setonai

インターネットエモかわいろいろクリエイター かわいいものと甘いものと懐かしいものと切ないものと夏が好きです。 世界をすこしでもしあわせにしたいです。 CFS(慢性疲労症候群)/ 元場面緘黙症 / そのほか

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創作【遺書】

自分の望んだ夏が来ればよかったのに 夏なんてつまり理想の言い換えだ、惨めな言い訳だ。 夏が失った過去の比喩だなんて嘘だ。ならば失うべき美しいあの夏を経験していない僕は何を失う? 過去の経験なんてすべて無視して、ただ「夏」の概念に自分の甘ったれた恥ずかしい理想をありったけ詰め込んでぐつぐつと長年煮込み続けて出来上がったものが「失った夏と言う名の理想」だ。 許してくれ 僕はただ君と夏を過ごしたかった 二人きりの駅のホームで生温い風を共有したかった 「暑いね」の言葉に「そうだね

    • 最近、自分の思考とか感覚ががらっと変わったので、過去のnote置いておくのが恥ずかしくなってきています。あまりにも恥ずかしいものはそのうち非公開にするかも。でも当時の苦しみがあったからこそいまがあることを思うと、証明として残しておくのもいいかもしれない。ジレンマ~

      • 内田真礼ちゃんを好きになって、福岡に引っ越して、人生初のライブ参加で人生変わった話

        今までの苦労が、痛みが、すべて眩しく塗り替えられる。 抱え込んできたあらゆる苦悩から解き放たれる。 私の人生は、この日のためにあったのだ。 そんな衝撃的な経験をした。 ※ 注意書きをしておくと、この文章は私情の面がかなりつよいです。 まあやちゃんの最高なところも語っていますが、ベースが私情なので、まあやちゃんのことだけ読みたいという方には向きません。何卒ご了承ください。 私はまあやちゃんが好きだ。大好きだ。 しかしファンとしては新参者だ。何せ今年に入ってから好きという感

        • 難病(CFS)患者が意を決してyoutuberになった後の気付きの話

          【はじめまして】慢性疲労症候群ですが、本気で叶えたい夢があるので応援してください。【チャンネル解説】 2024年の年明けと同時に、youtubeチャンネルを始動させ、上記の動画を投稿しました。 タイトル通りの件に関して言いたいことは、すべて動画内で語っておりますので(数ヶ月かけて台本を練り、一字一句違わず台本通りに喋っているため、無駄なくまとまっております)、 もし気に留めてくださった方は、よろしければぜひご視聴いただけるととてもうれしいです。 この記事では、上記の動画

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        創作【遺書】

        • 最近、自分の思考とか感覚ががらっと変わったので、過去のnote置いておくのが恥ずかしくなってきています。あまりにも恥ずかしいものはそのうち非公開にするかも。でも当時の苦しみがあったからこそいまがあることを思うと、証明として残しておくのもいいかもしれない。ジレンマ~

        • 内田真礼ちゃんを好きになって、福岡に引っ越して、人生初のライブ参加で人生変わった話

        • 難病(CFS)患者が意を決してyoutuberになった後の気付きの話

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          社会的弱者が社会に対しての感情を忌憚なく書き出す

          はじめに私は弱い。とても弱い。 一日の半分かそれ以上はベッドの上で過ごすしかない。 そんな生活がもう6年は続いている。 外で働けば救急搬送される。 本当は自立して都会で暮らしたいが、そんな金銭的余裕はない。 結果、山奥の実家で社会から隔絶されて密やかに生きている。 それが私である。 以前は自分の感情をこまめにアウトプットできていたが、ここ数年はそれを怠っていたように思う。私にとってその感情は都合がよくなかったからだ。 けれど、もうそろそろ限界らしい。 これから記す感情は

          社会的弱者が社会に対しての感情を忌憚なく書き出す

          児童書が読めなかった児童期

          これは決して理解されることはないと思って今まで言ってなかったんですけど、いつかどこかで同じような感覚を持つひとに巡り会えることを願って書き残しておくと、 小さいころ、児童書がどうしても読めなかった。 「子どもが読みやすいように」配慮されているじゃないですか。文字を大きくしたり、ルビが丁寧に振られていたり、対象年齢に合わせて漢字を減らしたり。表紙の配色も子どもが好む鮮やかな色遣いだったり。 そういったものがどうしても苦しくてはずかしくて(当時は「舐められている」という感覚だ

          児童書が読めなかった児童期

          完璧主義でINFJでCFSでHSS型HSP

          こころの整理のための話 私、物心ついた頃からあらゆることをひたすら努力し続けて、ひたすらに動き続けて頑張り続けて生きてきたんですが、その結果心身ダメになって…… まあ……完璧主義と好奇心旺盛と向上心の塊と人の役に立ちたい欲と押しに弱すぎが重なるともう滅び要素特盛パフェみたいな感じなんだけど その後も生きるために、ダメだけど働かねば……どうしようも……をした結果、こんなひどい状態にまでなってしまった(精神的にはめちゃ健康ですが……体が……)んだけど、あんなに頑張り続けたせい

          完璧主義でINFJでCFSでHSS型HSP

          壊滅的なロマンあふれる雑記

          ラジオで「孫の顔を見せてくれ」って投稿を聞いて、孫の顔が見たいという感覚ってどういう原理なんだ?って考えて、「自分と同じものを持った遺伝情報がどう伝わって何が表出してどんな具合に混ざり合ったかの結果が見たい!ってこと?」という結論になったけどたぶん違う気がする、までは自覚した ここも本能なのか?マジでこの辺欠損してるからなんもわからん……。ここだけは共感性も何も皆無なので理屈で教えて……って思うけどたぶん理屈じゃないよね? 私の「生殖本能がない」は自分自身のことは当然とし

