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noteでイミフなコメント活動(コメ活)を謎理論で推奨している人いるけど、うざいだけで無駄ですよ

こんにちは、しちゃうおじさん(以下「しちゃおじ」)です。

なんつーか、やっぱりnoteにもさ、ヘンテコリンで残念な人、いるよね?

なーんも知らんくせに、プライドだけは人一倍に高いから、知ったよーなテキトーを自信満々に主張してしまったり、メンバーシップなどの閉鎖的な空間で情弱さんを相手に裸の王様(女王様もいる)をやって、自己のプライドを必死に守ったりで、もう呆れます。

こういうタイプって、やたらとnote歴が長い古参のオジサン・オバサンに多くて、昔はそんな “しょーもな” なレベルでも『へぇ~、すごーい!』と話を聞いてくれた優しい方も中にはいたのでしょうが、noteがこれだけ急成長して、優秀なクリエイターさんが次々と新規参入している昨今では『こいつ、なに言ってんの』と、鼻で笑われて終わりです。

このレベルの人たちって、幸か不幸か、自分が鼻で笑われてしまう主張を自信満々でしてしまっていること自体にも気がつけないほどのアレな存在なのですが、平凡な表現だと ”頭の固い頑固者” ですし、「しちゃおじ」的に表現すると ”現実に耐えられずに妄想の世界に生きている” 、もしくは ”パラレルワールドの住人” ということになります。

『よくもまぁ、こんなツッコミどころ満載の記事を自信満々で書く人がいて、そんなテキトー記事を呆れることなく読んでコメントする人までいるもんだな…』と感心すらします。

後ほど解説しますけど、コメント活動(コメ活)とかしちゃってるnoteって、会話が成立していないヒジョーにお寒いコメントのやりとりが特徴でして、もう見るに耐えません。

最近、『noteってちょっと変わってきたかもなぁ~』と思うところがあって、フォロワーさんは少ないのだけど、冒頭から惹き込まれて一気に読み込んでしまうような独自の見解を独自の世界観で文章を紡ぐ、稀有なクリエイターさんを見かけるようになったことです。

もちろん、こういった稀有なクリエイターさんは、noteでの創作活動や自己表現を純粋な目的としていますので、イミフなコメント活動(コメ活)なんて一切しておりません。

もうね、時代は変わっているし、noteユーザーさんも様変わりしているので、note歴が長いだけのオジサン・オバサンの持論なんてもんは、noteで浮きまくっているわけですよ!

実際に「しちゃおじ」がnoteに参入した約3年半前は、まだ情報商材屋レベルのnote攻略系アカウントをたくさん見かけましたが、約3年半が経過した現在では、裸の王様(女王様もいる)状態の一部のお寒いアカウントを除いて、皆さんnoteを去っていきました。

そりゃ、そうです。

note歴が長いだけの、実力もセンスも実績も経験もない方が、自信満々で謎理論を語ってみたところで、話を聞いてくれるのは、同レベルのオジサン・オバサンだけだからです。

この記事では、『noteではコメント活動が大事!』とか言っちゃって “コメ活” を推奨している人がいるんだけど、そういう人たちって『自分がいかにトンチンカンな主張をしているのか?』がわかっていないようなので、「しちゃおじ」が懇切丁寧に解説しておきますね🐤

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コメントの本質と失礼千万なコメント

まず、いつもの「そもそも論」からはじめますが、そもそも「コメント」って記事を読んだ方が、何かしらの感情を抱き、共感を書き手に伝えたかったり、好意から書き手を応援したかったり、または『それは違う』と反感を抱き、異議を唱えたりするものです。

つまり、記事を読むことで抱いたポジティブ・ネガティブの感情エネルギーを、コメントをすることで書き手に伝える行為であり、ポジティブな感情であればコメント欄での交流は快楽になりますし、ネガティブな感情であればコメント欄での交流は苦痛にもなります。

