「機動戦士ガンダム 水星の魔女」で考える母娘関係のメンタルヘルス/同一化という呪縛は解かれ得るのか
母娘を描く「水星の魔女」
精神科医として患者に接する上ではその人固有の苦しみに向き合うことに努めているが、時としてかなり似た苦しみを抱えているケースに直面することも多い。例えば摂食障害の女性患者は話を聞いていくうちに親子関係、特に実の母親との関係性に苦しめられていることが非常に多い。明確な虐待やネグレクトがあるというわけではない。むしろ、度を越えた関わりの深さゆえに娘の身体に強い影響をもたらしていくケースをよく見かけるのだ。
「結婚して家を出るなんて!私を裏切るの?」「そんなに太っているから人生がうまくいかないんだ」「あなたを心配しているから毎日電話をしている」。プライバシーの面から随所は改変しているが、こういった言葉は実際に摂食障害患者たちが母親から受けたものだ。摂食障害以外でも解離性人格障害やうつ病など母親からの”呪いの言葉"を受けたことが発症に繋がったケースもあった。それも患者は無自覚なうちに受けた言葉によって、だ。
昨年10月から1クール目の放送を終えたアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」。決闘をベースにした学園モノという型を取りながら、その主軸は主人公スレッタとその母親プロスペラの深い関わりという点がとても興味深かった。スレッタのあらゆる行動原理の根っこには母親の教えがあるのだ。「お母さんに言われたから」と水星を豊かにするために学校に通い、「お母さんから教わらなかったんですか!」と母の言葉を理由に他者を叱る。
スレッタのキャラクターとしておどおどしつつも時に(母親を影響元として)直球に物事を言う一面がフィーチャーされているが、このコミュニケーションの苦手さと強靭な意志という折衷は家族以外の対人関係の希薄さと無自覚なままに母親を絶対化する精神を説明するうえで最適だ。そんな精神構造を持つスレッタが1クールの終わりにもたらした突然の殺人と平穏な態度という衝撃もまた彼女の行動原理を考えれば納得のいくものであった。
スレッタは母親に無自覚のうちに操作されていたのだ。その最たるものが「逃げたら1つ、進めば2つ」という言葉だろう。ポジティブな語りかけであると同時に、目的のために時に倫理を踏み越えることも認めてしまう。上に挙げた患者たちが受けた言葉のような直接的な攻撃性はないが、確実に心を支配していく教えである。優しく尊ぶべき言葉のように見せかけたこの呪いは、「あなたのためを思って」といった類の振る舞いに通ずるものだ。
母と娘の同一化
精神科医・斎藤環氏による著書『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』(NHKブックス)は、母娘関係の難しさを考えるうえでうってつけの本だった。様々な症例、または小説や漫画などを例にあげつつ無意識のうちに娘の人生を支配しコントロールする母親の姿とそれでもなお反発できない娘の病相を分析する内容であり、母-息子、父-娘、父-息子といった他の親子関係にはない複雑な関わりについての知見が述べられている。
中でも自分の感情を相手のものと錯覚する「投影性同一視」という現象が興味深かった。母も娘も過度に密着した結果、自分の考えや感情が相手も同じあると思い込み、時に過保護となり、時に攻撃性が露わになる現象だ。上記症例の多くはこの現象を根源として娘の精神に影響を与えていたと考えられる。母の生き直しを娘に託したり、世間で恥をかかないことを求めたり、様々な理由で攻撃と保護を繰り返し、母は娘と同一化しようとする。
こうした同一化は完全に成功せず、反発と密着が絡まりながら拘泥状態や膠着状態になったり、精神疾患が出現したりする帰結が一般的なケースだと思う。しかし『水星の魔女』で示された母娘関係は同一化に成功してしまったケースであるという点が根深いのだ。復讐に心を奪われた母親が娘を手なずけ、感情的に言い合うこともできなくなり、正常な判断をくだせなくなるほどに同一化した域までも描いている部分に容赦なき作者の覚悟を感じる。
母娘関係がこじれやすい背景を血縁や性別の問題だけにはできないということは著書内でも示されている。背景にあるのはやはり男性中心社会の存在であり、社会からの抑圧だ。”母"とは、"女"とは、こうあるべきだという抑圧が、母が娘を支配し同一化する思考を生んでいる。『水星の魔女』で言えば、父親はおらず母娘だけでよそ者として水星で孤立していたスレッタとプロスペラは同一化をしながら生き長らえるほかなかったのだろう。
学園モノのガンダムという新鮮味、同性婚や有害な男性性へ目配せしつつ、構造的な男社会のしぶとさを横たえる「水星の魔女」の世界において、母と娘の関係性は互いを守るようにして深まっていく。象徴的な”男たち“に生きがいを滅ぼされ、復讐の道具として娘を利用するという行動はさすがにフィクショナルすぎるきらいはあるが社会文化背景を理由とし母が娘を”思いやりと共感“で支配していく構造は現実に即していると言うほかない。
そこに「祝福」は響くのか
「水星の魔女」には母-娘以外の親子関係も描かれる。ミオリネとデリングの父-娘関係は「ダブスタクソ親父」というキラーフレーズからも分かる通り、娘の父への嫌悪が満ちる。しかし中盤から見せつつあった父の思いやりが12話の身を挺した行動に結びつき、一つの帰結を見せている。またグエルとヴィムが見せる父-息子の男社会らしい闘争は息子が自分なりの道を進もうと決めた最中、思いもよらぬ形の“父殺し”という悲劇で幕を閉じた。
このように劇中の様々な親子関係が決別や融和を果たしていく中、スレッタとプロスペラの関係性はガッチリと噛み合ったままクールをまたいでしまった。これにより母娘関係の難しさを実感し、絶望する視聴者も多いかもしれない。しかしスレッタとプロスペラがこうなるということは、きちんと相手と距離を置けたり、その関係はおかしいと指摘する第三者の存在があれば、ここまでの絶望な展開に至らず済むという証拠と言えるかもしれない。
視聴者はあらゆる情報から客観的にスレッタを「母親に支配された存在」と観ているため苦しくなってしまうのだが、当のスレッタ本人はそんなつもりが一切ないように見えるのも辛い。これは現実の精神科治療でも同じで、当人がその辛さを症状として訴えない限りは治療対象にもなり得ないのだ。とはいえやはりスレッタがミオリネの無意識の抑圧を解きほぐしたように、スレッタもまた無意識の呪縛から解き放たれる展開を願ってしまう。
それで言えば、スレッタは母親と離れて暮らし距離を置きつつあるし、ミオリネはじめ会社を一緒に立ち上げた友人という第三者もいる。今はスレッタがミオリネの発破に母の言葉を重ねて慕っている印象もあるため関係の進展次第では母殺しのヒントを得るかもしれない。そしてスレッタにはやりたいことリストもある。自分で決めた願望や意思は消えていないのだ。これらの要素は同一化という魔女の呪縛から解かれる可能性を秘めるだろう。
YOASOBIによる1期OPテーマ「祝福」の歌詞にある《誰かが描いたイメージじゃなくて/誰かが選んだステージじゃなくて/僕たちが作っていくストーリー》という言葉は、12話を経ると呪縛のメタファーであるガンダム=エアリアルがべったりと隣合わせにあるイメージが湧いてしまう。2クール目の終わりには、呪縛とワンセットという意味でなく自らの意志でエアリアルと関係性を結び直すスレッタの言葉として美しく響くことを祈る。
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