難病(CFS)患者が意を決してyoutuberになった後の気付きの話
【はじめまして】慢性疲労症候群ですが、本気で叶えたい夢があるので応援してください。【チャンネル解説】
2024年の年明けと同時に、youtubeチャンネルを始動させ、上記の動画を投稿しました。
タイトル通りの件に関して言いたいことは、すべて動画内で語っておりますので(数ヶ月かけて台本を練り、一字一句違わず台本通りに喋っているため、無駄なくまとまっております)、
もし気に留めてくださった方は、よろしければぜひご視聴いただけるととてもうれしいです。
この記事では、上記の動画(1本目)と、予め制作しておき翌日に投稿した2本目の投稿後に、感じたことや考えたことを記します。
単刀直入に言うと、無理でした。
なにごとも、名を挙げられるような活動をするためには、体力がいる。
体力がなければ、なにもできない。何にもなれない。
ただただそれを痛感しました。
慢性疲労症候群という病気を患ったこの体では、体力と勢いが必要なことは、すべて諦めざるを得ない。
この調子で動画を作り続けるなんてとてもできない。
何かを発信し続けるなんて、とてもできない。
何年も考えて、一年以上かけて準備をして、機材やソフトにお金をかけて、信頼できる方の力も借りて、本気で準備をしてきました。
だからこそ、本気でやったからこそ、無理だとわかった。
これはとても残酷かつ大切な気付きで、私はようやく使命感から解放されたように感じています。
20歳という若さで難病を患い、就職活動をする余裕などどこにもなく一日中眠り続け、その後もなんとか生きるために短時間働こうとしても、動けなくなり退職→医療費と奨学金返済で稼いだお金がすべて飛ぶ(どころかマイナスになり、両親から借り入れる)の繰り返し。
社会人1年目の秋、私はもうダメだと思い、命を絶とうと心に決めた直後、不思議な体験をしました。
寝転んでいた自室のベッド脇の窓をなんとなく覗くと、目の前を鳩の大群が飛び交い、そのさえずりは歌のように空を流れ、教会で流れているような神聖な音楽が鳴り響いている。なにかを訴えるように。励ますように。
夢見がちな私でも、その時はさすがに目と耳を疑いました。
幻覚と幻聴ではないかと考えましたが、あまりに非日常な光景だったためか、音楽が鳴り止んだ頃に家族が家の外に出て、まだ飛び交っている鳩の様子を写真に収めていたので、少なくとも幻覚ではなかったようです。
その後、なんとなく「もうちょっと生きてみてもいいかな」という気持ちになり、また「自分にはまだ何かやるべきことが残っている、ということを訴えられたのでは?」という気持ちが日に日に大きくなり、自分にできることは何なのか、何をすべきなのかの模索の日々が始まりました。
それから今日までの日々のことは割愛しますが、結果として、「世界を、誰かをすこしでもしあわせに、あたたかくなってもらえるために、何かを成さなければ」という使命感に駆られて生きてきました。
幼少期から次々と重い経験を積み重ねてきた自分には、なにかやるべきことがあるのだと思い込んで。
どうやっても外でなにかをするのは難しい。家の中でできることは限られる。
そこで選んだのが、10年以上(まったくの違うジャンルであれ)制作を続けている、動画投稿という手段でした。
結局、無理だとわかって。
とてもすっきりしました。
数年間、ずっと頑張って、気合と覚悟で走り続けてきたものが、するっとほどけたような感覚。
なんだか、もとの自分に少しずつ戻れているような気がします。
ずっと苦しかった。
私は病人で、なにもできない。
なにもできなくていい。
慢性疲労症候群10年目にして、ようやくそれを認められた気がします。
あきらめていい。がんばらなくていい。
ずっと頑張り続けてこうなったのだから、もうがんばらなくてもいいんだ。
あの日私を引き止めてくれた不思議な光景は、きっと「何か成すべきことがある」から生かしてくれたのではなく、「何もできなくてもいいから生きる」ことを、ただただ励ましてくれたのではないかな、と今は思うようになりました。
どんなことを考えても、すべて私の想像でしかないけれど。
それって結局、自分勝手ゆえに、自身へ向ける感情がはっきりとわかるものだと思うので。
私は、何もできない自分を許したい。
すべてあきらめて生きるのは、楽かもしれないし、かえって苦しいかもしれません。
でも、そうなってしまっては、ふと息を止めた時、目を逸らした時、あっさり帰ってこられなくなるかもしれない。それは怖い。
なにかに、ほんのすこしでも執着というか、手放し難いもの、与え続けたいもの、得続けたいものを見つけるべきだなと思いました。
案外、それが「推し」なのかもしれないなとも。
明日も推しの元気な姿を見るために、生き続けようと思います。
たぶんきっと、それでいい。
そして、私に唯一できる「だれかのためにも、自分のためにもなる活動」であるフォント制作も、すこしずつだけど、しっかり続けていきたい。
そのために、生きたい。
動画内で述べた通り、現実的な問題は山積みです。
でも、以前よりずっと、心は晴れやかです。
どうにでもなるなんて言葉、決して言わないし、どうにもならない。
どうにもならないけど、生きるしかない。
なにもできないまま、ただ自分を大切にして、自分のために生きたい。
私がこれまで30年弱、ずっとできなかったことをしたい。
今はただ、それをしてみようと思うだけです。
しばらく、おやすみ。
おつかれ、自分。
1/9追記
タイトルが分かりにくい気がしたので変更しました。