FIKA

福島県郡山市で小さな鍼灸院を営んでいます。    日々の出来事をエッセイにして

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マガジン

  • 私の戦場日誌

    この日誌は私の祖父が 戦争に行った時の記録を 自費出版で書いた物です。私なりにわかりやすいように 注釈をいれながら、読み進めていこうと思っています。 興味をある方も よかったらご一緒に。 人物の名前なども 実際にいた方になると思うので もし、ご自分の祖父だったなど あればコメント欄に入れていただければ嬉しいです。 祖父もきっともっと沢山の方に読んで欲しいと思っていたと思います。 その方達まで届きますように。

  • 往診キロク

    毎日の往診キロク。 おばあちゃん達の話しを皆様にお裾分け。

  • 鍼灸師の子育て

    私なりに右往左往しながら、子供達を育てきた記録。

  • わたしのこと

    フリーランスとして過ごしてきた、葛藤や考え方など

最近の記事

  • 固定された記事

はじめましてのあいさつ

はじめまして。鍼灸師の根本めぐみです。 私に興味をもって 来ていただいた方。 どんなことを書いているのか 関心を持っていただきありがとうございます。 noteを書こうとと思ったのは 1人で仕事をしていると 共感してくれる同僚もいなく 愚痴れる 友達もいない。そんな寂しさから 誰かに聞いてもらいたいという思いがあったからかも しれません。 仕事がら いろんな方のいろんな話を聞く機会も多く、できれば皆様に私の心に残った話しを 共有させていただければと思います。 とはいえ、鍼灸

    • 私の戦場日誌⑦

      船出② そのうち馬の毛を刈るようにとの命令が馬係将校から出され、大きなバリカンで立ち髪を残して全身の毛を刈ると、さすがに馬達も気持ちが良さそうであった。プレハブの部屋は暑い狭いでやりきれないので、私達は馬のいる船倉の干し草の上で時を過ごしていた。馬のいる船倉は、食糧庫になっていることもわかり、またその下の船倉は弾薬倉になっているようだ。時々、鉄格子が下りてきて食糧倉に入り木箱などを壊している音が聞こえる。 上甲板を歩いている当直将校が甲板に耳を付けて木箱などを壊している音を

      • 戦時中のごはん事情

        往診の中 お客様(Mさん)に聞いた話し。 福島県郡山市に住んでる方なら誰しも 知っている公園。開成山公園。 昔は競馬場だったらしいが、 その前は1番池、2番池 3番池と 池が三つあったそうだ。 子供達はバケツをもってザリガニをとったり タニシを獲ったり。 ザリガニやタニシは食べるために真水につけて 泥や砂を抜くらしい。 あとは茹でて食べる。 タニシは美味しい出汁がでて ザリガニはエビのような味がすると聞いた。 Mさんの家では開成山公園から 2キロは離れているだろうか。 昔は

        • 暮らすように旅をする。佐渡島最終日

          佐渡島3日目。 am6時 朝から天気も良好。 早起きして 娘と散歩にでる。 海も凪でいて 清々しく 今日で帰るのも 寂しく思う。 (一週間くらい ぼーとしていたい!) とりあえず、荷物を詰めて 帰る準備。早めに両津港まで向かう。 (朝ごはんは ローソンがあるので前の日に 買い込んでいる。) 車内で朝ごはんを食べ 手続きは行きの直江津港で済ませてあるので 両津港にでは、まっすぐ車の待機場所まで行って 車を停車して 近くにあるお土産売り場へも向かう。 両津港ではお土産売り場

        • 固定された記事

        はじめましてのあいさつ

        マガジン

        • 私の戦場日誌
          7本
        • 往診キロク
          6本
        • 鍼灸師の子育て
          8本
        • わたしのこと
          11本

