場面緘黙後遺症、母語が文章
お風呂のなかでふと降りてきて腑に落ちたことなんだけど、私にとって「日本語を喋る」ということは、ごく一般的な日本人にとっての「英語を喋る」と同じ意味なのかもしれない。
母語(私の場合は日本語の文章)から頭の中で変換をして、これで合ってるか……?齟齬なく正しく伝わるか……?と、ひとつひとつの語句を毎度変換しながら探り探りで話していく感じ。
実際片言になりがちなので、自分と会話をしてくれた経験のある方なら、上記の解釈をすんなり理解してもらえる気がする。
まったく思ってもいない