どちらにしろ、本来の「コメント」には、読み手が書き手に伝えたいほどの感情エネルギーがそこには存在していますので、まるでリアルで会って話しているかのように、お互いがお互いの存在を認識することができますし、であるからこそ喜びも悲しみも抱きます。

翻って、コメント活動(コメ活)によるコメントの動機は、『なんか、どこぞのあの人が、“コメ活” がいいって言うから、読んでないけど、コメントしておくか』ですので、感情エネルギーが欠落しており、であるからこそ人間味を感じない無機質なコメントとなり、『なんなのこの人... 記事も読まないでこんなコメントする?』と無視&嫌悪されます。

特に嫌われるウザいコメントとしては、記事の内容に1ミリも触れることなく『勉強になります』や『凄いですね!』や『(どうでも)いいですね~』といった一言コメントで、こんなコメントを良しとする人がいたとしたら、それこそ同類の “コメ活民” のみであって、創作活動や自己表現を純粋な目的としているクリエイターさんに対して、失礼千万です。

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そもそもよ、何のためにコメントしてんの?

「そもそも論」が続きますが、そもそも “コメ活民” って『一体、何のためにコメントしてんの?』があります。

まさか “コメ活” をすることで『あなたのnoteが読まれるようになって、あなたのnoteのファンが増えて、あなたの有料noteが売れて稼げるようになる!』なんてトンチンカンなことを本気で考えているとは流石に信じ難いので、おそらく交流が目的ですよね?

つまり、noteをSNSとして趣味目的で利用している方が、noteで交流(コミュニケーション)を楽しむための『コメントしましょう!』だと思うのですが、先述した通りコメントの本質は「感情エネルギー」ですので、記事を読んでコメントしたくなったりすればいいし、別にコメントしたくなかったらしなければいいので、それで話はオシマイです。

誰かが推奨しているからコメントするとか、がんばってコメントするとか、義務でコメントするとか、何か利益が期待できるからコメントするとか、ではないわけですよ。

「しちゃおじ」のクライアントさんやフォロワーさんでも、コメント欄がとんでもないほど賑わっているクリエイターさんがいますが、別に意識して “コメ活” をしているわけでもなく、noteでマイペースの交流(コミュニケーション)を楽しんでいるだけで、自然とそうなっています。

noteで純粋に交流を楽しんでいるクリエイターさんにとって、“コメ活” なんて不要ですし、むしろ感情エネルギーを欠いた “コメ活” をしてしまうことで、無視&嫌悪されます。

ここまで書いて見えてきたのは、実は “コメ活” を推奨している人って、noteを趣味で楽しんでいる人ではなくて、本当はnoteで活躍して稼ぎたい人であって、“コメ活” でもしないことには誰にも相手にされないもんだから、“コメ活” をして社交辞令コメントのやりとりをすることで、どうにか自分のnoteに意味と価値を見出しつつ ”イケてるnote感” を演出しているのですね?

あぁ~確かに、繰り返し “コメ活” を推奨しているnoteを、いつものイキってるだけで実際はちっとも読まれていない “裸の王様” 炙り出しツールでもある「はてなブックマーク」で検索してみたら、予想した通り{ご指定のURLから始めるページのブックマークは見つかりませんでした}の “ブクマ0件” だったんだけど、『あなたのnoteの需要は0です』と客観的に宣告されたも同然ですので、note歴7年でこの結果はキツイですよね。

ちなみに、“コメ活” なんてするわけもない、note歴6年のエッセイスト岸田奈美さんのnoteを「はてなブックマーク」で検索した結果は、以下のようになっています(これだけでなく「次のページ」もあるよ)。

先に結論を言ってしまうと、“コメ活” なんてする前に「読む価値のある記事を書くこと」であって、それ以外にあなたのnoteを育てていく方法など、どこにもないのです。

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コメントの数が多いほど価値のある良記事?