        記事

          私の戦場日誌⑥

          船出 門司の生活も二週間をもって終わりに近づいたらしい。港の埠頭は続々と終結した兵隊で溢れていた。私達伝騎分隊も馬と共に埠頭に集まる。兵隊達が船腹いっぱいにたらされた縄梯子に何十人もが横一列になって登って行く様は実に壮観であり、軍馬は『もっこ』のような物に乗せられて一頭ずつ吊り上げられる。 乗船直後に下船命令が出されあわてて縄梯子を降りたが何がどうなっているのかわからなかった。後になって空襲警報が発令されたということが分かった。1時間位たった後に再度乗船した。輸送船が岸を離

          私の戦場日誌⑥

          暮らすように旅をする 佐渡島旅行記2日目後編

          午後からは休憩をとるため 今日の一棟貸しホテルにチェックイン。 たびのホテル佐渡に鍵を取りに行く。 そこから、15分。 感想をいうと おばあちゃん家のような佇まいのル・ブルー佐渡SAWANE。 中もおばあちゃん家という雰囲気。 畳の部屋に台所。 クーラーは全部屋に完備。 3DKという感じだろうか。 ロケーションは最高! 布団も和室に敷いてあるので 子連れには本当に嬉しい! ふすべ村はベットだったので 落ちるのが気になってあんまり寝れなかった。  他に寝室はもう一部屋ある

          暮らすように旅をする 佐渡島旅行記2日目後編

          暮らすように旅をする 佐渡島旅行記2日目前編

          今日は本格的に佐渡島を巡る。 朝起きて トキ牛乳とパンで朝食を摂る。 AM9時から、ろくろ体験に申し込んであるのだ! 早速、泊まってる棟の隣にある ふすべ村の体験館に。 長女(高1)と長男(中2)はろくろ体験。 次女(2歳)は手捻りで。 小さい子も大きい子供も楽しめる 陶芸体験は親にとっても、ありがたい。 先生も可愛い女性の先生で 優しい方でした。 9時半には終わり、自分で釉薬を選び あとは、着払いで1ヶ月後に送られてくるそう。それも、また楽しみ! そのあとは暑くなる

          暮らすように旅をする 佐渡島旅行記2日目前編

          私の戦場日誌⑤

          門司の生活 それでも翌日無事に門司の港に上陸し各中隊ごとに分散して滞在することになった様だ。 一般の兵達は民間の家に分宿したのとのことであったが、伝騎分隊では夜間 馬屋の勤務があるために旅館に宿泊することになる。 門司に於いての2週間は、毎日が乗馬訓練、命令受領、同報告の練習であった。軍鞍をつけた馬には初めての乗馬のために長靴の底が鎧に定着させず落馬しそうになる毎日で、山田兵長より命令を受け何キロメートルか走って成田分隊長に報告する訓練の繰り返しであったが、乗馬で疾走するの

          私の戦場日誌⑤

          暮らすように旅をする 佐渡島旅行記1日目

          「佐渡島に行って 砂金取りをしたい!」 と息子がいいだし、久しぶりの家族旅行は 佐渡島になった。 コロナや長女の受験や部活などもあり なかなか旅行に行けなかったので 本当に久しぶりだ。 福島から新潟の直江津港まで3時間半。 出港時間は14時だ! YouTubeで佐渡島のVlogをみていたら 車を持っていく場合は1時間前くらいには いないといけないらしいとのこと。 13時に着く予定で9時には出発した。 無事に12時半には直江津港に到着するので、 その前にお昼ご飯。  直江津

          暮らすように旅をする 佐渡島旅行記1日目

          私の戦場日誌④

          出陣 11月の中旬頃 我が中退も夜 全員 石廊下に 集合するように命じられ、直ちに中隊長より 編成を達せられた。 千葉中体長が聯隊砲中隊長千葉中尉とみずから自分の官姓名を読み上げ、中隊指揮班、第一小隊、第二小隊と編成を一人一人官姓名を読み上げた後、これよりは他部隊転属者を申し渡すと言い、最初に聯隊本部転属陸軍歩兵一等兵小田耕作と 転属を命じられた。  聯隊本部には初めて乗馬伝騎分隊が編成され成田軍曹が分隊長として総員11名をもって分隊が誕生した。聯隊砲中隊からは山内兵長以下

