sense labo

ちっぽけな私の頭の中

sense labo

ちっぽけな私の頭の中

マガジン

  • SENSEレポート✎ܚ

    ⁡生き辛かった私がありのままで生きながら自分の内側を豊かにできる方法を模索して見つけた 自分だけの方程式ꪔ̤̫

  • SENSE研究室ꪔ̤̫ 

    実験、研究、検証の道のり✎ܚ

最近の記事

救われる言葉ってなんだろう

救われる言葉ってなんだろう。 同じようにそれを知りたくてたどり着いてくれた人に先に謝らせて欲しい。 ごめんなさい、私はその問いにまだ答えを出せてないです。見つかってません。 何の参考にもならない文章です。 -------------- 救われる言葉ってなんだろう。 よく考える。 自分に対する声かけを自分にとって味方になるような優しい声かけにしていきたいと思ったこと。 あのときからその都度、躓いたシーンごとに、今自分が声かけられて救われるような言葉ってなんだろうと探して

    • 社会の隅っこで感じる大きなしあわせ

      ごく軽度の強迫症は残ってるのかもしれない 不安で不安でたまらなくなって それだけを考えてしまって 何度も何度も確認したくなる あの頃に比べたら 時々現れるそれは とってもとっても軽度で そう呼ぶのも ふさわしくないくらい微細な心の動き。 だけど とっても不安になって 確認したくなった もちろん確認と同時に恐怖も浮かぶ。 確認がとれなかったらどうしよう、と。 小さく想像して 耐えられないことを悟る それを受け入れて生きていけるメンタルを 私はまだ

      • 考えすぎてしまうから思考対象を与えてみた

        人生を変えたいなら 日々の小さな選択決定を 変えていくのはどうだろう なぜなら 人生は 日々の小さな選択決定の 積み重ねでできているから そんな 単純すぎる思いつきが 絶望から希望を見つけた きっかけだったかもしれない。 やみくもに 選択を変えていくのも ちがう気がして だったら 自分の感覚を すべての"指針"にすることにしてみた。 だけど まずは 自分の感覚が なんなのかわからない。 ということで 自分の中の "気持ちよさ"を 細かく見つめること

        • 人生がゲームだったら

          わたしは 数年前から 人生を "自分をゆるしていくゲーム" と設定して 日々攻略に励んでいる。 始めてすぐは ゆるすも何も まず自分のことが 何も分からない段階 自分、 というものの 輪郭もぼんやりしているし 自分の許せない部分さえも とらえきれていない状態。 探り探り進んで ゲームオーバーを 繰り返しながら ちょっとずつ 自分という  キャラクターの属性を知っていく。 すべてのステップは 内側の作業、というもので 攻略していく仕様にした。 ちなみ

        マガジン

        • SENSEレポート✎ܚ
          21本
        • SENSE研究室ꪔ̤̫ 
          6本

        記事

          自分の中に湧き起こる[抵抗]とどう向き合っていくか

          自分の感覚について 深掘りしていくうちに わたしにとって多くの場合、 "気持ちよさ" が自分の想いや 望みの核をとらえることや 進む方向、選択決定の際の "指針" になることに気付く。 また、 その気持ちよさの中にも 大きく分けると2種類あって それらを見分けるコツを探究したりもした。  そうして実際に 自分の中の核の想いをとらえたとき、 その問題がたとえ 実際に解決していなくても 内側がスッキリすることで 問題自体がどうでも良くなってしまう なんて

          自分の中に湧き起こる[抵抗]とどう向き合っていくか

          いつだって「初めてできた」がうれしい

          初めてスコーンを焼いた。 たった それだけのこと、 かもしれないけど わたしの心は 静かに踊った。 田んぼに囲まれた 田舎で育ったわたしは 幼い頃、 近くに友達の家なんてなくて 大体、 本を読むか 2時間サスペンスを見るか 田んぼ周りを走る、 そんな日々を 過ごしていたように思う。 ただ 長期休暇がやってくると むくむくっと お菓子作りがしたくなって 昼間空いた台所を陣取って いろんなものを作っていた。 きっちり計量することが ときめきポイントで

          いつだって「初めてできた」がうれしい

          [ない]が[ある]になった瞬間

          [ない]が[ある]になる瞬間 [こんな自分ダメだろ]が [こんな自分もいいじゃん]になる瞬間 それは わたしにとって 些細なことまで ひとつひとつ大切に 拾っていきたいもの noteを始めて気づけば1ヶ月。 もうそろそろ 毎日書くのもやめようかな そんな風に思った夜 次の瞬間ハッとしたわたしがいた。 あれ、 そういえば あんなに怖かった 自分の考えてることや 想いを表現することを 外の世界に出すこと、 するっとできてんじゃん。 もちろん ゼロじ

          [ない]が[ある]になった瞬間

          私がわたしのまんまでいると、きみは癒されるという。「卑屈で捻くれ者な私だよ?」そう反論すると、「だけど素直にそんな自分と真っ直ぐ向き合うじゃない」ときみは答える。「だって私は卑屈で捻くれ者なわたしもすきなんだ」ーーその言葉にきみは満足そうに微笑んだ。

