キリスト教支配から「理性教」へ ニュートン力学の果たした役割

キリスト教による圧倒的支配が終わり、「理性教」(合理主義)に主導権を明け渡すことになったきっかけは、ニュートン力学の誕生だと思う。
中世西欧では、キリスト教の支配は圧倒的だった。人々の思考はすべてキリスト教に基づき、聖書にはこの世のあらゆることが書かれていると信じられていた。

キリスト教で西欧を支配していた教会は当時、太陽や星々は地球の周りを回ってる、という天動説を採用していた。プトレマイオスのお陰で比較的精度良く天体(惑星)の動きを予測できたこともあって、天動説は何かと都合が良かった。それに。

大地(地球)がこの世の中心と考えることは、教会にとっても都合のよい世界観だったように思う。この世の中心に住んでるのが人類、その人類に君臨するのが王様や貴族、それらさえもキリスト教で支配する教会。その世は教会を中心にして動いているという世界観を抱きやすくなる。

コペルニクスが地動説を発表したけれど、本の出版はコペルニクスが死ぬのとほぼ同時だったし、専門家にはよく読まれ、当時の教皇も関心を持ちはしたけれど、一般ウケするほど売れた本ではなかったらしい。
けれど後に人気大学教授だったガリレオが地動説を唱え出したとき、話がややこしくなった。

ガリレオに対して面白くない思いを持ってる人間による恨みとか、勢力争いなどにも巻き込まれ、ガリレオの地動説は異端的で許せないと宗教裁判にかけられた。このとき、ガリレオは「地球が動くなんてことは今後言わない」と誓わされた。これで教会はうっかり、天動説に運命を引っ張られることに。

膨大な天体観測のデータ(ティコ・ブラーエによる)をもとにケプラーが惑星の楕円軌道を証明し、地動説でも天動説以上の精度で天体の動きを予測できるようになった。さらにニュートンがその理論を背景にして万有引力の法則を発見すると、その理論的美しさは、天動説をはるかにしのいだ。

うっかりガリレオ裁判のときに「教会の教えは天動説、それに楯突く者は異端」という判断を下したものだから、人々の信じる宇宙の法則が天動説から地動説に移り変わると、「教会はウソついた」ことになってしまう。ガリレオ裁判で天動説を教会の理論的支柱であるかのように扱ったのは、失敗だと思う。

それに、地動説はやはり当時の教会には、やや都合の悪い世界観でもあった。地球が太陽の周りを回るとなると、地球の上にいる庶民も王様も教会も、みんな太陽の周りを回らされている「脇役」に過ぎなくなる。天動説なら教会は世界の中心、主役でいられたのに。

ニュートン力学があまりに説得力がありすぎて、地動説はもはや圧倒的世界観となった。その世界観の中では、教会は忠臣で居続けることは難しくなる。神に愛されし唯一の組織という捉え方を維持することが困難になる。しかもルターによる宗教改革で、キリスト教は分裂していた。

キリスト教徒同士で争っている間に、教会が世界の中心であることを根拠づけていた天動説が弱り、地動説が主役になったことは、教会支配が揺らぐ一つのきっかけになったように思われる。
もう一つ、打撃を与えたのがカント哲学のように思う。

カントはもともと、天文学を研究していた。そのためか、ニュートン力学の完成度に魅力を感じていたのではないかと思われる。しかし哲学はニュートン力学ほどの精度を持っていなかった。デカルトが神様のことを(ろくに)考えずに世界観を構築する方法を提示した(方法序説)けど、精度が粗かった。

カントは、哲学を天文学並みに精度の高いものにしたいというねらいがあったのではないか。カントの有名な言葉に「コペルニクス的転回」というのがある。コペルニクスが天動説から地動説に世界観をひっくり返したら、ものの見え方が一変したように、哲学でもそれは起こり得る、ということを示した。

私達の認知能力には限界がある。だから世界を正確・精確に認知することは不可能。
それまでの理解では、この世のものを人類はそのまま受けとめていると考えていたけど、カントの考えでは、人間の限界ある認知能力で歪められた感触でしかない、と理解した。これがコペルニクス的転回。

カントは認知能力の限界を明確にすることで、かえって人間の理性の扱い方マニュアルを明確にした。デカルトが創始した「理性教」(近代合理主義)を、カントは完成度の高い世界観にまで仕上げ、キリスト教と伍することのできる思想にまで高めたように思う。

ヘーゲルも「理性教」の完成度を上げた人として位置づけられるように思う。
キリスト教を創始したのはキリスト、西欧キリスト教を理論化したのは聖アウグスティヌスとトマス・アクィナスが有名。それになぞらえると。

「理性教」(近代合理主義)を創始したのはデカルト、それを精緻な理論に完成させたのがカントとヘーゲル、のように思う。哲学・思想が次第に宗教から距離を置き出すのは、キリスト教以外の完成された世界観、思想体系を手に入れたことが大きいように思う。

その意味で、ニュートン力学が果たした役割は大きいように思う。キリスト教の教会が世界の中心であることの根拠であった天動説に致命傷を与え、地動説を揺るぎないものにしたことで、教会の支配力は大幅に低下した。また、地動説は、民主主義を考える上でも都合のよい世界観。

どれだけ人間界で偉そうにしていても、しょせんは太陽の周りを回らされている地球の上に住んでいるという意味では、支配者も庶民も同じ。宇宙の観点で見れば、ともに塵のような存在。民主主義誕生に、地動説は案外役に立っているように思う。

追伸
キリスト教の創始者はキリスト、理論化は聖アウグスティヌスとトマス・アクィナス。
地動説の先鞭はコペルニクス、理論化はケプラーとニュートン。
理性教(近代合理主義)の創始者はデカルト、理論化・完成者はカントとヘーゲル。
こんなふうに対比できるかも。

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