【小説】会社の近くに住む 1-11
同居人だった奴も今はひとりで住んでいるけれど、あいつはひとりで眠りながらどんな気分でいるんだろうなと思う。俺は半年前に彼女と別れてからひとりだけれど、あいつは一年半前にひとりになったのだ。今でもたまに会っているけれど、お互いのアパートに行ったことはなくて、どんなところに住んでいるのかも知らないままだった。外の音や他人の気配に煩わされるようなことがあるんだろうか。会社が大崎で、埼京線に四十分とか五十分乗った埼玉のどこかにいるらしいけれど、そんなに賑やかなところには住んでいないのだろう。静かすぎると思ったりするんだろうか。俺が寝返りで部屋が揺れるくらいでいいのになと思っているように、これならセックスで部屋が揺れている方がましだと思ったりしているんだろうか。
あいつが今どういう状況なのか、俺はまったく知らないのだ。彼女ができたのかも知らないし、どんな仕事をしているのかは聞いたけれど、どの程度のやりがいがあって、どれくらい楽しめているのかはわからない。週末が楽しみだったり、週が明けてまた仕事が始まると思うと気合が入ったりするのだろうか。それとも、家に帰るたびにひとりきりで、仕事ばかりで一日が終わって、特に楽しみにしていることもなかったりしているんだろうか。テレビを消して布団に入った後、静かさを煩わしく思って、ヘッドホンをして眠っていたりするんだろうか。あの高円寺の家の向のバーの騒がしさを懐かしく思ったりしているのだろうか。
あの頃は全然そんなふうに思っていなかったけれど、高円寺の家で、小さく開けた窓の隙間から、バーの客たちが毎日バカっぽく盛り上がって騒いでいて、それが明け方まで小さく聞こえていたのは、ひとりで眠るうえでずいぶん気分をよくしてくれていたのだろうなと思う。
高円寺の家に住んだ最後の何年かは仕事ばかりだった。仕事をしただけで一日が終わって、終電に乗って、コンビニに寄って漫画雑誌を立ち読みして、家に帰ってきたら、眠っている同居人の邪魔にならないように静かに服を着替えて、タバコを吸いながらヤフオクを見たりして、気がすんだらシャワーを浴びてさっさと眠っていた。その頃は、できるかどうかわからないことをがむしゃらにやり続けているばかりだったから、仕事は充実していたけれど、特に楽しいことのない一日が続いて、彼女とは会うだろうにしても、他に楽しみにしている予定もない毎日だった。今ほどではなかったにしても、それなりには空っぽな気分だっただろう。
その空っぽな気分に、バーで楽しそうにしている人たちの気配が伝わってきていたのだ。それで気を楽にしていたところもあったのだと思う。自分は明日も仕事があって、寝ないとやっていられないから寝るしかないけれど、楽しそうな声が微かに聞こえていることで、楽しそうだな、楽しいのはいいなと思いながら眠っていけたのだ。そして、それはあの頃の同居人にとっても、もっとそうだったのかもしれない。
俺の仕事が忙しかったころは、あいつも仕事以外に特に何もしていない毎日だったのだと思う。彼女もいなくて、たまに友達と会うくらいで、家に帰るたびにひとりだったのだ。仕事が終わって帰ってきても俺はいなくて、俺がいないままひとりで電気を消して眠る。朝起きても俺は寝たままで、おはようと声をかけることもなく家を出ていく。そして帰ってきたらまた俺はいない。ひとりで寝る支度をして、電気を消して横になった真夜中過ぎくらいに、あのバーから聞こえていた音は、楽しそうな雰囲気で自分を包んでくれて、空っぽな気持ちをまぎらわせてくれる、ありがたい騒がしさだったのかもしれない。今の俺がひとりきりを実感しながら、この部屋は静かすぎると思っているのと似たような気持ちが、あの頃の同居人の中にもあって、それをあのバーの騒がしさが多少なりとも埋めていたのかもしれないのだ。
そもそもバーという場所自体が、まだ眠りたくなくて、誰かと一緒にいたい人たちが集まれるようにしてくれている場所なのだ。いつそこに訪れても、ひとりで眠るのを後回しにして、いつも通りの楽しい時間を分け合うことができる。そういうふうに寂しさから守りあっている空気が、あの騒がしいバーからも伝わってきていたということなのだろう。
俺にしたって、静かなのが嫌だからと、誰かの騒ぐ音が聞こえてくれたらいいのと思うよりも、自分が騒ぐことのできる場所を作ればいいのだろう。馴染みの人たちと気楽に喋ったり、話したがる人の話を聞いたりして時間を過ごしたうえでなら、その余韻で気持ちよく眠っていけるのだろうと思う。
