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コロナ禍に伴う孤独を幸福と捉えたなら
コロナ禍よって対面での人間関係が少なくなってしまった。
それとは別に、既存の社会システムからの脱却も図られた。
仕事や勉強は、テレワークなどの在宅での仕事や授業になり
飲み会や習い事なども遠隔で行うようになった。
そんな中で、「孤独」が今更ながら注目をされている。
孤独の問題は、昔から存在してきたはずである。
孤独の問題が多くの人生を狂わせてしまったというほど問題としてはあった。
しかし、今更こうして孤独が問題なったのは
ここでも「恵まれた人」たちが孤独に向き合い、心身に影響が出始めたからであると考える。
若い世代から既婚者も含めて孤独に対することが関心事となり、従来の解決方法ではうまくいかないことで様々な困難に直面している。
しかし、孤独の原因は「新しい社会様式」や「柔軟なシステムへの転換」によってもたらされている副次的なものである。最初に語った、テレワークや遠隔授業がその例である。
そもそもテレワークや遠隔授業ができるということは、恵まれていなければできないことである。
テレワークができないエッセンシャルワーカーや働き方改革に投資をしない企業などでいる多くの人々は、孤独などの前に日々の生活や感染リスクに怯えている。
にも関わらず、テレワークができている、手当もでている、仕事もあるのに「孤独」が苦しいというのは贅沢な悩みと言えなくもない。
もちろんずっと孤独である自分自身は、孤独の絶望や悲しみはよくわかる。
でも今孤独で悩む人の多くは、これまでの恵まれからくる切り替えのできなさに対応できないことが原因に過ぎない。
本当の孤独というものは、孤立無援という状態であるし、必死に暗闇の中を走っているということである。
常に日が当たり、恵まれた地位にいたり、生活に不自由しないという幸福に「人や自分自身に向けられる直接的に向けられる暖かい目」がないだけのように思えてならない。
ニュースやインタビューに出てくる人々は、みな現に新しい様式に直面しているからであって、
これが元の生活に戻ったり、制限のない生活へとなれば「孤独」なんていうものは考えなくなるのではないだろうか。
この世界は、恵まれた人々やマジョリティ側がマイノリティ側の苦しみを経験することで問題が可視化されたり、問題の解決へと進むという歪さを持っている。
常にあった孤独、孤独が故に多くの犠牲を払っている人々がいるのに目を向けてこなかった社会。
そして、常にあった問題を、今起こっているタイムリーな問題としてされるのも引っかかる点である。
けれど、孤独というものに注目が集まっても変化がもたらされるのは、恵まれた人々の孤独であり、根本的な孤独や孤立無援な人々の問題は放置されたままなのかもしれない。
僕らは常に孤独に向き合い、今も戦っている。
色々なものを失って、孤独であることで機会や愛を得られなかった。
孤独は友達であるが、よき理解者ではない。
命の少しずつ吸い取りながら、いつかを待っている。
社会に目を向ければ、甘い蜜に染まった贅沢を孤独と言い換えて溢れている。
それを見るたびに心が悲鳴をあげるが、孤独が遮ってしまう。
孤独は問題だ、解決しなければならないとされるたびに
僕らの孤独には永遠に触れられないのだと、余計に絶望していく。
ああ、どこまでも割に合わないし、どこまでも不条理なのだと思うけれど
今に始まったことではない。
だから、恵まれた人々よ、孤独について悩む前に
自らの環境が幸福であることに目を向けてほしい。
それを得られない人がたくさんいるのだから。
孤独を幸福と捉えて、孤独で苦しいのなら余った時間を
本当の孤独で苦しむ人々の世界が変わるように行動してほしい。
相すれば自ずと解決するのではないだろうか。その孤独は。
ん?そういうことじゃない?
知っているよ。それとこれは別だものね。
ああ世界は、本当に歪んでいるね。
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![かただ しんのすけ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/98379630/profile_b08c9374645b3dbfd44e67061a210b58.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)