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とある大学生の学習記録 Day92 #子供も人生の主導権を握れますか? #理系女子大学生のリアル
みなさんこんばんは。大学に提出するフランス研修の報告を一応書き終えた塩中真夜です。ただ、これとは別に奨学金制度を利用したことに関する報告書も残っていてですね……次回の奨学金給付にかかわりそうな気がするので、緊張してなかなかいい言葉が見つかりません。はじめましての方は自己紹介からよろしくお願いします。
自分の目標について考えてみた
人生の主導権を握るって、どういうこと?
はい、Day90のnoteに書いた私の新たな目標のひとつがこれなわけですが、書いた時にはすごくいい目標を見つけた!って思っても、時間が経つとだんだん自分の中での意味が揺らいできちゃうんです。ですので、その前に一度ほかの言葉に置き換えて忘れないようにしておこうと思いまして。
言葉って存外あいまいで、特に日常的に使う言葉とか、対応する意味の範囲が広くて何が言いたいのかよくわからないんですよ。典型的な例が『やばい』で、友達から『え!やばいね』って送られてきても、実際にどんな意味で言ったのかがよくわからないから、やばいって外国語に訳すの難しくない……?という話を、昨日あたり友達としていたのですが、それはさておき。
大体のミスコミュニケーションって、ある言葉に対応させる意味の範囲が、自分と他人で微妙にずれているせいだと思うんですよ。でも自分の中なら絶対に揺らがないかと言われるとそうでもなくて、私は過去のブログを読み返していて、定期的に自分がどんな気持ちで書いていたのかが全く思い出せないことがあります。ですが、文章にして書いておけば意味の範囲を狭められるので、時間がたっても忘れないでいられるかなと思い、今日はこのテーマについて書くことにします。
本題ですが、人生の主導権って何でしょうか。例えば、ひとりで働いて暮らしている私の叔母は、彼女の人生の主導権を握っていると思います。仕事のこと、家のこと、その他大きなことから些細なことまで、すべて自分で決められるしその責任は基本的に叔母自身にある。誰がどう見ても人生の主導権を握っているといえるでしょう。ですが、叔母だって自身の親には多少口を出されることはあるらしいですし、もちろん仕事でもほかの人からたくさん影響を受けているはずです。
主導権を握るとは、重要な部分の決定権を握っていること。人生の中の重要な部分は人によってそれぞれでしょうが、私にとってはどうしてもやりたくないことをやらないという選択肢を持てること、どうしてもやりたいことをやるという選択肢を持てることだと思っています。全部の希望を通せるとは思っていませんが、初めから可能性がないわけじゃなくて、自分の中でほかにやりたいこと、やりたくないこととのバランスを見ながら最終的にやるかどうかを選べることが大事だと思っています。
というのも、私は結構な頻度で、これまでは自分のやりたいと思ったことでもどうせできないと、検討前に諦めざるを得ない環境だったからです。それは、もちろん親や周りの影響も大きいですし、Day90のnoteに書いた通り、自分を思ったよりも低く評価していたせいでもあります。とりあえず、それはやめようと思います。
できることなら、自分の中でやりたいこと、やりたくないことから優先順位の高いものを自分の判断で選んでいきたい。親の顔をうかがって諦めるなんて、もう大学生なのにおかしいよなと思ったんです。研修中、一緒に動いていた友人たちが口出しされないようなことまで私は親に干渉され、頼っているようだったので。
急に変えるのは難しいと思います。特に、私の母は私が失敗することをとても嫌っていて、その理由が母曰く、私が失敗したときに尻拭いをするのが母だから、ということだそうです。ですので、母から見てリスクのありそうなことは大っぴらにはできません。でも全くできないわけじゃない。親に隠れてやれる範囲なら、かつ想定できる失敗が自分で対処できる範囲内なら、私も試せるじゃないか、と思います。
私のもうひとつの目標である、家を出て遠くの世界に飛び込むことを達成するためにも、自分の可能性がありそうなことはなんでも探っていくつもりです。
今日はそこまで長くない記事なのに、思ったより時間がかかってしまった塩中真夜でした。また次のnoteでお会いしましょう。
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