          私がわたしのまんまでいると、きみは癒されるという。「卑屈で捻くれ者な私だよ?」そう反論すると、「だけど素直にそんな自分と真っ直ぐ向き合うじゃない」ときみは答える。「だって私は卑屈で捻くれ者なわたしもすきなんだ」ーーその言葉にきみは満足そうに微笑んだ。

          [気持ちいい]という感覚には2種類あるのかもしれない

          学生の頃 自分がどうやっても 勉強や恋愛において 勝てない、と思っていた相手に対して わたしは密かに 相手がうまくいかないことを 願ってしまっていた。 だけど そんなものは 叶うことはなく、 大抵の場合は 逆にどんどん 相手に敵わないというシーンを 目の当たりにしていくものだった。 この時のわたしは 自分の望みを 「他者が」うまくいかないこと としていたけど、 本当に望んでいるもの =本来の望み =自分がしっくりくる想い というのは 「自分」が主体の

          [気持ちいい]という感覚には2種類あるのかもしれない

          気持ちのいい嫉妬に包まれた朝

          目が覚めると まだ起き上がるには時間がある そんなときは 自室にこもって 文章を赴くままに書いてみる そんな習慣がなんとなく 最近出来上がってる。 今朝もそうだった。 そろそろ 動く時間だ すると 見知ったアイコンが 目に飛び込んだ。 昨日電話で お互い何故かnoteに最近アカウントを 作ったことが発覚した。 こんなにSNSが盛んな時代に。 今、始めるというタイミングに。 Twitterやインスタ、 YouTubeじゃなくて note、に。 いろんな意

          気持ちのいい嫉妬に包まれた朝

          時々、ふと。

          時々ふと うっすらと靄が 全身を包んでいる感覚に 囚われることがある。 生き辛くて 毎日苦しくて 1日をやり過ごすのが やっと、だったあの頃 それから 数年かけて 自分と丁寧に向き合うことで 生きるのがラクになって 自分でも驚くくらい 内側も外側も豊かになった。 あの頃のように 喉から手が出るほど 欲しいものなんてもうない。 毎日が ありがたくて 穏やかで 充実してる。  だけど 時々ふと、感じる。 注意深く見つめないと分からないような ちっちゃくて些

          時々、ふと。

          気づいて、止まる。

          イライラしたり もやもやしたら 止まる そんな単純なことが いちばん難しかったりする だからこそ ひたすらに シンプルなことを 積み重ねてみる いつだってそれは "自分の心地よさ"を追求するため 新しいわたしの世界を つくるため

          気づいて、止まる。

          〇〇が叶うとしあわせになれると信じていた

          本当に望んでいるものって なんだろう 感覚、意識、、 と続いて着目したのは "望み" 自分の人生を振り返ったとき、 幼い頃に望んでいた夢たちが 現実としてかなり叶っていることに 気づいた。 だけど その割にその地点のわたしは しあわせを感じられていなかった。 そのとき とんでもなく 大切なことを見つけた気がした。 現実がどんなに叶っても 自分の内側が喜びや満足感を 感じられていなければ わたしは しあわせじゃなかった。 物質的には しあわせな状態、 で

          〇〇が叶うとしあわせになれると信じていた

          感覚を取り戻すDaily Lesson

          内側に意識を向けて 感覚に耳を澄ませる まずは 基本的な日常から それはきっと とても些細なこと だけど その積み重ねが土台となって 自分基準の わたしだけの 心地いい毎日が 出来上がってゆく

          感覚を取り戻すDaily Lesson

          いつもご機嫌でいられるのは

          "自分の機嫌は自分でとる" 自分の感情に振り回されて 支配されるまで至っていたわたしが そんなことを習得できたのは ご機嫌じゃない自分をゆるしたことが きっかけだったかもしれない "疲れてるの?" そりゃ人間だからね 生きてるだけで疲れるのだ そういえば 疲れた時に 罪悪感なく「疲れた」 と言えるようになってから 格段と気持ちがラクになった。 昔は 疲れたなんて言える立場じゃない そう思ってた。 その日の働きを 他の人と比べていたからだ。 いま

          いつもご機嫌でいられるのは

          自分の感覚に目を向ける作業と意識の性質の探究

          自分の感覚で選んでいく といっても 自分の感覚が分からない そもそも 自分の感覚ってなんなんだろう 好き、嫌い 楽しい、つまらない 心地いい、心地わるい 気持ちいい、気持ちわるい 隣の人が楽しくないことが わたしにとっては楽しかったり 喋らなきゃと思いがちな沈黙も この人とはなんだか心地よかったり そうだ、そういうやつだ それからわたしは 自分の感覚に耳を澄ませることを はじめた。 "いま、わたしは何を感じてる?" 初めから その感覚を言語化するのは

          自分の感覚に目を向ける作業と意識の性質の探究