しばらく前に、家から歩いて五分くらいのところにあるバーに行ってみたことはある。客はほとんどいなくて、途中からは店主と俺だけになって、ずっと店主と話していた。楽しくはあったけれど、楽しく話してくれる人の話を聞いて楽しんでいるという感じで、それほど気持ちを楽にできたわけでもなかった。週末に何もすることがないときに、また行ってみてもいいなと思うこともあったけれど、なんとなく行かないままになっていた。けれど、もう行くこともないのだろうなと思う。またひとりの夜にどこかに行きたくなったとしても、とりあえずは他のバーに行ってみようとするのだろう。
高円寺の家の前のバーにしても、八年半住んでいて一度も行かなかった。年齢層がだいぶん違ったのもあるけれど、そうでなくても、自分とはノリが合わなさそうに思っていたのだ。そして、実際にバーに入って、どんな流れで「およげ!たいやきくん」がかけられるだとか、バーの中で交わされているやり取りを具体的に知ることがなかったから、八年半の間、何となく楽しそうだなと思っていられたというのはあったのだと思う。
遠い声だったから、楽しそうだなと思っていられたのだ。近いと見えすぎるし、聞こえすぎる。実際に入ってみて、あまりリラックスした感じのしない奴らがえらそうにひとの悪口を言っていたりとか、年長者が嫌がっている相手の顔を無視してからみ続けていたりだとか、そうやって不快な感情がまき散らされていて周りもそれを流しているような場所だったなら、嫌な連中だなと思ってうんざりして、そのあと自分の部屋にいてバーの音が聞こえてきても、そのとき感じた嫌な感触が甦ったりして、うるさいなとしか思わなくなっていたのかもしれないのだ。
実際に行って楽しいかどうかはまた別なのだ。しばらく前に行った近所のバーみたいに、嫌な場所じゃなかったとしても、特に何か思うわけでもなく、なんとなく賑やかに過ごしただけだったなら、その場をそれほど楽しめなかった自分にがっかりしてしまったりもする。もちろん、そういう場所にはいろんなひとがいるのだし、次は話していて楽しい人と話せるかもしれない。高円寺のバーに行かなかったのはそれでよかったのだと思うけれど、ここしばらくは意味もなく残業しているだけで、実際はずっと暇しているのだから、どこにでも飲みに行けばいいのだろう。
そういえば、暇だから行ったわけじゃなかったから忘れていたけれど、他にも行った飲み屋があったなと思った。六月のワールドカップの頃に、試合を見られるところがないのか調べたら、けっこう近所にスポーツバーのような、ダーツバーのような店があって、何試合かその店で見たのだ。近くに座っていた上智の大学院にいる男の子とサッカーを見ながら喋って、連絡先を交換したりというのもあった。その後連絡したりはしてないけれど、その日なんかは楽しく過ごせた気がする。ヨーロッパサッカーでも見るつもりで、またあそこに行ってみてもいいのかもしれない。けれど、そこまでサッカーを見たいわけでもないし、サッカーを見る人と喋りたいわけでもない気もする。そして、ダーツはしないのだろうし、ダーツをするような感じの人たちのノリを楽しめるんだろうかという気もする。
けれど、どうであれ、もう時間が遅すぎる。今日はもう寝るしかない。寝る時間を削ってでも遊ぶべきで、寝不足になったとしても、楽しいことをした方がかえって次の日エネルギーが出るものだとか、そういうような話はよく見たり聞いたりする。確かにそうなのだろうなとは思う。俺も仕事が会議とか外出して打ち合わせとかばかりなら、そんなふうに思えるのかもしれない。
身体を動かしたり、ひとと喋ってまわるのが仕事ではなく、身体をじっとモニターの前に固定したまま、何時間かかかって一区切り着くような作業を繰り返す脳を使った肉体労働だから、トラブルか何かがあってよほど気が張った状態でもなければ、うつらうつらせずに働くのは、気合だけでは難しかったりする。
けれど、そうでもないのかもしれない。高円寺の家に住んでいたころ、終電で帰ると彼女が家で待ってくれていて、そこから四時とかを過ぎるまでじっくりセックスしていたこともあったけれど、翌日八時に起きると、疲れたという以上に頭がすっきりしていたようにも思う。
ただ、今はそんな気力もないのだ。誰かと喋りたいという気持ちがあるわけでもなく出かけていったところで、そこまで楽しい時間を過ごせる気もしない。行ってみないとどうなるかわからないのはわかっているけれど、楽しく過ごせる気がしないのだ。そういうどうなるかわからないことよりも、とりあえずは目先のことを優先していればいいだろうと思ってしまう。明日も仕事で、だるくてなかなか集中できないと、集中できていないことにイライラしてしまう。低生産性な状態になっている自分が嫌になってしまう。だから、もう今から寝ても疲れが抜け切らなくて明日もだるいのは確定しているけれど、なんとか仕事になるくらいに、せめて五時間半くらいは眠る。
(続き)
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