とっておきの京都手帖7 漆芸家さん
<小満/伝統を守り新しい挑戦をする漆芸家さん>
漆。
古来、私たちの身近な存在でもあった。
そして今は漆芸として、そのものが受ける光と発する艶が、私たちの生活にしっくりと彩りを与える。
少し贅沢で豊かな時間を過ごさせてくれる名脇役、いや時には主役だ。
日常として漆器で頂く飲食は、不思議とその食材自体を味わおうと心身が反応する。
目まぐるしい世にあって、ひとときの解放感があり、満ち足りた五感に気付く。
今年1月に起きた能登半島地震で、日本の漆職人さんたちは壊滅的な打撃を受けた。
1日も早い、復興を心から祈る。
「文化首都」京都で、展示会や展覧会のご案内をたくさん頂く。
可能な限り足を運ばせて頂いている。
私の楽しみでもある。
それは、芸術に触れて新たな自分の感性を発見したり深めたりと、私にはなくてはならない自分と向き合える時間でもあるからだ。
ありがたいことに私はここ数年、若手の漆芸作家さんたちと交流する機会に恵まれた。
一人は、橋詰里織(はしづめ さおり)さん、もう一人は、宮木康(みやき こう)さんだ。
ともに京都新聞社賞を受賞されている。
2人は、伝統ある創工会のメンバーだ。
子育ての経験を生かし、優しさあふれる「あふる」という名前で乾漆作品を作る。
彼女の作品の重量は軽い。
乾漆で出来ているからだ。
乾漆で最も知られているのは、「興福寺の阿修羅像」である。
軽いので、一番に僧侶が担いで持ち出し、度重なる火災にも難を逃れたと恩師から教わった。
乾漆とは、漆塗りの技法である。
「脱乾漆」と「木心乾漆」の2種類の技法があるようだ。
乾漆について無知ながらも、この出会いをきっかけに少し調べてみた。
長い歴史の中で、漆塗りで何を作るのか、その対象で用いる技法が変わってきたと言って良いだろうか。
乾漆は、自由に形を創ることができるのが特徴。
粘土で作った型に、漆を塗った麻布を貼り重ねて、粘土を掻き出す、もしくは作り方によっては型から外して形を作る。
そして、さらに漆を塗って仕上げていくようだ。
私たちが日常目にする機会のある漆器は、木や紙等の素材に漆を塗ったものだ。
乾漆は、残念なことに現代ではあまり使われない技法でもある。
技術面はもちろんのこと、高価で時間もかかるようだ。
だからこそ、貴重な技術を日々磨き続けておられることに敬意を表したい。
橋詰さんが初めて漆に触れたのは美術科の高校時代。
素地作り、下地、塗り、蒔絵、艶揚げ等、知らない作業工程がたくさんあり、その全てが楽しかったと言う。
※素地…この工程では加工をするための布等のことを指し「きじ」と読む。
「初めて艶揚げの作業をして、作品がピカッと光沢を出した時は本当に感激しました」
「各工程を経るごとに作品の姿が劇的に変わること、作品を育てていく感じ、螺鈿や銀など様々な素材の組み合わせで作品の表情が変わること等、漆という素材と作業に魅力を感じています」
彼女の作品を通して、その喜びが伝わってくる。
宮木さんの作品は「りんご」。
驚いた。
乾漆一つずつに、「いつも ありがとう」と記した葉っぱも付けて、鑑賞者にプレゼントする。
彼は、鑑賞者の大切な人に、この実で「いつも ありがとう」を伝えてもらう、これはそういう作品だという。
作品の一人歩きの始まりだ。
彼はかつて、「(この)作品は予想外な事にいろんな人の心を動かしたらしい」と嬉しい気持ちをSNSに綴っていた。
また、この「いつも ありがとう」の実を収穫した方が下さった林檎を、ある陶芸家が下さった惣菜鉢に盛った時のこと。
「昔話みたいで面白いね」
と、微笑ましい一文があった。
作品が引き合わせた出会い。
私も作品に触れ、身近に接する方々へ「いつも ありがとう」を忘れてはいけないと改めて思う。
人が生きる上で一番のエネルギーともなる魔法の言葉だ。
忘れそうになるその気持ちを思い起こさせてくれるのも、私は文化・芸術だと思う。
本格的な暑さが始まった。
新緑からどんどん生い茂っていくかの如く、若手作家さん達が伝統を踏まえ、新しいアートを創造している。
京都アート界の未来は実に素敵だ。
毎日どこかで催されている京都での展示会、展覧会。
心が求める作品との出会いを探しに、立ち寄られてはいかがかな。
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