【小説】会社の近くに住む 1-9
それはどんな感じだったのだろうなと思う。横になって、息を静かにさせながら、ただじっとして、ただ自分の感覚だけがあるような時間を過ごしているような意識に、誰かのセックスしている気配がずっと伝わってくるのだ。盛り上がり方や落ち着き方とか、盛り上がってきたときのリズムや緊張感とか、セックスしているうえでの俺の気持ちの流れを感じているような時間だったのかもしれない。
俺だったら、楽しくなってきそうだなと思う。この部屋で今そんなふうにセックスの音や気配が伝わってくればいいのにと思ってしまう。部屋が揺れるだけでもいい。やってるな、盛り上がってきたなと思いながら、部屋ごと身体を揺らしてもらえれば、こんなに静かすぎるなかで眠るより、もっと心地よく眠っていけるような気がする。
けれど、それだとすぐに眠ってしまいそうで、もったいないのかもしれない。それを聞きながらぼけっと酒でも飲んでいられる方がいい気がする。音と気配を感じながら、どんなセックスなんだろうと思い浮かべるところからスタートして、だんだんそのセックスの雰囲気に浸っていって、気配や音とうまくかぶさるように自分と誰かとのセックスを想像しながら、酒を飲んでタバコでも吸っていられたら、とても気分がいいだろうなと思う。
酒ではなくコーラだったけれど、部屋が揺れていたと言っていた同居人の前に一緒に住んでいた奴は、そんなふうに俺がセックスしているのを隣の居間でソファーに座ってテレビを見ながらぼんやり感じていたことがあった。
その前の日にセックスフレンドが泊まりで来ていて、昼前に目が覚めて、起き抜けのぼんやりした状態でいちゃついている状態からセックスが始まったのだけれど、前の日の夜もじっくりやっていたからか、なかなかいけなくて、途中で相手は腰も抜けている感じでぐったりしてしまって、それでも押し込むたびに反応してくれるから、突っ伏したままになっている相手をじっくりと耕し続けていた。
身体を触り始めてからだと二時間くらいしていたのだろう。うんざりするくらい満足してから射精して、タバコに火をつけて部屋のガラス戸を引くと、居間のソファーで同居人がテレビを見ていたのだ。
戸を開けるまで、俺はそいつがそこにいるのに気が付いていなかった。物音も感じていなかったし、テレビの音も聞こえていなかったのだ。こちらが気にしないようにテレビの音量を下げていたのかもしれないし、逆に、セックスの音がよく聞こえるように音量を下げていたのかもしれない。どちらにしろ、そいつは俺がセックスしていた場所から三メートルくらいのところで、音量を低くしたテレビを前にしたソファーにもたれかかりながら、俺のセックスの音を聞いていたのだ。そして、そいつの足元には灰皿と五百ミリリットルのコーラがあった。
「飯はどうするの?」と聞かれたけれど、「どうしようかね」とだけ答えて、とりあえずそいつの前を横切ってトイレに行くのに階段を降りていった。
同居人は座っている感じも声をかけてきた感じも、いつものそいつからするとずいぶんとおとなしい感じだった。かなり長い時間黙って座っていたせいなのかもしれないけれど、どれくらいそうやってテレビを見ていたのだろうと思った。
俺がトイレから二階の居間に戻って、別にセックスの話をしたわけでもなかったのだと思う。飯はどうしたんだったかと思うけれど、確か女の人はまた寝てしまっていて、しばらく起きてこなかったのだと思う。だから、そこからしばらくふたりでテレビを見ながら喋っていたのだろう。
その頃はまだセックスすると家が揺れるのだということは知らなかったけれど、そのとき、居間のソファーにもたれかかっているそいつは、揺れを感じていたのだろうか。揺れていなかったとしても、居間を挟んだ反対側の部屋ではなく、居間の真ん中のソファーに座っていたのだ。俺がセックスしていたところからガラス戸を挟んで三メートルくらいのところにいたのだし、声だってもっとくっきりと聞こえていたのだろう。
居間のソファーに座っていると、視界の左側に俺の部屋のガラス戸が入ったはずだった。きっとガラス戸には少し隙間が空いていたのだろうし、隙間からは見えなかったにしても、俺の背中がすりガラスにぼやけて見えていたのだろう。
おぼろげな俺の背中が動いているのが視界に入っていて、ガラス戸が揺れる音と、肉と肉がぶつかる音が小さく聞こえて、女の漏らす声が断続的に聞こえてくる。振動の合間に俺のため息も聞こえていたのだろう。視界の端で小さく動いているものと同期したセックスの音を聞きながら、タバコを吸ってコーラを飲んでぼんやりとテレビを見ていたのだ。
俺もそんなふうにセックスの気配を感じながらぼんやりして時間を過ごしてみたいなと思う。この部屋ではすりガラス越しなんて無理だし、だったら横になって眠ろうとしながらでもいいのだ。男の作り出す振動と、小さく聞こえる女の息の音に耳を澄ませながら、空っぽじゃない気分でぼんやりと眠っていけたらいいのにと思う。
もしこの部屋にセックスの気配が伝わってくるのなら、真下の部屋からがいいなと思う。下に住んでいる人は、休日に出かけるときに同じタイミングになったりして、何度か見かけたことがある。俺より少し年下くらいの、かなりかわいい女の人だった。二人で住んでいるわけではないのだろうけれど、その部屋に男が出入りしているのも何度か見たことがある。いかにもストリート系という感じのファッションの男で、スケボーを持っていたり、折り畳み自転車を部屋の中に入れようとしていたこともあった。多少狭量そうに見えなくもなかったけれど、それほど嫌な感じはしない男だった。他の住人は、同じ階の隣の部屋に四十過ぎくらいのボウズでメガネのおじさんが入ってくのを見たことがあるだけで、他には出入りしているところを見たことがなかった。下の階からセックスしている気配が伝わってきたのなら、あの女の人があの男としているところだと思って、あの二人なら気持ち悪いセックスではないだろうと思いながら、その気配に感覚を委ねていられるような気がする。
伝わってくるのは気配だけでもいいのだ。俺は眠るまで何かが聞こえていて欲しいだけで、興奮したいわけではない。下の階からかすかな振動が伝わってきて、窓の隙間から音がとぎれとぎれに聞こえてきたなら、それを感じながら、ふたりがうれしそうに興奮し合っているいい具合のセックスをイメージして、その心地よさそうなムードに浸らせてもらうことで、気分よく眠っていけるのだろうなというだけなのだ。
(続き)