このような厳しい現実を受け入れることができなくなると、自分のnoteの意味や価値を守るために、 そして必死に ”イケてるnote感” を演出するために、こんな妄想まで広げて、ついには声高に主張しはじめるようです。

コメントの数が多いほど価値のある良記事(キリッ)

“コメ活民” の謎理論が過ぎて失笑なのがコレでして、なんでも「スキ」は挨拶に過ぎないけれど、コメントはコメントを書くという労力がかかるので、その労力をかけてまでコメントをいただける記事というのは、それはもう計り知れない価値がある! らしい...。

なんでそうなる?(笑)

あのな、テキトー持論ばかりで「読む価値のある記事」を書いたことがないようなので教えてあげますけど、何も言っていないような日記レベルのどうでもいい記事であればあるほど、コメントも気軽につけることができますので、コメント数は増えます。

例えば、「風邪をひいて寝込んでます」みたいな記事よ。

反対に、内容が濃くて深く考えさせられるような本質的な記事であればあるほど、コメントも気軽にはつけられなくなるので、コメント数は減ります。

例えば、先述した{冒頭から惹き込まれて一気に読み込んでしまうような独自の見解を独自の世界観で文章を紡ぐ、稀有なクリエイターさん}の記事に対して、自分勝手な読解をしたうえに、“コメ活” のためのコメントなんてとてもじゃないけれど、つけられません。

つまり「コメントの数」というのは、記事の質や需要と無関係とは言わないまでも相関が薄くて、他のクリエイターさんとの交流(コミュニケーション)頻度を表しているのです。

しかも、そのコメントにも2種類あって、“コメ活” によるまともな会話が成立していないヒジョーにお寒いコメント群と、純粋に交流を楽しんでいるクリエイターさん同士のコメント群で、両者のコメントの本質は “似て非なるもの” になっています。

{“コメ活” をして、コメントの数を増やして、コメントがたくさんついたから良記事}って、『どんな理屈だよ!』とツッコミどころ満載なのですが、長年noteを続けているのにも関わらず、“はてブ0” の自己満日記を書き続けてこじらせてしまうと、こうなります。

こうなってしまうと、もう前提から妄想ですので、何を書いてもツッコミどころ満載の自己矛盾に満ちているのですが、プライドだけは人一倍に高いオジサン・オバサン連中というのは、謙虚に上手くいっていない自分のnoteを見つめ直すことができません。

ですので、今後も「しちゃおじ」の記事を読みに来ては、メンバーシップなどの閉鎖的な空間で情弱さんを相手に裸の王様(女王様もいる)をやって、自己正当化し続けるのでしょうね(オツカレサマデス)。

そもそもこういった人というのは、本当はnoteで活躍して稼ぎたい人なので「しちゃおじ」をライバル視するわけですが、「しちゃおじ」はnoteをSNSとして趣味目的の暇潰しで利用している方に情報発信しているのではなく、noteをブログとして自己表現の追求やビジネス目的で利用している方に情報発信しているので、一緒にしないことです。

“コメ活” を推奨して、noteでの交流を楽しむ方法を情報発信している分には一向に構いませんが、“コメ活” をすることで『あなたのnoteが読まれるようになって、あなたのnoteのファンが増えて、あなたの有料noteが売れて稼げるようになる』だの、『コメントの数が多いほど価値のある良記事』みたいなトンチンカンな大嘘はこれっきりにしましょう。

ちなみに、noteで結果を出している(つまり、稼いでいる)クリエイターさんほど、“コメ活” どころか、noteでコメント交流をしません(なぜなら、そんなに暇じゃないから)。

それと、誤解のないように一応書いておくと、「しちゃおじ」はコメント否定派ではなくコメント肯定派でして、記事を読んで『これは伝えたいな』と感情が動いたときはコメントすることがありますが、“コメ活” のためのコメントは、過去に一度もしたことがありません。

それでは皆さん、“コメ活” ではない “ピュアコメ”、首を長くしてお待ちしておりますよ🐤=3

以上 – noteでイミフなコメント活動(コメ活)を謎理論で推奨している人いるけど、うざいだけで無駄ですよ – でした。

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