#140字小説『“恩”がある反面教“師”』/お題:教師の日/Xへポスト10/5
2023年10月にX(旧Twitterと呼ばざるを得ない)へポストした
140字小説を紹介します
※改行などは、Xへポスト時点より修正している場合があります。
『“恩”がある反面教“師”』
◆10月5日は「教師の日」・「世界教師デー」らしいので
自主お題として創作しました。
1994年にユネスコが「世界中の教育者の立場を認め、評価し、改善する」
ことに焦点をあて、教師や教育に関連する問題を検討する機会となることを
目的として、10月5日を「世界教師デー」(国際デーの一つ)と
定めたそうです。
これに準じて、日本では同日を「教師の日」と制定しているようです。
140字小説として創作したので、多少ドラマチックに仕上げましたが……
教師との間になんらかのトラブルがあり、「自分はやっていない」と
主張したにも関わらず、言い分が受け入れられなかった。
一部始終を見ていたクラスメイトが間に入って、冷静に状況説明をして
「やっていない」ことを証明してくれたので、教師は「まぁ、わかった」
と「やっていない」ことはなんとか認めてくれたが、自分が間違ったことを
謝ってはくれなかった。
他の先生からトラブルを指摘された時には、「普段の生活態度が悪いから」
と論点をすり替えて、問題の責任を押し付けられた。
そんな「ある経験談」を参考にして、創作しました。
主人公は、その後、庇ってくれたクラスメイトと親友になることができた
ようで、ある意味で教師に感謝しているみたいですね。
友人や知人の過去の話を聞いても、また、周りにいる現役の子ども達の話を
間接的に聞いても、問題の大小にかかわらず
「先生に自分のことを信じてもらえなかった」という経験をしたことがある
人は、意外に多いように感じました。
大人になってから実感したことですが、教師というのは、本当に大変な
お仕事だと思います。大人数の生徒を相手にしていれば、多少相性の合う・
合わない人間もいるでしょう。
また、マイナスの感情の方が色濃く「感情の記憶」として、頭にいつまでも
こびりついていませんか?
だから、「好きだった先生」よりも「嫌いな先生」の方が、印象深いだけかもしれません。
「好きだった」は懐かしい遠い思い出だけど、「嫌い」は近しい場所に
いつまでもある、または折に触れて繰り返し思い出す嫌な記憶、の差です。
あの頃の私は、「教師」という人格があるように感じていました。
初めて先生のことを「人として」嫌いな人だなと感じた時に、
「あぁ、先生もただの人なんだな」と妙に腑に落ちた気がします。
そして、「大人でも間違うことがあるんだな」と学びました。
今思えばしごく当たり前のことなんですが、教師という結界のようなものが
外れた瞬間だったのかもしれません。
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