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大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(11) 「如何なるか是仏」、「麻三斤」

大著である『永平廣録 大全』の第六巻は、「道元和尚廣録」の巻九にあたり、祖師たちの公案・古則を紹介し、それにちなんで道元が詠んだ漢詩「玄和尚頌古」が90首、掲載されている。

僕はこれまで、廣録を何度か通読しているつもりだが、この頌古のところは、読み飛ばしてきた。廣録のなかでは、もっとも魅力的ではないところだと思っていたから。

でも、せっかく大谷先生が漢詩について丁寧で、わかりやすく、まごころのこもった現代訳をつくられたのだから、できるだけ丁寧に読んでみようと今回は思ったのだった。

それが功を奏したのかもしれないが、これまで意味のわからなかった公案がひとつカラリと解けた(気になった)。

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68 洞山仏麻三斤(とうざん ぶつ まさんきん) 

僧、洞山の守初(しゅしょ)和尚に問う「如何(いか)なるか是(これ)、仏(ほとけ)」と。山云く「麻三斤」と。

 (ここまでが公案の紹介で、ここから道元の漢詩になる。)

(七言絶句)
洞山の仏は 是麻三斤 還(かえ)って恩深きこと有れば 怨(あだ)も亦深し
海枯れて終(つい)に徹底することを見んと要せば 始めて知りぬ人死して心を留めざることを 

(大谷現代訳)
ある僧が洞山和尚に尋ねた。
「仏とはどんなものですか」
洞山守初は答えた「麻三斤」

(七言絶句の現代訳)
洞山守初が 仏を麻三斤と言い切ったことは
それがわかれば仏となり わからねばそのままゆえに 恩も深いが また怨も深い言葉でもある
それをわかるためには 海水をすべて汲み出し海の底が見えるまでに弁道に徹底せねばならぬ
そうしてはじめて知ることができるのだ 人が死んで何の心も留めないということを

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大谷先生は語義に〇麻三斤 麻三斤とは、衣一着分のよった麻糸の分量。と説明しておられる。


あー、そうだったのか。麻三斤とは、一人分の着物をつくる分量の麻のことだったんだ!!!と、納得。

するとこの「如何なるか是、仏」に対して、「麻三斤」と答えた心が、何を言おうとしているのかが、わかった。(気がした)

洞山が言いたかったのは、この三斤の麻は、原材料としてみるとみんな同じだが、仕立て屋の腕次第で、それぞれの人に合わせて、その人にぴったりの着物に仕立てることができる。その人に似合った、その人らしい着物ができる。ということではないだろうか。
この解釈が、よいのか、わるいのかは、わからないが、僕はこの項を読んで、やっと「仏=麻三斤」の意味がわかった気がした。

仏というものは、何か絶対的なものがあるのではなく、人それぞれに適した姿がある。その姿は、教える側、あるいは学ぶ(実践する)側の熱意、創意工夫、熟練によって、いかようにでも変わる。あなたもあなたらしく、一生懸命に学び、創意工夫して、あなたらしい、カッコいい仏になりなさい。

こういうひらめきを頂けただけでも、大谷哲夫『永平廣録大全』はおおいに読む価値がある。



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