          私の戦場日誌④

          私の戦場日誌③

          富国強兵の国策に乗せられて 私の入隊した時の聯隊砲中隊の中隊長の姓が 小田という中尉であった。  入隊して間もない頃、末永軍曹が内務班に来て小田中隊長が小田二等兵をよんでいるからすぐ 中隊長室に行く様にと、同行してくださった。  私が「小田二等兵はいります。」と大きな声で呼称したら、中から「入れ」と言う声がいたので中に入り、末永軍曹は恭しく「小田二等兵を連れてきました」と報告した。中隊長が末永軍曹に「ご苦労であった。下がってよい」と報告した。 中隊長は私に「椅子に腰を掛けて

          私の戦場日誌③

          ゲリラ豪雨と不機嫌との向き合い方。

          ザーザーとゲリラ豪雨の中 (また、やってしまった。)と反省しながら 車を飛ばす。 高校生の長女が傘を持って行かなかったから 近くまで迎えにきてと メールが入ったのだ。 今日は朝から旦那の機嫌が悪かった。 たぶん、最近の暑さと仕事の忙しいさで 疲れているのだろうと察して 朝から旦那の分の家事まで余計にやって 次女(2歳)を、起こしに行くと 左目が腫れているのだ。 (ものもらいかも。 保育園いけないじゃん。) と思いながら 今日は休みの旦那に報告する。 「農家の仕事(旦那の実家

          ゲリラ豪雨と不機嫌との向き合い方。

          夏の思い出

          コロナ禍や長女の受験などで なかなか行けなかった 家族旅行。 長女も高校生だし、あと何年 家族みんなで旅行に行けるかなと思ったら 少し寂しい気持ちもあり 息子の砂金取りしたい! という願いを叶えるために 今年は佐渡島に思いきって行くことにした。 船も島もみんなで初めて。 家族の初めてをみんなで共有できたことが すごく嬉しい。 佐渡島はとにかく、自然がキレイで どこを撮っても素晴らしい。 #夏の1コマ

          夏の思い出

          アイスと自己管理

           この夏、2キロも太ってしまった。  旦那には「太った?」と聞かれたが 「変わりないよ」と言っている。 しかし、うすうす気づいているに違いない。 原因はわかっている、ちょくちょく食べる アイスのせいだろう。 ジャイアントコーンを久しぶりに食べたら 美味しすぎて3日連続で食べた時には  顔に吹き出物ができて、反省した。  夏の暑さのせいで 胃腸の調子も良くなく タンパク質もなかなか、取れない。 食べたくない。 1週間ぐらい そうめんやご飯など食べやすいものばかり食べていたら

          アイスと自己管理

          私の戦場日誌②

          同郷の先輩に涙して 私は、昭和18年度の現役兵として、同年12月10日 朝鮮羅南第19部隊師団歩兵第73聯隊聯隊砲中隊に入隊するために大阪に仮入隊した。 なんば別院に於いて身体検査をうけ、不合格の青年はその場で即日 帰郷となり、合格した青年は軍服を着せられ、臨時列車で羅南駅に下車させられたのは翌年(昭和19年)1月3日頃と思う。  まず、初めに驚いたのは、厳しい寒さで零下20度という寒さは未だ経験のないものであったが、それでも途中何事もなく初年兵の内務班にはいることがで

          私の戦場日誌②

          夏祭りと娘

          「7時に迎えにきて。」と 長女からメールをもらった。 最寄りの駅までは車で10分。 そういえば、今日は駅前で夏祭りをしている。 町内の祭りなので大きくはないが 子供達が小さい時は よく行っていた。 思いだすのは 長女が小学生くらいで 長女に浴衣を着せて連れていく。 まだ、小学生なので 私も付き添いでついて歩くのだが、小さい女の子達が浴衣を着てワイワイと話しながら 歩く姿は可愛い物だった。 長女は、もともと賢かったからか あまり手がかからず トイトレも一瞬で終わり読み書き

          夏祭りと娘