ前も見ていられない感じで、まだ何か続けようとしていた。
言葉が出てこないから、それを聞こうとするみたいに「なんですか」と声をかけたけれど、熊野さんはその俺の顔もちゃんと見ていなくて、「いやぁ」とかぶつぶつ言いながら、少しふらふらしながら俺の横を歩いていた。支えてあげる必要はなかったけれど、まっすぐは歩けていなくて、何度も俺に軽くぶつかってきていた。
ひどい酔っぱらいだなと思いながら歩いていたけれど、「男はオメコしてなんぼ」という言葉が引っ掛かっていて、だんだん嫌なことを言うなと思ってはっきりとイライラしてきた。
「男は金稼いでなんぼ」とか「男は喧嘩強くてなんぼ」とか「男は遊んでなんぼ」とか、そういう言葉はたまに耳にするものではあった。耳にするといっても、自分が誰かにそう言われたり、近くで誰かがそう言われているのを見たりしてきたわけではなくて、映画とか漫画とかテレビとかフィクションの世界で、ヤクザ的だったりヤンキー的なキャラクターがそう言っているのを何度も見てきたという感じだった。金や暴力やセックスを男の価値をはかる絶対のもとして、多少いい大学を出ていても、多少大きな会社に勤めていても、多少男前だったとしても、結局それがないと通用しないというか、それがないと一人前の男としては認められないとか、男が認める男にはなれないとか、そういうふうにこき下ろすための時代がかった言い方という感じのものだろう。なんで俺がそんな言葉を向けられないといけないんだと思った。
もちろん、いつどこで取っ組み合いが始まるかわからないような血の気の多い世界にいれば、男は喧嘩強くてなんぼだったりするのだろうなと思う。けれど、もし俺がそういう場所でやっていかなくてはいけなくなったとしたら、俺はさっさと「じゃあ俺は男じゃなくていいです」という態度をとってしまいそうだなと思う。
「男は仕事できてなんぼ」だとしたら、自分としてもそう思っているところがなくもないけれど、かといって、他人がそう思うかはその人の勝手だろうと思う。俺にしたって仕事なんてどうでもいいといえばどうでもいいし、どうでもいい思ったうえで別に仕事はできなくていいと思っている人がいたとしても、それでいいんじゃないのとしか思わない。
けれど、俺にとってセックスはそうではないのだ。「男はオメコしてなんぼ」と言ったりできるような、自分が男としてイケているかとか、男社会の中で男として認めてもられるようにやれているかとか、そんなことを思うための物差しにセックスを使うようなことを言われると、反射的に嫌な気持ちになってしまう。
俺にとってのセックスというのは、性器を押し付け合っていることで自動的に発生する気持ちよさを使って、気持ちがいいからできるような表情を交わし合いながら時間を過ごすことなのだと思う。気持ちよくなるとか気持ちよくさせるのが目的ではなくて、気持ちがいいことで、いい気分で一緒に楽しく過ごすのがセックスで、気持ちよさそうな表情とか身体の反応を通して、お互いの気持ちを確かめ合っていられるのが素晴らしい時間なのだと思っている。
だから、熊野さんの口ぶりでイメージしてしまったみたいな、自分が男らしくセックスすることで女を喜ばせて、女を満足させて、そうできていることに自分の男らしさを確かめて、自分は男だし、ちゃんとした男なのだと実感できるみたいな、そういうセックス観は俺の思っているセックスとはまったく違うものなのだ。
むしろ、色男金と力はなかりけり、というような言い方のほうが、俺のセックス観に近いのだろう。仕事で金をたくさん稼いでいなくても、喧嘩が強くなくても、悪い遊びをいろいろしていなくても、恋人や家族と気分よく心地よくやれていればよくて、そんなふうなセックスをしてくれたり、そんなふうにセックスしてくれそうだから、金と力がなくても女の人はその男のそばにいようとする、みたいなことなのだろう。それはそういうものだろうなと思うのだ。
もちろん、それとは別に、男らしさの世界というのはあるのだろうし、これまでもずっと男同士でどっちの男らしさが上か威張り合ってきたのだろう。けれど、それは金で女を買う界隈というか、金持ちとかヤクザ近辺の世界とそれに憧れる人たちの価値観だったりもするだろう。酔っ払いに何を思っても無益なのだろうけれど、少なくても俺はぱっと見てそっち系の人たちをかっこよく思うようなタイプじゃないのだから、その俺にあんなふうな物言いはしないでほしかったなと思う。
(続き)