          壊滅的なロマンあふれる雑記

          INFJのくるしいところとかの雑記

          INFJ、散りばめられた事実と状況、さまざまなタイプや環境、状況にある人間がいるという事実があった上でそこから湧き出す無制限で無秩序な人間の感情、それらを練り合わせて思考を組み立てるのあまりにも楽しくないですか? でもそれを表に出すと一瞬でこわいひと扱いされて忌避されるからひっしに隠している というか自分ですら「いろいろ勘繰ったり探りを入れるのはよくない、倫理に反している、私は無害で穏やかなひとでありたい、誰も不快にさせたくない」ってつよく思ってるから自己矛盾が半端なくて生

          INFJのくるしいところとかの雑記

          ラムネの記憶

          縁日でつめたい氷水の中に沈んだ青磁色の透きとおった瓶を手にしたことも、駄菓子屋の端でがたがたと音を立てるゆるやかに涼しい白い透明ケースの中から瓶をひとつ取り出してもらって飲んだこともないのに、私は確実に夏のラムネの味を知っている どうしてだろうね 存在しない夏のきらめきをすべて知っている 何も失ってなんかいないのにすべてを失っている 最初から何もないのにあったふりをして失ったことを憂いている うそ、本当はすべてが手のなかにあったのだ 夏は私のものだった 夏のいつかに書い

          ラムネの記憶

          性自認とトイレと時代感についての思考

          性自認がどうであれ、トイレは「自分の体の区分が割り当てられている以外の割り当てのところ」には入ってはいけない。という自語 私ですら子どもの頃から「性自認なんて他人にはわからないから、体の造形によって区分された公共の場では造形通りの決まりに従うしかない」が「その必要性があること」を理解して解っていたのに、それを理解できずに自分の主張を社会に向けて振りかざす人がいるのは、それはもう本来の性自認の議題とは別の領域のものではないか思う 性自認が男だった小学生の一時期、プールや修学

          性自認とトイレと時代感についての思考

          作品制作のプロセスを感じられず、成果物そのものだけが自分の好奇心を満たすと気付いた先の思考

          私は自分の活動の限りにおいて ほとんどの場合、 成果物そのものだけが自分の好奇心を満たせる要素であり(だからできたものを愛すし何度も繰り返し閲覧する)、そのプロセスにはほとんどの場合興味がなく、制作作業は特に好きなわけでもなく (なおMMD関連の作業だけは唯一このプロセスが「楽しい」ため、今までやってきたあらゆる作業のなかでいちばんハマったし、フォントは「一文字ずつが作品」なので、それを積み上げてひとつの作品に組み上げていく作業が楽しくてハマった)、 ただ作業の先にある成果物

          作品制作のプロセスを感じられず、成果物そのものだけが自分の好奇心を満たすと気付いた先の思考

          僻地コンプレックス

          いまさら気づいたんだけど、私の最大の(そのほかはあんまりない)コンプレックスって「ド田舎コンプレックス」ではなく「僻地コンプレックス」なのだろうな……と思った たぶん ふつうに生活できるならここまでにはならなかった気がする…… 散歩すらしたくてもできないのだ 車でないとどこにも行けないから歩いてるひとなんていなくて、外を歩けば不審がられて注目浴びるし、駐車場のある公園までしばらく運転して行ってもひと気はなく、知らないおじさんと二人きりになることもざらにあり、山奥だから誰にも

          僻地コンプレックス

          どうして人間は解り合えると思ってしまうのだろうか

          人間といういきもの たとえねこちゃんのことを理解できなくてもそれが当たり前だし、理解できなくても できないからこそかわいいと愛でられる度量があるのに、 人間相手になると途端に「同じ人間という種だから」と同族意識を持ち、勝手に理解できると思い込み、理解したいと願うの、ほんとうに不思議。 ねこちゃんだってキジトラとか三毛とかいっぱい種類があって、種類によっても個によっても性格はそれぞれで、人間だって違いが見えても見えなくても無数に一人ずつの個があるのに、どうして「感覚を共有でき

          どうして人間は解り合えると思ってしまうのだろうか

          場面緘黙後遺症、母語が文章

          お風呂のなかでふと降りてきて腑に落ちたことなんだけど、私にとって「日本語を喋る」ということは、ごく一般的な日本人にとっての「英語を喋る」と同じ意味なのかもしれない。 母語(私の場合は日本語の文章)から頭の中で変換をして、これで合ってるか……?齟齬なく正しく伝わるか……?と、ひとつひとつの語句を毎度変換しながら探り探りで話していく感じ。 実際片言になりがちなので、自分と会話をしてくれた経験のある方なら、上記の解釈をすんなり理解してもらえる気がする。 まったく思ってもいない

          場面緘黙後遺症、母語が文章

          生殖本能が存在しない世界のはなし

          生まれつき生殖本能がないので、性別の文化も、男と女が一対一で番にならなければいけないことも、本来の感覚的には必要性がさっぱりわからんのですが(社会性があるのでちゃんと理解はしています)、 自己と他人、他人と他人を比較できない(そも合理性がなさすぎるので必要性が見出せない)ことも、嫉妬心がないことも、孤独というものが感じられない(番を求める感覚がない)ことも、その「生殖本能がない」という部分がいちばん根本としてあるのではなかろうか とふと思った 絶対的に異なるんだよな 根本の

          生殖本能が存在しない世界のはなし